平和の為に何をやれるか、愚行積善備忘録、園田幸二のブログ

人間『死ぬまでの暇潰し』と思ってみても、日本人として、日本文化を愛し、歴史伝統を護りたい。日本の安寧祈願。旅

熊本小論

2016-05-07 13:17:43 | 熊本の旅
熊本県人の気質とは、

夏目漱石が愛した気質、
物事がはっきりして、
裏表が無く、
明るい、

漱石はイギリス留学中、
頭が狂ったと、
当時の明治政府は考えた
『うつ病か』と、
イギリスからの手紙で
日本はこんな(イギリス)のような国の真似はしてはならないと、

ヨーロッパ人の真似はするなと、

日本への手紙に、
『日本へ帰ったら、旅をしたい、
そう、あの小天温泉へ、』

小天温泉の温泉が良かったわけではなく、
周りに住み暮らしている人達が良かったのではないか、

小説『草枕』の舞台となった小天温泉の周りの人達、
前田家の人々を愛情をもって表現している。

小説『二百十日』では
阿蘇の旅館で地元の仲居のおばさんの事を
優しい眼差しで表現している。

部屋に着くと、
中居さんにビールを注文した。

『ビールはなかですが、
エビスなら有りますバッテン』
『そ!、それ!それでよか』(大笑)



司馬遼太郎は肥後、熊本人は
一人一党の気質なり、
イイものはいい、
悪いモノは悪い、
白黒はっきり、

『アカンもんはアカン』

アレ?
これどこかの藩の教えと全く同じ

会津松平藩の藩校『日新館』の教え、
『ならぬモノはならぬ』

司馬遼太郎
肥後人(熊本人)の実直さをあらゆる面から書き出している。

肥後は難地の国で有る
(難地とは、治めるのが難しい)

豊臣秀吉から肥後の国を任された佐々成政が赴任して来た。
肥後人は佐々成政を嫌った。

地元の民は
嫌いなモノは嫌いだ、
各人それぞれ蜂起し、
佐々成政を肥後から追い出してしまった。

南北朝の頃、
南朝方に正義性が有る、
そう考えた肥後の大豪族『菊池家』は
北朝の足利が九州へ攻めて来ても降伏せず、
負ける戦に勇んで突進して行った。
『正義に為に死するは喜びなり』

肥後菊池家は滅んでもその名を残した。

肥後人の思想を司馬さんは、
愛情をもって書き出している、
『横井小楠』
にその思想を求めている。

小楠の名、
これは楠木正成から取った名、
小楠の教えは、
吉田松陰、坂本竜馬、高杉晋作、
久坂玄瑞等に多大な影響を与えた。

『尊皇改革』
日本を守るには国を開き、
外国に負けない体制を作り上げる。
天皇を尊び、
日本民族の誇りを失わず、
それが日本の進むべき道 と、

思想の原点は神道に有るのではないか、
古い古い時代からの神道、

森羅万象すべてに命が宿っている。
神に日々感謝、

続はまた、









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