『竹林遥か遠く』
邦訳が熱望されていた名著、待望の日本語版
昭和20年の夏、、小学生の擁子(ようこ・11歳)は「ソ連軍がやってくる」とたたき起こされ
、母と姉・好(こう・16 歳)との決死の朝鮮半島逃避行が始まる。
やっと乗れた赤十字の汽車はアメリカ軍から攻撃され、大破、
徒歩で日本を目指すものの、欠乏する食糧、
同胞が倒れゆく中、朝鮮人から執拗な追跡や容赦ない襲撃、心ない暴行もかいくぐり、祖国日本をめざす。
終戦前後の朝鮮半島と日本で、日本人引き揚げ者が味わった壮絶な体験を赤裸々に綴る、息もつけぬ、愛と涙のサバイバルストーリー。
特に凄いのが朝鮮人の極悪的な振る舞い非道、日本人女性はレイプされるのは当たり前、その残忍さは生涯ヨーコは忘れられない。
このままあの惨状を後世に知らせず死んでゆくより、言いたくはないが、語りたくはないが、
平和の尊さ、戦争の悲惨さを後世に伝える為の伝導の書と言える。
著者について
【著者・監訳者】ヨーコ・カワシマ・ワトキンズ(Yoko Kawashima Watkins)
1933(昭和8)年、青森で生まれる。生後六ヶ月で南満州鉄道(満鉄)に勤務する父に連れられ、家族で朝鮮北部の羅南(現在の北朝鮮・咸鏡北道清津市)に移住。
1945(昭和20)年、敗戦最中に母、姉とともに羅南を脱出、朝鮮半島を縦断する決死の体験を経て、日本へと引き揚げた。帰国後、京都市内の女学校に入学。働きながら学問に励み卒業すると、京都大学で英文学を学ぶ。卒業後、米軍基地で通訳として勤務していたが、結婚し渡米。アメリカの子供たちに日本文化を伝える活動をしていた。
1986(昭和61)年に自身の体験を描いた初の著書である本書『So Far from the Bamboo Grove』を刊行。
米国教育課程の副読本として採用され、多くの子供たちに親しまれている。
1998(平成10)年にボストン図書館が最も推奨する児童文学者(Literary Lights for Children)に選ばれ、アメリカの平和団体・ピース・アビー(平和のための修道の家)より、ガンジーやマザー・テレサ、ダライ・ラマも受けたという「The Courage of ConscienceAward」をはじめ、数々の賞を受賞。
現在も、講演活動などで全米だけでなく世界各国をめぐる多忙な日々を送っている。
他の著書として本書の続編にあたる『My Brother, My Sister, and I』がある。
【訳者】都竹 恵子(つづく けいこ)
1952年福島県いわき市生まれ。結婚後、現在まで愛知県春日井市在住。
都竹学習塾 塾長。佛教大学通信教育課程 文学部英米学科2010年入学 現在4回生。
さて、
この『竹林遥か遠く』は米国内で内容の真実味、密度、感性がいいと評判になり、
1980年代に米国内の各州で中学1年生の教育副読本になった。
題名が『ヨーコ物語』
ところが発刊から20年程たって、バージニア州で突如、騒動が起きた。
韓国人中学生の母親が
『この副読本は嘘ばかりで韓国人を貶めている』
ニュージャーシー州で
2009年9月に、或る韓国人家族が
副読本から外せ、
外さないと、子供を登校させないぞ
と学校当局を脅した。
この州のパリセーズパーク市は市民の2万人の過半数が韓国系、
この騒ぎがマサチューッセッツ州へ飛び火した、
同州のドーバーシェルボーン教育委員会は
五月蠅い韓国系の抗議に対し、
あんな騒々しい連中を相手するよりは『ヨーコ物語』を副読本から外した。
そしたら今度は教師からおかしい、白人系、ヒスパニック系、黒人系も韓国人の横暴を許すなとなり、
最終的に、教育委員会は作者『ヨーコ・カワシマ・ワトキンズ』を呼び出し公聴会のようなものを開催した。
会場に姿を現した『ヨーコ』さんは当時73歳。
韓国人の罵声怒号は凄く、
それでもヨーコ女史は
『他意はなく、観たまま、記憶のまま戦争の悲惨さ無残さを伝えたかっただけ、』
と答えた。
ところが韓国人達は『謝罪するまで許さない』
会場には韓国紙特派員が沢山押しかけ、韓国領事館からも3人の外交官が交じり、怒声を張り上げていた。
韓国内でもこの騒動が伝わり、この物語が事実かどうかの検証が始まったが、
その後、あれだけ騒いだ韓国メディアはぴたりとこの物語の事には針ほども触れなくなった。
このメディアの沈黙は何を意味するのか!
この沈黙は全て事実だった事を意味する。
終戦当時、
引揚者の中の女性は何度も強姦され、妊娠し、死亡した人さえいる。
上坪隆『水子の譜』
朝鮮北部にいた小学校教師は脱出列車に乗れず、何度も強姦され、輪姦さて、妊娠した、
中絶手術が失敗し死亡した経緯がこの書に有る。
また博多港近く帰国者収容施設(二日市)は日本に帰るまで何ヶ月にもわたり強姦された婦女子達の中絶施設でも有った。
麻酔も無い時代、皆、歯を食いしばり耐えた。
その後、当時の日本の婦女子はこの事には口を閉ざし、
戦後を生き抜いた。
さて、正式な記録、
この保養所では問診で、
誰に何処で侵されたかの聞き取りが記録として残っている。
被害を受けた婦女子
総数74名内
北朝鮮引揚者37人
南朝鮮引揚者22人
満州引揚者 10人
北支引揚者 3人
等々、
その内
不法妊娠
47名
地区別に分類すると、
北鮮24人
南鮮14人
満州 4人
北支 3人
朝鮮人から犯された者28人、
ソ連人に犯された者8人
支那人から犯された者6人
米国人から犯された者3人
この施設だけでもこれだけの被害者、その他の施設、その他の門司港、舞鶴港等々
この何十倍数倍は犠牲者がいた。
これは事実、
捏造でもない。
さて、慰安婦問題、
捏造、
それを近代歴史研究家に任せ、
シッカリ精査させ、
国際社会に大きく、それも世界10数か国語で公表、
さすれば、韓国はこの『ヨーコ物語』と同じく、
何も言わなくなる。
『口を開けば、負ける』
そうなると韓国は何もなかったようにふるまう。
いいのさ、過去の戦争、
悲惨だった、色々有った、
されど、戦争で悲惨な目に遭っても何も語らず死んで行った婦女子、
日本の土も踏めず現地で殺戮された婦女子、
戦争で日本人は数百万人の犠牲を出した。
その皆様の日本人としての誇りが、名誉が回復されたらいい、
それでいい、
それがアジアの中の大人、
先進国
韓国、これまでよくも嘘で固めたな、
捏造したな、
と、喧嘩してはダメ、
全てを許せばいい。
韓国は自分の悪さには一切言及しない。
ベトナム戦争で一説には30万人虐殺、
数千人をレイプの事件も知らんぷり、
韓国の血を受け継いだ父無し孤児が沢山生れても知らんぷり、
朴大統領からして、ベトナム行ってもなんのお詫びもしない。
韓国内で正論を唱え、韓国も悪かった、
日本は悪くなかったと言えば、
袋叩き、
その常識人の救済の為にも日本政府は強く正論を!
それが数百万の英霊の為、
戦争で亡くなった皆様の為、
邦訳が熱望されていた名著、待望の日本語版
昭和20年の夏、、小学生の擁子(ようこ・11歳)は「ソ連軍がやってくる」とたたき起こされ
、母と姉・好(こう・16 歳)との決死の朝鮮半島逃避行が始まる。
やっと乗れた赤十字の汽車はアメリカ軍から攻撃され、大破、
徒歩で日本を目指すものの、欠乏する食糧、
同胞が倒れゆく中、朝鮮人から執拗な追跡や容赦ない襲撃、心ない暴行もかいくぐり、祖国日本をめざす。
終戦前後の朝鮮半島と日本で、日本人引き揚げ者が味わった壮絶な体験を赤裸々に綴る、息もつけぬ、愛と涙のサバイバルストーリー。
特に凄いのが朝鮮人の極悪的な振る舞い非道、日本人女性はレイプされるのは当たり前、その残忍さは生涯ヨーコは忘れられない。
このままあの惨状を後世に知らせず死んでゆくより、言いたくはないが、語りたくはないが、
平和の尊さ、戦争の悲惨さを後世に伝える為の伝導の書と言える。
著者について
【著者・監訳者】ヨーコ・カワシマ・ワトキンズ(Yoko Kawashima Watkins)
1933(昭和8)年、青森で生まれる。生後六ヶ月で南満州鉄道(満鉄)に勤務する父に連れられ、家族で朝鮮北部の羅南(現在の北朝鮮・咸鏡北道清津市)に移住。
1945(昭和20)年、敗戦最中に母、姉とともに羅南を脱出、朝鮮半島を縦断する決死の体験を経て、日本へと引き揚げた。帰国後、京都市内の女学校に入学。働きながら学問に励み卒業すると、京都大学で英文学を学ぶ。卒業後、米軍基地で通訳として勤務していたが、結婚し渡米。アメリカの子供たちに日本文化を伝える活動をしていた。
1986(昭和61)年に自身の体験を描いた初の著書である本書『So Far from the Bamboo Grove』を刊行。
米国教育課程の副読本として採用され、多くの子供たちに親しまれている。
1998(平成10)年にボストン図書館が最も推奨する児童文学者(Literary Lights for Children)に選ばれ、アメリカの平和団体・ピース・アビー(平和のための修道の家)より、ガンジーやマザー・テレサ、ダライ・ラマも受けたという「The Courage of ConscienceAward」をはじめ、数々の賞を受賞。
現在も、講演活動などで全米だけでなく世界各国をめぐる多忙な日々を送っている。
他の著書として本書の続編にあたる『My Brother, My Sister, and I』がある。
【訳者】都竹 恵子(つづく けいこ)
1952年福島県いわき市生まれ。結婚後、現在まで愛知県春日井市在住。
都竹学習塾 塾長。佛教大学通信教育課程 文学部英米学科2010年入学 現在4回生。
さて、
この『竹林遥か遠く』は米国内で内容の真実味、密度、感性がいいと評判になり、
1980年代に米国内の各州で中学1年生の教育副読本になった。
題名が『ヨーコ物語』
ところが発刊から20年程たって、バージニア州で突如、騒動が起きた。
韓国人中学生の母親が
『この副読本は嘘ばかりで韓国人を貶めている』
ニュージャーシー州で
2009年9月に、或る韓国人家族が
副読本から外せ、
外さないと、子供を登校させないぞ
と学校当局を脅した。
この州のパリセーズパーク市は市民の2万人の過半数が韓国系、
この騒ぎがマサチューッセッツ州へ飛び火した、
同州のドーバーシェルボーン教育委員会は
五月蠅い韓国系の抗議に対し、
あんな騒々しい連中を相手するよりは『ヨーコ物語』を副読本から外した。
そしたら今度は教師からおかしい、白人系、ヒスパニック系、黒人系も韓国人の横暴を許すなとなり、
最終的に、教育委員会は作者『ヨーコ・カワシマ・ワトキンズ』を呼び出し公聴会のようなものを開催した。
会場に姿を現した『ヨーコ』さんは当時73歳。
韓国人の罵声怒号は凄く、
それでもヨーコ女史は
『他意はなく、観たまま、記憶のまま戦争の悲惨さ無残さを伝えたかっただけ、』
と答えた。
ところが韓国人達は『謝罪するまで許さない』
会場には韓国紙特派員が沢山押しかけ、韓国領事館からも3人の外交官が交じり、怒声を張り上げていた。
韓国内でもこの騒動が伝わり、この物語が事実かどうかの検証が始まったが、
その後、あれだけ騒いだ韓国メディアはぴたりとこの物語の事には針ほども触れなくなった。
このメディアの沈黙は何を意味するのか!
この沈黙は全て事実だった事を意味する。
終戦当時、
引揚者の中の女性は何度も強姦され、妊娠し、死亡した人さえいる。
上坪隆『水子の譜』
朝鮮北部にいた小学校教師は脱出列車に乗れず、何度も強姦され、輪姦さて、妊娠した、
中絶手術が失敗し死亡した経緯がこの書に有る。
また博多港近く帰国者収容施設(二日市)は日本に帰るまで何ヶ月にもわたり強姦された婦女子達の中絶施設でも有った。
麻酔も無い時代、皆、歯を食いしばり耐えた。
その後、当時の日本の婦女子はこの事には口を閉ざし、
戦後を生き抜いた。
さて、正式な記録、
この保養所では問診で、
誰に何処で侵されたかの聞き取りが記録として残っている。
被害を受けた婦女子
総数74名内
北朝鮮引揚者37人
南朝鮮引揚者22人
満州引揚者 10人
北支引揚者 3人
等々、
その内
不法妊娠
47名
地区別に分類すると、
北鮮24人
南鮮14人
満州 4人
北支 3人
朝鮮人から犯された者28人、
ソ連人に犯された者8人
支那人から犯された者6人
米国人から犯された者3人
この施設だけでもこれだけの被害者、その他の施設、その他の門司港、舞鶴港等々
この何十倍数倍は犠牲者がいた。
これは事実、
捏造でもない。
さて、慰安婦問題、
捏造、
それを近代歴史研究家に任せ、
シッカリ精査させ、
国際社会に大きく、それも世界10数か国語で公表、
さすれば、韓国はこの『ヨーコ物語』と同じく、
何も言わなくなる。
『口を開けば、負ける』
そうなると韓国は何もなかったようにふるまう。
いいのさ、過去の戦争、
悲惨だった、色々有った、
されど、戦争で悲惨な目に遭っても何も語らず死んで行った婦女子、
日本の土も踏めず現地で殺戮された婦女子、
戦争で日本人は数百万人の犠牲を出した。
その皆様の日本人としての誇りが、名誉が回復されたらいい、
それでいい、
それがアジアの中の大人、
先進国
韓国、これまでよくも嘘で固めたな、
捏造したな、
と、喧嘩してはダメ、
全てを許せばいい。
韓国は自分の悪さには一切言及しない。
ベトナム戦争で一説には30万人虐殺、
数千人をレイプの事件も知らんぷり、
韓国の血を受け継いだ父無し孤児が沢山生れても知らんぷり、
朴大統領からして、ベトナム行ってもなんのお詫びもしない。
韓国内で正論を唱え、韓国も悪かった、
日本は悪くなかったと言えば、
袋叩き、
その常識人の救済の為にも日本政府は強く正論を!
それが数百万の英霊の為、
戦争で亡くなった皆様の為、