『また来ます。』『また来るよ』
単なる社交辞令では済まされない。
彼等が何をしたと言うのだろうか?
福島県人と言うだけで疎まれ、嫌われ、
今では復興の圏外に置かれ、置き去りにされたまま、
新年になっても何の指標も示されず、
じっと我慢している方々、
我々同じ日本人としてやらなければならない事は、この惨状に遭っている方々に立ち向かって行く力の手助けが一番、
物資やお金も必要だけど、心なんだと思う新年。
何度も行っているうちに、子供達や高齢者の方達と話すと、
また来ますね。と約束をしてしまう。
約束は守らなきゃ、政治家と一緒の外道に成り果てる。
会津には約5000人の原発避難の方々が生活している。
中には気性の荒い人、粗忽者もいる。
その評判は確かに悪い。悪過ぎとも言える。
『こんな炊き出し不味くて喰えねえ』から始まり、配給された御握りを捨てる。
まあ、なんと哀しい、されど、帰りたくても帰れない。
自暴自棄、気が荒れるのも判る。よく判る。
誰に当たる事も出来ねえ~
それは天災の津波で無くしたのならまだしも、人災の原発爆発。
保障も少なく、日々、飼い殺し状態。
置き去りにされた状態。
各町の福祉担当者はじめ役所の方々は日々苦悩、針の筵に座ってる状態。
しかし、多くの方々はとても日本人的で地味に素晴らしい人達がいます。
何度も接してよくわかります。
さて、会津は原発事故の風評被害で大変、
先ず、観光客の激減、
福島県と云うだけで、しかし、放射線量は東京等の関東より全く少ない。
東京はEランクで年間1000マイクロシーベルト。一般公衆の線量限度(人間が生活するギリギリライン)
会津は現在、毎時0.02程度、これは東京より全く安全過ぎる。
3月11日、時はまだ冬だった、北風の風向きで千葉・東京・神奈川へ原発から吹き出た放射能が降り注いだ。
要は会津は日本海が近い、北風に守られたと、言えなくもない。
次に野菜・穀物・果物が売れない。風評被害!
これは農家直撃、惨憺たる状況。関東圏内の農産物より安全なのに、福島との名を冠しているだけで売れない。
皆に言いたい。行くだけでも支援、
会津へ行きましょう。会津はいいとこです。
歴史の玉手箱みたいな街とも言えます。
行くのも支援、スキー場もいい、温泉もいい、勿論雪見の露天風呂 我々は次回は1月21・22日、
紙芝居をしに行きます。
あの子供達や高齢者の方々との約束を果たす為、
今日は後楽園ホール、ノアの試合、
見に行来たかったが、行けない。残念。