僕の平成オナペット史

少年からおっさんに至るまでの僕の性欲を満たしてくれた、平成期のオナペットを振り返る

モデル上がりのグラビアアイドル

2021-02-11 10:05:59 | 日記
 グラビアアイドルのデビュー作品が写真集からイメージビデオ(IV)にシフトしたのは二〇〇〇年代後半で、出版業界も映像作品に力を入れるようになった。業界大手の彩文館出版はIVの販売を関連会社のエスデジタルが手がけ、市場全体が写真集に比べて約千円高いIVの出版件数を増やし、出版各社は収益の拡大を図った。その分、僕たち消費者の金銭的負担は大きくなり、しかもモデルのインタビューや着衣姿で走り回る姿など実用性に乏しい作品をつかまされることも多く、自慰用素材にかかる支出は年を追うごとに増えていった。

 それでも、写真集からIVへの移行は時代の趨勢で、僕はそれに抗うことなく新作を物色した。〇六年十二月に上京し、神保町のセルビデオ店で見かけた小林優美のデビュー作「Angel Kiss~天使の微笑み~」のジャケットを見たときの衝撃と興奮は今でもはっきり覚えている。競泳水着越しに伝わる胸の立体感、露出度の高いビキニ姿、少女としてのあどけなさが残る表情に、これは絶対「当たり」だと確信した。

 すぐに購入し、僕の予感は的中。この年の年末から翌年の前半にかけて頻繁に使わせてもらった。特に競泳水着姿と水色のビキニ姿のチャプターでの自慰回数は突出していて、そのほかのチャプターも実用性を保っているという構成に、僕はすっかり感心した。そういえば、以前お世話になった古賀さゆりのIVも「Angel Kiss」シリーズだったので、そのレーベル名であるトリコの作品は信用できると思った。

 小林はファッションモデルとしての経歴が長く、十八歳でようやくグラビアデビューしたのが悔やまれる。もし小林が十五、六歳でスクール水着姿でも披露してくれたなら、僕は狂ったように自慰に耽っていただろう。デビュー作で散々お世話になった反動なのか、二作目の「優美十色」にはまったく性的興味が湧かず、その頃は小林よりも若い良質の素材が次から次へとデビューしてくるので、以後、彼女を対象に性欲を発散する機会はなかった。

 小林は〇七年に芸名を宇野優美に改めた。これはUSENの創業者一族の名字を拝借したものだが、その翌年に小林に戻す迷走ぶりを披露。グラビアアイドルとしての器量や体つきは決してほかのモデルと見劣りしていないどころか、彼女らを上回っているのに、発表したIVは三作品のみ。僕の私見だが、ファッションモデル出身というプライドの高さが、グラビアアイドルとして成長していくうえで足を引っ張ったのではないだろうか。〇九年に大手ビールメーカーのイメージガールを務めたのがキャリアハイで、女優としても端役の域を出なかった。

 それでも、寺田有希のように年齢を重ねてからなりふり構わず着エロ路線を志向したり、脛に傷を持つ元IT長者に取り入って自分を大きく見せるようなみみっちいことをしたりせず、グラビアの世界から足を洗ったのは十分潔く、それこそファッションモデル出身のプライドの高さが生かされたのではないだろうか。


美少女→着エロからの現在地

2021-02-10 17:31:24 | 日記
 僕の自慰素材はロリ巨乳系と美少女系を使い分けているが、たとえ美少女系とはいえ、ある程度の胸の膨らみがなければ性的興奮が湧かず、長くお世話にならない。僕の美少女系ルーツは高橋由美子に始まり、お菓子系、小倉優子、福愛美らこれまで紹介してきたオナペットに受け継がれている。二〇〇五年下期から〇七年にかけては、寺田有希がそこにすっぽり収まった。

 〇五年九月に発売された一作目の写真集「大好き‼」は、表紙のスクール水着姿が実に初々しく、過度な露出はないものの、当時十六歳の美少女がビキニ姿になってくれただけで、僕の性欲発散は捗った。漫画誌のオーディションでグランプリを受賞したにもかかわらず、積極的にグラビアに挑む姿勢が興味深く、寺田とは長い付き合いになるだろうと次作の発表を心待ちにしていた。

 当時はちょうど写真集からイメージビデオ(IV)への移行期で、それに順応するかのように「大好き‼」で味を占めた僕は、寺田のIVを躊躇なく購入した。最初に買ったのは「アイドル解体新書~私の取説~」で、制服やワンピースの着衣姿で性欲を昂進させたのち、ビキニ姿のチャプターでペニスを強く刺激させ、射精へと導く。今でもヤフオク!に出品されている当該作品のジャケット写真を見ても、ビキニブラトップから覗える胸の膨らみに軽く興奮してしまうほどだ。

 次作の「99%」「摘みたての朝」も買った記憶はあるが、徐々に露出が控えめになり、捨てチャプターいわゆる実用性に乏しい映像が増えてきたので、「大好き‼」や「アイドル解体新書」ほどの満足感が得られず、それに次から次へと寺田並みかそれ以上の器量とスタイルを持つ新人がデビューしてくるので、彼女への性的興味も薄れてしまった。〇〇年代はグラビアアイドルの新陳代謝が本当に激しかった。

 寺田は髪型を変えたり、着エロ路線を志向したりとグラビアの仕事を続けてきたが、それも女優の仕事が軌道に乗れなかったゆえの反動と言えよう。かといって手ブラやセミヌードを披露しても、それで歓喜するのは寺田のファンだけで、彼女をオナペットとしてでしか見ていない僕にとっては、「ああ、年を取ったんだな」と痛々しさが残るだけだった。

 大手芸能プロダクションから独立した(クビになった?)寺田は、今では堀江貴文に取り入って食いぶちを稼いでいるようだ。SNSでやたらとフリーランスを強調して、「対峙力」なる著書も出版。堀江とつるんだおかげで、手ブラ女子からベンチャー女優なる意識高い系女子へと様変わりできた。SNSで公開している寺田の表情や佇まいは、情報商材のような胡散臭さが垣間見え、「大好き‼」の頃しか知らない僕からすれば隔世の感がある。それは夢だけを追い続けていた少女から手練手管に長けた女性に良くも悪くも成長した証であって、芸能人としての執着心が強いことの表れでもある。たとえ脇道へと大きく逸れていても……。



実用性を欠いた写真集~永岡真実編~

2021-02-09 16:30:34 | 日記
 写真集市場において、高校生世代のグラビアアイドルのデビュー作を率先して上梓した彩文館出版には、僕もこれまで大変お世話になったが、中には「はずれ」を引いて即古書店行きのもあった。自慰を始めても性的興奮が高まらない、いわゆる実用性を欠いた作品で、素材としては歴代のオナペットとひけを取らないはずなのに、撮影時の衣装や演出に興ざめしてしまい、自慰回数が増えるどころか、その作品を使うのも嫌になるほど、僕の中では駄作と位置づけられた。

 二〇〇五年七月に発売された、永岡真実「真夏の実」がその一つだ。当時、僕がどうやって永岡を知ったのか覚えていないが、おそらく雑誌のグラビアで写真集発売の告知があって、そこから興味を持ったのだろう。まだ十五歳なのに成熟した体つきで、僕の期待度は急速に高まったが、いざ手にしてページをめくってみると、あまりの実用性の乏しさにがっかりしながらも、何とか所期の目的だけは果たした。

 「真夏の実」がなぜ実用性に乏しかったというと、本作品での永岡の表情や佇まいからエロチシズムが感じられなかったからだ。たとえ胸が大きくても、あまりにも外見が幼すぎて、大人への背伸び感がないままで被写体に収まったから、汚す側としては感情移入に戸惑った。所属プロダクションの指導や撮影現場の雰囲気でいくらでも変われるはずなのに、当時の永岡は運動選手が水着を着ているように見えて、僕の股間も反応するのに手間取った。

 以降、永岡はコンスタントに写真集とイメージビデオ(IV)を発表したが、僕は一作目の負のイメージから脱しきれず、それにロリ巨乳系は彼女だけでなく、ほかにも逸材が揃っていたので、僕の視界には入らなかった。ただ、YouTubeで永岡の着エロまがいの挑発的な動画がアップロードされているのを見て、その片鱗を一作目でも見せてくれればよかったのに、と「真夏の実」を買ったときの苦い記憶を思い出した。

 あの頃は石井めぐると滝ありさの双方で自慰回数のマッチレースを繰り広げていて、そこから大きく引き離された形で疋田紗也らが追走。完成度の低いロリ巨乳系が入り込む余地はなかった。むしろ永岡と同学年で、この年の九月にデビュー作「大好き‼」(彩文館出版)を発表した寺田有希のほうが僕にとって実用性に富み、翌年にかけてもIVを購入するほど性欲発散に寄与してくれた。寺田については、いずれ本稿で取り上げなければならない。

 購入前の期待度が高かったわりに、中を開いてみるとコレジャナイ感が高かったのはIVに顕著で、写真集は少ない。だからこそ、実用性に乏しい作品とモデルは十五年以上経った今でも鮮明に覚えている。表裏の表紙や帯の写真を十分確認して財布の紐を緩め、自室に戻って外装ビニールを破り、数ページめくったときにふつふつと湧いてくる違和感を溜め込みながらも、何とか射精に導こうとしたのは、約三千円分の対価を得るための作業だったのではないか。


約十五年ぶりの“再会”

2021-02-01 16:16:51 | 日記
 ビデオ・オン・デマンド(VOD)のサービスプロバイダーは、電子書籍も取り扱っていて、そこには二〇〇〇年代に活動したグラビアアイドルの写真集が安価で提供され、僕が二十代後半から三十代前半にかけて散々お世話になった彩文館出版の作品も含まれている。僕はキー局が運営するVODの有料会員で、毎月千円足らずの会費で千三百円相当のポイントが還元される。これを利用して、僕は約十五年ぶりに滝ありさの一作目「ありんこ」と再会した。

 グラビアアイドルの写真集でもっぱら自慰にいそしんでいた当時は、自室に五冊程度を敷布団の下に忍ばせ、そのときの気分によって素材を選んだ。どういうわけか、六冊以上所持しているとうしろめたさを覚え、飽きてしまったり、久しく使っていない作品は古書店に買い取ってもらった。一度放出した作品をまた使いたくなることもしばしばあり、買い戻して再び楽しんだ。

 だから、「ありんこ」も他作品との兼ね合いに加え、DVDへのシフトによって使う回数が減っていき、いつの間にか古書店へ放出してしまった。僕は滝のファンではなく、彼女をひたすら性欲処理の対象としてでしか見ていなかった。滝にかぎらず、お世話になった幾多のグラビアアイドルにも言えることで、それゆえにソフマップなどで開かれるイベントに馳せ参じようとは全然思わなかった。

 さて、久しぶりの「ありんこ」だが、いつも読破するまで四、五回は射精していた〇五年六月頃からの記憶が懐かしくよみがえってきた。表紙をめくり、まずはトラックに佇む水色基調のビキニか、水色一色のビキニで一回目の射精に至り、次はオレンジのビキニで二回目に挑む。ここは布面積が小さめで、胸の立体感が露わなのでとりわけ興奮した。それから赤かピンクのビキニで三回目に挑戦。四つん這いで尻を突き出しているピンクのビキニ姿に再び激しく興奮し、白のワンピースか黒のビキニで四回目、体調が良ければ白かワイン色のビキニで五回目のフィニッシュとなった。

 僕にとっては非常に実用性に富んだ作品で、中盤の制服姿やキャミソール姿でも性的想像力を働かせながら各種ビキニ姿で気持ちよく射精できた。どのページからでも僕の股間はみるみるうちに熱くなり、手っ取り早く自慰を済ませたいのなら「ありんこ」の一択だった。さすが単独の作品として最多自慰回数を記録しただけあって、やはりもっと早く滝がデビューしていたら、と今になっても悔やまれる。

 自慰用媒体がイメージビデオ(IV)に移行して十年以上経ち、また僕自身加齢による性欲の衰えもあってか、三十代前半のように「ありんこ」で狂ったように自慰に励むどころか、再会してからまだ一度も使っていない。しかし、簡単に手放してしまった写真集と異なり、電子書籍はサービスプロバイダーの運営が行き詰らないかぎりはずっと保存されるので、機会があればぜひあの時のように性欲を発散させたい。