僕の平成オナペット史

少年からおっさんに至るまでの僕の性欲を満たしてくれた、平成期のオナペットを振り返る

人生初の成年コミック

2022-10-23 12:27:48 | 日記
 平成時代の自慰用素材を振り返ると、高校生世代のグラビアアイドルの写真集とイメージビデオへの依存度が圧倒的に高いので、アダルトビデオ(AV)や成人向け漫画について詳しく綴ることができない。AVは学生時代によくお世話になったが、「お菓子系」との邂逅で徐々に性的興味を失い、二〇〇〇年以降に活躍した女優の名前は耳にすることはあるものの、それらの作品を一度も見たことがない。

 成人向け漫画は、高校一年の時に同じクラスの男子学生から「ANGEL」の単行本を借りて、その露骨な性描写に激しく興奮したものだが、自分からそれを買おうとは思わなかった。その後も「漫画エロトピア」の掲載作品や「ヤングアニマル」に今でも掲載中の「ふたりエッチ」で性的想像力を働かせたこともあったが、どれも複数回用いるには違和感があり、写真集の箸休めにすぎなかった。

 それでも、僕の人生で最初に買った成人コミックのタイトルと内容は、今でもはっきりと覚えている。八八年初版の「いけないエチュード」という作品で、僕はそれを中学二年か三年だった頃に近所の書店で買った。外見が老けていたからなのか、それとも売り上げが欲しいために書店員が売ってくれたのか、三十年以上経った今でもよくわからない。当時は成年コミックの表示がなかったが、大手出版社の単行本と隔てる形でレジ近くに置かれていた。

 どの作品も立ち読み防止のポリエチレンで包装されているので、表紙と裏表紙だけで自慰用素材にかなうかどうか判断するしかない。「いけないエチュード」は主人公と思しき少女の水着姿が表紙に、セーラー服姿が裏表紙にそれぞれ描かれていた。性的嗜好は昔も今も変わりはない。同作品は短編六本と長編一本が収録されていて、表題作の長編「潮風のエチュード」の性描写に、中坊の僕は性興奮することしきりだった。

 あらすじを簡単に綴ると、歌手デビューが決まった主人公の女子高校生が同じクラブの先輩と海辺の別荘で初体験を済ます。その後、レコード会社か芸能プロダクションに出向くのだが、そこで複数の男たちに輪姦され、ビデオまで撮らされる。万事休すかと思いきや、突然一人の男が現れて彼らの狼藉を収録したテープを渡され、最後は何事もなくデビューを果たすことになる。

 まるでケータイ小説のような急展開の御都合主義だが、当時の僕は主人公が浴室で先輩と前戯から性交に至る十ページほどの描写に何とも言えぬ生々しさを感じ、受験勉強と部活動の合間を縫って自慰にいそしんだ。とにかく先輩の前戯がいやらしく、ペニスをしごかせたり、主人公の名を連呼しながら乳房に吸いついたりと、今でも強く印象に残っている。性交のシーンでは、性器のディテールが描けない代わりに陰茎が膣内に挿入される女性の下腹部の断面図が描かれ、読者に性的想像力を喚起させようとする作者の意図が感じ取れた。

 版元の司書房は、成人雑誌では名の知れた存在だったようだが、出版不況のあおりを受けてなのか、〇七年に破産。作者のGEN小笠原も「いけないエチュード」以外の発表作が検索できず、同作品ももはや知る人ぞ知る作品としてここに書き留めておきたい。

児童ポルノ法と商業作品~後編~

2022-10-19 18:49:12 | 日記
 児童ポルノ法の施行から改正に至るまでの約十五年間は、皮肉にも日本の出版史において十八歳未満のグラビアアイドルの商業作品が最も多く発表され、当時二、三十代で性欲が旺盛だった僕もそれらのお世話になった。少女ヌードの愛好者には同法施行がゲームセットだったにちがいないが、裸よりも水着姿に激しい性的興奮を覚える僕にとって、結婚適齢期を逃しても決して後悔することのないほど恵まれた時代だった。

 法改正によって、児童ポルノの商業作品は新作が発表されなくなったものの、改正前の作品は古書店に行けば手に入るし、インターネット上でも視聴できる。少女ヌード写真集は国会図書館でも閲覧できなくなったようだが、グラビアアイドルの写真集やイメージビデオはそこまで締めつけられていないから、ネットオークションでも普通に出品され、今もなお売買的価値を持ち続けている。

 僕もそうだが、国内外の児童ポルノ愛好者は、児ポ法施行から改正までの約十五年間に発表された作品に執着し続けているのではないだろうか。愛好者と一口に言っても、ジュニアアイドルの過度な露出を好む者もいれば、僕のように高校生世代のスクール水着姿で満足してしまう者もいる。愛好者の性的嗜好はそれぞれ異なるのに、法律はそうした多様性を一切考慮に入れず、十八歳未満と一括りにして「殊更に性的な部位が露出され又は強調されている」の一文が追加され、出版社と芸能プロダクションも新作の発表に及び腰になってしまった。

 新作の写真集やイメージビデオが発表されないことは、かえって過去の作品が過大評価され、いつまでも需要に応じて拡散されていく。それが果たして健全と言えるのか。女優やタレントになる夢が叶わず、すでに芸能界から足を洗っている元グラビアアイドルにとって、自らの少女時代の仕事が動画サイトに勝手にアップロードされ、卑猥な書き込みが綴られていることは嫌でたまらないだろう。新作が間断なく発表されれば、新陳代謝によって旧作の知名度と執着度が低くなり、やがて忘れ去られていくにもかかわらず、今はそれがないから旧作の過大評価が続いている。

 また、法改正にもかかわらず、玉田志織や沢口愛華、南みゆかのように大手の出版社と芸能プロダクションが十八歳未満の少女に水着の仕事をさせ、あまつさえ写真集も発表しているのに、所管官庁や人権団体から何の指摘もなく見逃されたのは何とも不思議で、それならカテゴリーリーダーの彩文館出版も摘発を恐れずに追随してみてはどうだろうか、と言いたくもなる。

 繰り返しになるが、児ポ法施行から改正までの約十五年間で、日本は児童ポルノ大国となり、その間に発表された数多の作品が今日でも売買的価値を持ち続けている。外国人旅行者の中には、児童ポルノの作品収集が訪日目的なのもいるはずで、それならいっそ児ポ法の厳密化を見直して再び新作を発表する市場環境のほうが経済効果も上がるのではないか。それもまたクールジャパンの構成要素の一つなのだから。

児童ポルノ法と商業作品~前編~

2022-10-16 11:44:37 | 日記
 二〇一四年の児童ポルノ法改正に伴い、十八歳未満のグラビアアイドルの商業作品、いわゆる3号ポルノはめっきり発売されなくなった。動画配信大手のDMM.comも改正前に発表された作品の販売を見合わせており、かつてはそれらを収益の柱にしていた出版社や芸能プロダクションは、国の法改正に抗うことなく、自ら育ててきた市場をいとも簡単に切り捨て、“合法ロリ”などとごまかして十八歳以上の何の性的リアリティもない作品を発表し続けている。

 児ポ法厳密化の要因は、〇〇年代から顕著になった低年齢化、いわゆるジュニアアイドルの商業作品の増加で、小中学生に布面積の小さい衣装を着させ、それがインターネットを通じて日本だけでなく、海外にも広く知られるようになった。高校生世代についてもグラビアアイドルというサブカテゴリーの確立によってプロダクション間の競合が激化し、「殊更に性的な部位が露出され又は強調されている」作品が増えていき、監督官庁や人権団体に目をつけられてしまった。


 そもそも、児ポ法は海外への児童ポルノ流出と、当時社会問題化していた援助交際を防止するために、九九年に施行された。それによって、僕が愛読していた「クリーム」などのお菓子系雑誌の掲載モデルは十八歳以上に限定され、コンテンツとしての魅力を失った。英知出版の「すッぴん」のように成人雑誌に様変わりしたあげく、休刊に追い込まれたのもあるが、どういうわけか〇〇年代になって十八歳未満の商業作品は雑誌の域に留まらず、写真集やイメージビデオ(IV)へと市場規模がどんどん広がっていった。

 法施行の本来の目的だった児童ポルノの海外流出は、ネットの普及により防ぐどころか際限なく広がっている。写真集とIVの総出版数は、施行前に比べて施行後から改正までの約十五年間のほうがはるかに多いはずで、それらが今日でもネットで手に入る。たとえ新作が発表されなくても、改正前の作品のほうが性的な部位の露出度が高いのだから、愛好者はそれらを楽しめば事足りる。また、援助交際は「パパ活」に名が変わっただけで、何の防止効果も見られない。

 児ポ法施行当時、僕は十八歳未満の少女の水着姿を掲載した出版物がなくなってしまうのでは、と本気で危惧し、それならそれでしょうがないと、十八歳以上のグラビアアイドルも自慰の対象とみなした。高校生世代を素材に用いたくなったら、神保町の荒魂書店で定価の四、五倍もする「クリーム」のバックナンバーを買った。しかし、そんな不自由は半年も続かず、漫画誌の巻頭グラビアを飾った当時十六歳の宮地真緒の水着姿でお世話になり、翌年には小倉優子がデビュー作の写真集を発表してくれた。


 法施行によって息の根が止められたのは、中小出版社が手がけていた少女ヌード写真集で、水着を含む着衣の作品はかえって増加の一途を辿った。それらは雑誌や写真集といった紙媒体から、ネット上で簡単にダウンロードできる映像媒体に替わり、改正前の作品を販売する怪しげな国内外のサイトが存在するなど、今もなお商業的価値を持ち続けている。商業作品と援助交際にかぎっては、児ポ法は何の防止効果も果たしていなかったのである。

実用性を欠いた写真集~鈴木繭菓編~

2022-10-13 15:22:04 | 日記
 書店で売られている写真集は、ポリエチレン包装で売られているので、あらかじめ立ち読みで中身を知ることができず、表紙と裏表紙、帯の画像で自慰用素材にかなうかどうか判断するしかない。購入後に包装を剝がし、早速自慰を始めるのだが、数ページめくっただけで性的興奮が最高潮に達する作品は当たりで、繰り返し用いられる半面、最後までめくっても射精へのマネジメントが難しい作品ははずれとなり、すぐに古書店送りとなった。

 先行発売された媒体で幾度となくお世話になったグラビアアイドルが写真集を発表するときは、その期待で下半身も大いに膨らむが、こういう場合にかぎって駄作を掴まされるケースが多かった。僕にとって、写真集とは自慰以外に使用目的はないとみなしているが、作り手の中には実用性よりも芸術性を追求する御仁もいるようで、モデルに水着を着させても、消費者に性的興奮を全然昂らせない仕上がりでがっかりさせられる作品もある。

 二〇〇一年から翌〇二年にかけて放送された「ウルトラマンコスモス」で、女性隊員役を演じた鈴木繭菓の写真集「まゆかのま」もその一つだ。ウルトラマンシリーズの熱狂的ファンでもない僕が、書店で見かけた円谷プロダクション監修のムックを買わずにいられなかったのは、巻末の鈴木の水着グラビアを自慰用素材に用いたいと思ったからだ。同書は出演者とスタッフのインタビューや作品のストーリーを紹介するなど、同番組のファンにとっては必見の内容だが、僕はそれらにはいっさい目もくれず、ひたすら鈴木の水着姿で性的興奮を高めた。

 ムックの数ページ程度のグラビアではなく、写真集でも出してくれたら、という僕の願いがかなう形で、〇二年三月に「まゆかのま」(角川書店)が発売された。しかし、全編を通じてグラビアアイドルというよりもファッションモデルの佇まいで被写体に収まっている鈴木の姿に、僕はどうやって性的興奮を高め、射精に導かせるのか苦慮することこの上なく、それでも大枚をはたいて買ったのだから元を取らねば、と性的想像力を膨らませながら、何とか射精に至らしめた。そしてすぐに古書店で買い取ってもらった。

 同年代の女性には喜ばれそうな仕上がりだが、最初から自慰目的で買った消費者にとっては残念で仕方なく、作り手の悪意のようなものすら感じられた。ただ、善意に解釈すれば、発表当時はウルトラマンコスモスがまだ放映中で、視聴者にストレートな性的対象と見なさせないように作り手が配慮したのかもしれない。もっとも、先行発売されたムックでは何度も繰り返しお世話になるほど、鈴木は性的アピール全開だったのだが……。

 鈴木はその後もグラビアアイドルとして活動したが、僕は「まゆかのま」での失敗体験から、彼女を自慰用素材に用いることはなかった。高校生世代の新人が次から次へとデビューしてくるので、自然で健康的なエロティシズムよりも芸術じみた“意識高い系”的な見せ方を追求する鈴木への興味は薄れた。しかし、ムックを立ち読みしたときに鈴木の水着姿で激しい性的興奮を覚えたのは、二十年以上経った今でも記憶が残っているので、ここに書き留めておきたい。

忘れていたオナペット~五ノ井ひかり編~

2022-10-08 13:02:56 | 日記
 二〇〇二年から〇七年にかけて、僕は「オナニーを科学する」をテーマに、各年の自慰回数を記録してきた。人生最多だったのは〇四年で、一日の平均回数が二回を超えるほど性欲がみなぎっていた。高校生世代の美少女がグラビアアイドルとして間断なくデビューして写真集を発表し、水着姿を惜しみなく披露してくれたので、僕の下半身は安息が与えられなかった。

 射精のたびに、僕はどの素材で何回自慰したのかを把握するために、銀行でもらった粗品のメモパッドに素材の名前とその右に「正」の字を書いていった。そのデータはパソコンにも保存しておいたが、外部に流出してしまったら恥ずかしいと思って全部削除した。だから、当時オナペットとしてお世話になったグラビアアイドルは今でも記憶に残っているものの、中にはその写真集がいつ発売されたのか忘れてしまったのもある。

 また、彩文館出版や竹書房は自社のホームページから過去の作品の目録が見られるが、版元の中にはすでに倒産したり、他社に事業譲渡したりしたため、二十年以上前に発売された作品のモデルや発売年月を知るのが困難なのも、僕の自慰遍歴の記憶が曖昧になっている要因の一つだ。

 〇〇年代中盤にグラビアアイドルとして活動した五ノ井ひかりも、写真集を買うほど僕の下半身を夢中にさせてくれた一人だが、僕はてっきり彼女が川村ゆきえや石井めぐるよりも前にデビューしたものだと思っていた。しかし、五ノ井の一作目である「ピカ」(英知出版)が発売されたのは〇五年四月で、川村たちよりも後に写真集を発表したことになる。先述のとおり、〇四年は人生で最も性欲がピークに達していた時期で、翌〇五年は前年に比べて自慰回数が百回ほど減ってはいるが、それは転職活動と転職による環境の変化によるもので、以後〇七年まで右肩下がりとなった。

 僕にとって〇五年の初めは、ちょうど石井と滝ありさの狭間にあたり、以前紹介した疋田紗也や松山まみとともに、五ノ井も当時の自慰戦線に名を連ねていたことになる。高校生世代とは思えない豊満なバストに幾度となく性的興奮を最高潮に導かせたが、石井や滝に比べて自慰回数が少なかったのは、彼女たちが見せていた健康的な肢体の美しさが五ノ井には足りなかったからで、単に胸が大きいだけではオナペットとして何十回も繰り返し用いるのに難があった。

 五ノ井はイメージビデオをいくつか発表し、二作目の写真集「ピーチぱい」で着エロに転向。高校生世代を過ぎてもメジャーになれないグラビアアイドルのお決まりのコースを歩んだが、本人のブログやSNSを拝見すると、水着の仕事をやめてからは歌手活動に取り組み、一二年にはCDデビューを果たしている。今でもフリーで芸能の仕事と接点を持ち続けているようで、八月にはブログも更新している。コロナ禍で営業の依頼がめっきり減っていると思われるが、お世話になった身として今後も息長く活動することを切に願っている。