月刊!山岳民族 2005年1月号「はなみず君のそんなことどうでもいい。」

2005-09-27 21:47:05 | はなみず君でコラム
 新年にあたり、こういったコラムを新設しようと思った。
 

 自惚れて言えば、『山岳民族』は情報を発信している集団なわけで、やはり社会に対して集めた情報を元に確固たる意思で「提言」をしていかなければならないと、血迷った。

 これを社説と呼ぶには相応しくないが、編集委員が聞いたこと、学んだことを無理やり時事に合わせて、さも、「自分で考えた風」を装うコラムである。著作権等々の問題は笑って無視して頂きたい。

 ラヂカルな意見をはっきりと言うときもあるかもしれないので、「はなみず君」というキャラクターを設定した。「言いたいことは他人に言わせる!」これは最近の小学校3年生課程で教わるメディアの基礎だ。したがって、勿論!はなみず君は実際には存在しない。では、初回を飾るテーマは・・・、

近代人と狩猟採集民族はどっちが素敵か?
 シンプルライフを実践する上で、やはりテクノロジーを如何にして受け入れていくかは、これ、結構大きな問題である。様々な民族と出会う度「一体、どちらが幸せなのか?」と大いに悩んだ。自分の笑顔がどれ程かは判らないが、彼らの笑顔を見て、「あんたら、カッコイイよねぇ・・・渋いねぇ・・・」って思う
ことがあったしね、だからこの問題を見直すことにした。
 

 話は飛ぶ。私は鈍行列車での旅が大好きで、何処へ行ってもなるべく鈍間なトランスポーテーションを選ぶ。予測できない事態を待ちに待って、途中下車のタイミングを待ちに待つ。学生の頃は帰省においてまったく新幹線を利用しなかった。「特急券は時間と引き換えるもの!」と決め付けていたのである。

 早く着けばその分到着地での時間が増える。その為に移動時間をロスと考える、そんな「考え方がある」と思っていた。

 じゃあ、僕は移動時間を楽しむぜ、ってな具合だ。
 
 なるほどそうすると、すべてのテクノロジーは「余暇」を得るために開発されたのではないかと思えてくる。洗濯機も同様にして発明され、短縮した仕事に要する時間は最終的には「余暇」として利用される。それは昼寝だったり、社交ダンスだったり、パワーヨガだったり、養老の滝での合コンだったり、ミニ四駆だったり、拉致だったり、発声練習だったり、水行だったり、結婚式だったり、和平協定調印だったりする。情報収集は、活字媒体から映像媒体へ、より効率的に進化しているし。 生活全般がテクノロジーの恩恵を享け切った感もあるけども。

 しかし!我々は何と!更に余暇の余暇をすら求めている。

 これって、とってもナンセンス!だと、思っていた。

「恩恵を享けた余暇を如何にして有意義なものにするか?」を考えなければいけない時代に来たんじゃねーの・・・?って、思っていた。
 
 しかし、間違っていた。まず、「人類は余暇を求めて頑張ってきた」 これが大きな間違い。狩猟採集民族が農耕を始めるとき、余剰食糧は求めていたけど余剰時間は求めていなかったらしい。実は人類は「もっと忙しくなりたかった☆」確かにね、余剰食糧で余暇を潰したら、イノシシを獲って一週間食べて寝て過ごすだけの狩猟採集民族と変わらない。

 そう実際は、狩猟採集民族の方がヒマだった!徹底的したその日暮し、刹那的な快楽を満喫していたのはむしろ、彼らの方。

 自動車についても間違っていた、自動車が開発された時、アメリカの話。やっぱり、クルマは要らないものだった。これ当たり前の話で、昨日まで無くても社会活動になんの影響もなかったわけだし。
 
じゃあ、何故こぞって皆がクルマを買ったか?
 これって、一つの答えじゃないのかな・・・。
「速く走るのが気持ち良かったから」らしいです!歩いて見える景色はクルマで走るとき見落とされている、というのは有名な話だけど、歩いているときは高速移動の快感は得られませんね。当時のアメリカは、高速移動の快感(新しい快感)が圧倒的に勝っちゃったわけです。見直してみると、そうですね。飛行機・・・何か、それだけでワクワクする。こうして考えてみると、テクノロジーを使うことって、時間を更に細分化して快感を得る作業なのかもしれない。それを使いこなす為に必要な時間的犠牲(習得する為の時間)を払っていることを考えれば尚更しんどい思いをしているのだから・・・その先には快感がなくてはならない。
 

 乱暴にまとめると。きっと、忙しくなることって快感なのだと思う。失われた笑顔は快感と引き換えに犠牲になったもので、大した犠牲ではないのかもしれない。後はバランスの問題で取り返すことは可能なのではないかは、分からない。忙しくなる為のテクノロジー、んで、そこで得られる快感。快感と引き換えに失われていく原風景(動かないもの)。多分、僕等は走り続けていて止まれないと確信しているから、そういうのに憧れる。僕等が【美しい】と感じるものは、風景の中で「静止」を感じさせるもので、動かないから、憧れる。お粗末。 (了)


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