「ハナシタカッタ、コト」:国際貢献という名の記号について

2007-05-27 23:10:04 | はなみず君でコラム
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「そったな、難しいこと、オラ、わがんねっ!」


 それでいいのだと思う。田植えをしている人を捕まえて、今の世界の現状を訴え、打開策を提示したところで何の同意も得られないだろう。ただ、狭い世界で生きている人を、侮ってはいけない。「知らないだけだ!」と、蔑んだら…もっと、いけない。

 そこにはほぼ完成された世界があって、それ以上を求めなくてもいいから、こうやって田植えを毎日しているのかもしれないんだ。すべては僕の幻想だとしても、なかなか素敵な画だと思う。

 もともと、グローバルな視野というものは存在しない。グローバルな人間なんて、「クソ喰らえ!」なんて、思う。如何なる場所であっても、その瞬間に人がそこに居るならば、そこに人は生きている。それらを、すべて分かったような話をする人は、軽薄を体現している。分かるわけが、ない。

 国際貢献なんてものは、幻想だと感じる。
 外交上、国家としての体裁を保つ為であったら、それは嘘でも、必要なことだとしても、そんなのはどうでもいいけど…。例えば個人からなる集団が「何かに駆り立てられる」的de活動している場合なんかは、「貢献という記号で結束しただけの」団体だと思う。

 
 なんでだろう?なんでだろう?

 相手は、有難がるかもしれないが、それを元から期待してはいなかった。個人からなる異国の集団に期待はしない。向こうもこちらを知らないのだから。どうせなら、生霊とか神に頼るだろう。


 知らなかったら、やらないんだ。知ってしまって、「どうにかしなくちゃ!」って、テンションが上がったから、やるってもんだ。知らないままなら、やらない。そんな妄想を膨らませている人なんてまず居ない。極端な話、隣の家で人が死んでいても、知らなければ、知らないままなら、楽しい生活を送れる。


 と、なると。貢献という記号の中身はなんでっしゃろ?


 僕は、『自己満足』だと思うのです。 「居た堪れなくなった!」いいです。それ、いいです。しかし、居た堪れなくなったのは、あなたです。「何か自分にでも出来ることはないか?」 素晴らしいことだと思う。ただ、その気持ちを発しているのは、あなたです。

 じゃぁ、何が出来るか?


 自分が満足すること、を、すればいい。それが第一義だと思う。

 結果や、評価に囚われず、自分がやって気持ちいいと感じることをやればいい。


『国際的』なんてもんは、記号に過ぎなくて、結局は自分の問題だ。知らなかったら、やっていないのだから。知ってしまったから、(仕方がある、なしに関わらず)やることだから。


 だから、田植えをする人には、伝わらない。伝えても、仕方ない。その人は、自分の口に入る米を作っているのだ。一生懸命作っているのだ。

 周りの人間の口に入るものを作る。それ以上、正しいことはないでしょう。世界の裏側で何が起こっていようと、それは絶対に正しいことだ。知らないから、教えるってのは、違うと思う。まずは、自分が満足することでいい。


 そんなこんなで…、まとめると、『貢献』とかいうのは、根底にあるのはその人の欲求だということ。そして、その欲求を満たすことは間違ったことではないということ。そして、その欲求は、他の人には決して100%は伝わらないものだということ。「知っているから…」と言うのは、その人の『知性』に依るものではなくて、『運』に依るものであるということ。そして、米を作ったり、野菜を育てたり、家畜を飼育したり、魚を捕ったりしている人は、それだけで、偉いのだということ。

 




 ややヒステリックに、こんなことを思っています。ってか、改めて考えてみたんです。とてもいい機会でした。多分、僕の考えることだから殆どが間違って居るのかもしれないけど、それはゴメンナサイ。書いちゃいました。

 でも、悪い話でしょうか…?


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 編集後記:こんな話では解決しない問題がある。結構、わんさか、ある。例えば、環境問題とかは、皆が一丸になって取り組まなければならない問題で、次の世代とか…やっぱり大事だと思う。ここで、話したかったのはスタート地点のスタート姿勢なんです。『無関心』の話では決して、ないのです。分かってもられるとよいのですが…。



 


 

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7 コメント

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ちわ (千葉の青年)
2007-05-28 18:16:57
 う~deepな話ですね~賛否両論だと思うのですが
僕は、同感です。
 小さい話ですが、綺麗なビーチに使い終わった花火が目に入って来たら 「あ~今日も自分のお役目が果たせると、ただただ感謝して片付ける」、与えられた任務を全うする喜びを見つけた時(居た堪れなくなった時)その事に、無、邪気に行動する。至福の瞬間!
絶対的な自己満足だと思います。
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花火を片付ける。 (はなみず)
2007-05-28 23:05:42
おっ!?コメント、アリガトウ!!

花火云々、とても良い例えです。

何でもそうですが、押し付けちゃいけない。押し付けられると、僕は引く。でも、こうやって書いてみたことも、押し付けになってしまう可能性があるところが、今回のポイント。「じゃあ、押し付けではないよ」と言っておかなければいけない。言っておくのを忘れたから。

「やりたいことを、やれる分だけ、やればいいのだ!」と言ってしまっても、大丈夫だよね?

言い方の問題なんだけど、それ以上はできないからさ。皆が知っている人生のマニュアル。『やりたいことを、やれる分だけ、やればいい!』

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ちわ~ (千葉)
2007-05-29 00:04:23
 「絶対的」は、言い過ぎました・・・
そもそも絶対なんてのは、ないのかも?!
 色々な意見を止揚していけば良い方向に行くのかも?
 「やりたいことを、やれる分だけ、やればいい」
う~ん いい響き♪ 
 浅い様で深い 簡単な様で難しい様な・・・
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ルワンダ・ルワンダ! (くど)
2007-05-29 00:30:36
 せっかくの応酬に割って入~る!

 最近、映画『ホテル・ルワンダ』を観ました。

 中身は…

 とにかく観て!

 ルワンダの民族紛争で、国際世論に訴えようとするルワンダの民に、イギリスのジャーナリストが言うのです。

 『それは期待しない方がいい。たぶん画面を通じて紛争の悲惨な様子を見ても、その先の人は皆、”ひどいね”で終わる』…みたいな。

 国際貢献で何ができるか!そう考える前に、大玉転がしをして人生を楽しむことがいいと思ったりしてね。消費主義に抗ったりしてねぇ…

 雑駁か
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連スレすみません (千葉の青年)
2007-05-29 13:34:39
 何年か前にルワンダを映画館で観た時の話、隣のポップコーン片手のお姉ちゃん達の会話 「ジャン・レノ渋いね!!」その横で僕は、「なかなかいい音楽使っているな~?」なんて考えている・・・
 結局、ルワンダもソマリアもオグリッシュ.コム(Live Leak.com)も平和ボケしている僕にはリアリティーが無い。
しかし、無関心ではダメだとも思う。
国際貢献だとか大きくて難しい話は解らないが
「やれる分だけ やる」それがバタフライ現象となる事を願いつつ・・


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世界規模で自分を見直す、機会? (はなみず)
2007-05-29 18:05:13
そんなところなら、いいのかも知れない。自分の生活は、こんな地球が支えているんだ!って、思えれば。僕は無理だ。ガソリンの値上がり時歯科、世界を意識出来ない。また、そこまでの頭がない。時間も割けない。

ここで、川柳でも詠んでみよう…。

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新聞を 隅まで読んで 引き籠り

悲劇の図 余計に感じて 引き籠り

現実を 早くに見限り 山籠り

^^^^^

意味のない、歌だな。まあ、いいや。


映画は映画だ。消費社会に歯止めをかける事件にはならない。僕らの生活と彼の地の生活、当然時間を同じくして進んでいる。どちらかが止まればいいのだろうけど、不可能でしょ?

悲しいかな…、ショックを受けても、数時間後には元のスケジュールに戻っている。家に帰って、泣くことも出来ない、それが現代の生活だったりする。


乱暴な文章を書いたのは僕だけど、複雑な問題だ。何とも、何も言えなくなってきたよ。少し、反省している。
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Eねっ (くど)
2007-05-31 09:56:07
いいなぁ、すごくいいなぁ。

3連川柳すごくいい。

かっこいいやら、うらやましいやら。

負けずに投句

妄想の 世界膨らみ 閉じ籠もり

自堕落!
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