こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

至福

2016年10月21日 01時02分24秒 | 文芸
シェフ~三ツ星の給食の第2弾。
いいですね。気分がスキーッとしました。
給食のルールを守り
最高にうまい料理を作るって、
まさに調理人の夢ですね。

まちライブラリー、開設を申し込みました。
「ジブリの森風の
ちいさなちいさな林と
自然の中のちいさなちいさな田舎家に
本と本を通じて
ひととひとの絆を見直しましょう」をコンセプトにしました。
あとは計画のレイアウト化です。
(すこしビビってます)若くないもんね……。

娘が孫娘を連れて里帰りです。
今回は日曜までの滞在。。

すこし進展がありました。
娘が買い物に出るので、
夫婦二人が赤ちゃんを預かる格好に。

泣きました。母親を求めてハイハイしまわります。
まるでワンちゃんのように、
母親が足を運んだ場所を求めて、ハイハイ!
玄関、トイレ、ふろ場……本能かな?
それにしてもすごい。
少し離れて見守っていて、
アセアセの赤ちゃんに
「○○ちゃ~ん」と呼び掛けてみました。
すると!
赤ちゃんはピタリと止まりました。振り返ります。おじいちゃんを見つめます。
「ほら、こっちだよ」と手を差し伸べてやると、
なんと!
ハイハイで私の両手の中に飛び込んできたのです。
抱いてやると、安心したようにすがりつきます。
「すごい。おじいちゃん認めてもらったよ」
妻の言葉なんか耳に入らないぐらい、胸キュンです。
これまで呼び掛けては泣かれ、
抱くとイヤイヤと体をよじられ嫌われ、
ショックの連続だったのです。
(もう孫を連れて帰らないでもいいぞ)
なんて考えたりもしたほどでした。

その劇的(?)な瞬間から、
赤ちゃんとの距離がちかくなりました。
呼び掛けると「ニコニコ」
手を出すと、
母親がそばにいない時はハイハイで向かってきます。

感動の一日でした。
やっと初孫を授かった
おじいちゃんの幸福感を味わったのです!
(^ヮ^)/(^◇^)v(^ヮ^)/(^◇^)v(^ヮ^)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

付加価値?

2016年10月20日 00時16分06秒 | 文芸
 弁当仕出し会社に勤めていた。調理担当に配属され、幕の内弁当を担当した。


 深夜の仕事が主で、夜中はひたすら刺身を引き、天ぷらや焼き魚、煮物などの調理だ。朝三時過ぎから料理の盛り合わせを始める。


 単価の安い幕の内弁当が最初だ。フライや天ぷら、煮物が主体で生ものは少ない。次々に単価が上がると、生ものが加わる。刺身を盛るのに、大根のケンや飾りが不可欠。造花のキクや、松葉、梅や桜と作り物を使う。四季に応じたもので、弁当は見事に変身する。


 秋が深まった頃、特注で三千円の幕の内が入った。日ごろ扱うのは千円までの格安弁当。広がる現場の戸惑い。使う食材は同じなのだ。


「こいつで千円は値打ちが上がるんや」


 上司が持ち出したのは真っ赤な紅葉。本物である。刺身に飾ると、その赤が鮮やかに映えた。確かに料理はランクアップした!


 定年になってからこっち、幕の内弁当を注文するのに、値段の高いものは避けている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

頑張るっきゃない

2016年10月19日 00時52分59秒 | 文芸
18日。朝9時加西市役所を出発、一路伊丹へ。

まちライブラリー視察見学会に急きょ参加しての行程です。
10時に到着したのは伊丹市の『ことば蔵』
日本一の図書館を目指すユニークさを誇っています。
実は、今年の夏、一度来訪しています。
『日本一短い自分史』で入選しての表彰式。
自分の原稿を朗読したところです。

とにかくユニークな図書館です。
まちライブラリーと同じような『カエボン』が順調です。
市民による市民のための
本の楽しみ方愛し方を実践成功させています。
もう一度というより何度もお邪魔したいところです。

そしてまちライブラリー提唱者の本拠地、ISまちライブラリーの視察。

全国に生まれているまちライブラリーの健闘ぶりと
それにより本の意義が見直されていく実態を
明快な説明で理解が深まりました。

最後に近鉄の日生球場跡地にできたキューズモールの中にある
ライブラリー@もりのみやキューズモールの見学です。
ピザハウスと一体化した大きな町の図書館です。

大阪のような大都市と競えるはずもありませんが、
加西市の15名のチャレンジャーが
まちのライブラリー開設へ、
さらに情熱の炎へ油を注いだようです。

わたしも自宅の一室を開放し
イベントのできるまちの図書館を目指すことを決めました。

さあまた忙しい人生が戻ってきました。
頑張るっきゃないな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まちの図書館

2016年10月18日 00時16分25秒 | 文芸
やっと三分の二畝作りが完了。区画に分けて少しづつ野菜を植え付けています。



明日はまちライブラリーの見学とお話を聞きに、加西市観光課の案内で伊丹の図書館『ことば蔵』や大阪のまちライブラリー一号を見学する予定が急きょ入った。

 この間のウオーキングの時、途中立ち寄った播磨横田駅で知った『まちライブラリー』の情報。早速ネットで訊ねるとすぐに返送メールが。提唱者とのお話に加西市から来訪の予定だとか。こんな偶然またとあるものじゃない。市の観光課から電話を受け、すぐ見学の一員に入れて頂きました。



 我が家の一室に山と積まれた書籍や歴史資料、画集などの豪華本、希少本が、もしかしたら有効活用できるかもしれません。19歳で働きだした書店。給料の三分の一近く毎月本を買い漁っていました。もともと本が好きで選んだアルバイトです。面白くて、大学を目指す浪人の立場を忘れ正式に就職。店売員として充実の日々を送ったのです。

 断捨離を考え付いたときに、一番の問題が本の山でした。捨てるに捨てられず、今に至っていたのです。

 しかし、まちの図書館企画に出会ってしまいました。もうやる気満々。とにもかくにも、先輩施設を見学、体験話を聞く。そこからスタートです。また忙しくなります。ワクワクドキドキを再び味わえるかもと期待で胸が膨らみます。



 明日のために今夜は早寝です。そこでまた思い出の原稿で失礼させて頂きます。


先生との出会いに感謝して

 その夜、夜勤に出る支度をしていた私に電話が入った。
「遅くに悪いな。どうしても電話したくてね」
 その声を耳にしただけで、O先生の底抜けの笑顔が私の頭に浮かんだ。数日前に公演した私の舞台を観劇したとのことだった。
 O先生は、出会った当時、小学校の先生だったが、別に私はその教え子というわけではない。
 私が先生と最初に会ったのは舞台を通じてである。その頃、加古川の本屋に勤めていた私が知人に薦められて足を運んだ地元のアマチュア劇団の公演舞台に、O先生は出演されていた。初めて観る生の舞台は新鮮で感動的なものだった。O先生の演出だと後で知った。
 当時の私は大学受験に失敗し、仕方なく選んだ仕事である本屋の店員だった。工業高校の電気科を卒業した私には何ともそぐわぬ選択だったが、(どっちでもいいや)という投げ遣りな気持ちだったのは確かである。
 そんな形でついた仕事に真剣になれるはずはない。それに、生来内向的な性格の私に本の販売など向いているはずもなかった。もともと高校時代に落ちこぼれた格好の私には、なかなか前向きになるきっかけが掴めなかった。
 心滅入る日々を送る私は、目の前の感動的な舞台に引き込まれてしまった。観劇後、優柔不断な私には珍しく、パンフレットにあった『劇団員募集』にすぐ申し込んだ。
 アマ劇団の稽古場だった加古川市の青年会館の会議室で、私を笑顔で迎えてくれたのがO先生だった。それでも初体験とあって不安に駆られながらO先生と対峙した。
 私に劇団へ入団を志望する動機を聞かれたO先生は、何度も頷いた後、口を開かれた。
「演劇をやるぞ!って難しく考えないで楽しくやりましょ。やることを、仲間を、とにかく好きになるのが一番。好きこそ物の上手なんてたとえがあるけど、あれ、本当だよ。それに仕事も同じ。好きになったら、どんな仕事でも楽しいものになる。アマチュアって、仕事と両立させてなんぼのもんやから、君も頑張って今の仕事好きになることやで。うん」
 別に説教めいた口調ではなく、まるで友達と談笑するようなO先生に、私の緊張と不安はみるみる消えた。
「これ、美味いで。僕の好物なんや。どうぞ」
 とO先生が出してくれた饅頭を私は遠慮なく頬張った。普段の私には考えられない行動だった。O先生を前に私は自分の殻を脱ぎ捨てていた。いつも曇りがちの心が不思議にすっきりとなっていたのが、すぐには信じられなかった。ここならやれるとの思いがした。
 本屋を辞めて加古川を離れるまでの三年間、私はO先生に演劇のイロハと、先生が永遠のテーマにされていた人権を通じて、人間愛の素晴らしさを教えて貰った。そして、先生の言葉通り、私は仕事への考え方を改め、いきいきと働くようになっていた。
 三年目に、O先生が創作された脚本の舞台で全国青年大会に兵庫県代表で参加することとなった。三日も休みを貰えるかどうか、オズオズと本屋の社長に申し出ると、心配とは裏腹に、
「仕事のことは気にせんと頑張って来たらええ。兵庫県の代表なんて名誉やし、齋藤くんは日頃、よう仕事してくれてるよって、骨休みやがな。それにO先生からも丁寧な電話を頂いたぞ。君はえらい頼りにされているんやな。大したもんや。休みは三日でええんかいな」
 と、社長は喜んで休みを許可してくれた。
「仕事をないがしろにしとったら、アマチュアの活動は出来ん。仕事に懸命に励んでたら、自然と周りも認めてくれるんや。ええ仕事するから、ええアマ劇団の活動が出来るんやな」
 O先生の口癖だった。そんな先生の前向きな姿勢を私は見習って、あれ程イヤイヤ勤めていた仕事にやりがいを見出せるまでになった。その成果が、社長の理解を生んでくれたのだと、私には確信するものがあった。
 その後、姫路に移った私は、O先生とも無沙汰を余儀なくされてしまった。しかし、O先生に教わった演劇の魅力は、所変わっても私をしっかりと捉えて離さなかった。違うアマ劇団で頑張って、同時に仕事もそれに負けない程充実した。O先生の教え通りだった。
 十四年前、私は新しいアマ劇団を旗揚げした。私はリーダーとして、あのO先生と同じ道を走り始めた。O先生の教えを私は忠実に再現し、若い後輩たちに伝えた。
 落ちこぼれて自信を失い、劣等感に苛まれてビクビクしていたのが嘘みたいに、自信満々に生き始めた私の姿がそこにあった。
 出会いの日から三十年近い年月が経っているのに、O先生の声は、やはり若々しかった。
「いい芝居やったな。感動したよ。えらい頑張ってるんで、もう僕は嬉しくてね」
 O先生の声は弾んでいた。もしかしたら、先生は昔を思い出されていたのかも知れない。
 電話口に感無量の気配があった。
「これからも、先生に教わった感動創り、やって行きます。先生にそれ見守って貰わんと」
 私の言葉に嘘偽りはなかった。O先生の素晴らしい芝居創りを通じた人間教育、私はそれで再生したのだ。その再現を私の手でと、強く誓っている。
 O先生の電話が切れた後も、暫く立ち尽くす私の頭の中で、O先生への感謝の言葉が山彦のように響き続けた。出会えたこと、教えられたこと……その幸運と先生に、有難う!
                         (1998年掲載))
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歩く歩く

2016年10月17日 01時03分16秒 | 文芸
 第5回加西風土記の里ウオークは、もうすぐNHK『真田丸』に登場する後藤又兵衛ゆかりの地散策コース。4キロ一般コースである。


 受付集合地点は北条鉄道・長駅前。地元近辺からは50人余り、三木・小野・京阪神から70名越えで総勢約120人。思わぬ盛況だ。最近、加西ウオークは調子いい。前回・前々回と200越え。片田舎のイベントにしては好調だ。


 朝7時に家を出て、まずイオンに。ペットのコーヒー飲料を1本購入して、目的地へ。昼飯は赤飯のおむすびを2個リュックに入れている。用意に怠りはない。


雨具に折り畳み傘、スティック杖、スケッチブック、替え下着、手ぬぐい、スケッチブックと用具……リュックはパンパンに張っている。普通の場所では目立つがウオーキングではおとなしいものだ。


土曜日の朝とあって周囲は静かだ。北条鉄道に沿った側道を黙々と歩く。天気晴朗、しかもまだ暑くない。歩くにはもってこいの条件だ。長駅に着いて、まだ時間があるのであたりを散策だ。じーっとしているのは勿体ない。


こんな時でも貧乏性は大人しくしていない。


 10時過ぎに長駅スタート!田圃の中を走る農道を行く。10分ほどで、小野寺十内親子の墓に着く。忠臣蔵赤穂浪士だ。加西は久学寺とか赤穂浪士ゆかりの名所が結構ある。


 若一王子神社から大村の石棺石仏を経て、後藤又兵衛基次の菩提寺『多聞寺』に到着ほぼ一時間の行程だ。『多聞寺』は又兵衛の3番目の息子が亡き父を祭るために建立したものだ。住職の講話を聴き昼食タイム。赤飯おむすびを平らげた。満足満足。帰りは違う道に入る。長駅の次の駅『播磨下里駅』がゴールだ。


 休む間もなく北条鉄道を逆にたどって歩く。4時には娘がアルバイトから戻ってくる。腹を空かしている。しかもすぐにオケの稽古で明石へ。食事の用意をしておいてやらなければと気は急く。


 結局家に帰りついたのは、二時半過ぎ。それからが忙しい。ご飯をしかけ、おかずを見繕って作る。味噌汁も娘の好物だ。


 娘を送り出して、やっと一息つく。なかなか自分オンリーの行動が出来ない。あと2年、あと2年で娘は社会に出る。さすればお役御免で、自分仕様の時間を満喫できる。その時まで五体満足であればの話だが。頑張らなきゃ!


 締め切り直前の公募原稿を原稿用紙5枚分仕上げると、やっと体に疲れが悪さをし始めた。もう何もしたくなくなる。怠け者だから、必ずそうなる。


 ビデオを取り留めもなく見つめる。スティーブン・セガールの映画だ。もう10回は見たかな。好きな作品なら何度でも見てしまう。


怠惰に時間は過ぎていく。心地よい眠気に全身を任せてしまう……?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ありがとう

2016年10月16日 00時51分23秒 | 文芸
ウオーキング・ディ、帰宅して確認すると25000歩。
きょうは早く寝よう。
というわけで、思い出の原稿をアップです。

私を変えた、先生の「ありがとう」

(学校なんか、行きとうない……!)
 朝を迎えるたびに、私の切羽詰まった思いはぶり返した。時には頭が痛くなったり、腹痛を憶えたりと、登校したくない気持ちが、そんな体の変調を次々と生み出した。
「また怠ける気か?仮病使うてもあかん、はよ行かんかいな。遅刻してしまうやないの!」
 最初の頃は息子の訴えを素直に認めて、学校を休ませて甲斐甲斐しく看病までしてくれた母も、そういつまでも騙されていてはくれなかった。私が暗い顔で訴えると、(なに甘いこと言うてるのん!)といった調子で、母は私を玄関から押し出した。結局、私はイヤイヤながら登校するはめになった。
 私がそこまで学校を嫌いになったのは、私の性格が影響していた。対人関係は全くダメな、ひどく内向的な人間だった。授業であてられて発表するのにさえ、言いようのないプレッシャーに襲われ、顔を真っ赤にして何も言えず、立ち往生する有様だった。何とか口が開けても、自分でも驚くほどの、蚊の鳴くような声で、しかも震え声とあっては、どうしようもなかった。発表が予想される授業がある日は、朝から緊張感に苛まれることが、しょっちゅうだった。
 そんな私を、同級生の何人かがからかうのも、私を学校嫌いにさせていた。
「頼んないやっちゃなあ、お前」
「こいつ、国語の本、読みながら、震えてやんの。本が睨みよるんけ?」
「猫つまみ、猫つまみ、授業の邪魔やさけ、猫つまみつまんで、放り出したろこ」
 猫つまみとは、私の頭が富士額みたいになっていたところから、付けられたあだ名だった。私のぶざまな仕草の物真似をして笑い転げる級友らを前に、悔しさが募って目が潤むと、また、すかさず級友らはからかった。
「こいつ、泣きよるこ!」
「猫つまみが泣きよるど!」
 自分の机に突っ伏して、彼らを無視するしか方法を知らなかった。そうしていると、頭の中が真っ白になった。もう誰の声も聞こえなくなった。
 そんな苦しい思いをしなければならない学校。いやになるのは当然だった。だが、母や父は私のそんな思いを知らない。私は家で、学校のことはいっさい口にしなかった。ただ、黙々と宿題をするぐらいだった。団欒で話題にしたくなるような楽しいことは、学校生活にはなかった。話そうとしたら、たぶん泣けてきて、どうしようもなくなったに違いなかった。
 ただ、私が話さなくても、父や母には察してもらいたかった。それが叶えられないのも、焦れったかった。
(誰も分かってくれへん……)
 むりやり家を出された格好で登校する私の心は、言いようのない不満と絶望感に苛まれた。
 そんなある日だった。授業が終わった時、教壇から、先生が私に声をかけた。五年の時から持ち回りで担任の吉田先生だった。
「おい、齋藤。ちょっと頼みたいことがあるんや」
「は?」
 戸惑う私の席へやって来た先生は、白い画用紙四枚と神戸新聞を机の上に置いた。
「この漫画を紙芝居にしてくれへんか?お前、絵が得意やったやろ」
 四年生ぐらいまでは、毎年、絵画コンクールや写生大会でなにがしかの入賞を果たしていた。それを吉田先生は言っていた。
「僕の奥さんが先生をやっとる、W小学校の授業で使うんやと。そやから頼むわ」
 私が返事もできずにいると、先生はニコリと笑った。そして、ポンと肩を叩くと、席を離れていった。
 新聞の漫画は、佃公彦のもので、よく見慣れたものだった。
「お前、すごいやないけ」
 いきなりかかった声に振り返ると、いつもからかってくる級友の一人だった。
「先生に、もう頼まれるなんて、ほんま、ごっついわ」
 私の席に何人かの級友が集まって、口々に褒めてくれた。照れくさくなった私は、頭を掻いて、「へへへ」とにやけてみせた。
 私は懸命に白い画用紙に向かった。新聞の漫画を拡大して描き写す作業に没頭した。その日、寝たのは、もう夜明け近かった。できあがりはまあまあだと思った。
「おう、もうできたか!」
 朝のホームルームが始まる前に先生に手渡すと、吉田先生は喜んだ。
「お前、やっぱり上手いのう。うちのやつも喜びよるわ。ありがとう」
 漫画が描かれた画用紙を食い入るように見ながら、先生は私に礼を言った。不思議に私の緊張感は解けていた。
 その日以来、私をからかう声は消えた。漫画を描いてくれと頼んでくる級友もいた。さすがに授業で覚えるプレッシャーに変化はなかったが、私の毎日は嘘みたいに楽しくなった。学校に通う楽しみを、私はやっと得たのだった。
 卒業式の日。教室で吉田先生は私を呼んだ。五冊の厚い白地のノートを手渡すと、
「これは、あの紙芝居のお礼や。一年生のみんな、喜んでくれたそうや。ほんまにありがとう、な」
 また先生は礼を言った。面映ゆい気持ちで先生を見た私に、
「中学に上がっても、頑張れよ。お前には、ちゃんと、こんな得意なもんがあるんや。誰にもできるこっちゃないんやど。自信持って、行けや。ええな」
 私はノートを受け取りながら、背中越しに級友らの賛辞が込められた拍手を聞き、自然と目が潤んでくるのを感じた。
 昨年末、私は五〇歳になった。振り返ってみれば、挫折と失意の繰り返しだった。だが、それを乗り越えさせてものの原点は、あの吉田先生との出会いにあったと、今さらながら鮮明に思い出し、感慨を深くする。
         (平成十一年P誌掲載)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

順調

2016年10月15日 00時21分33秒 | 文芸
充電器が見つかった。
これでカメラが使えるぞ。
すぐバッテリーをセットした。

 
今日までに仕上げた
畑の様子をパチリ!
これでもまだ三分の一。

明日はウォーキングに
参加の予定だし、
まだまだかかりそう。

 
出来上がった畝に、
植え付け期間ぎりぎりのやつから
植えておくことにした。
うん!
昔の感覚がだいぶん蘇ってきたようだ。

 
ところで、
畑のわきにある立ち木の根元に、
白くま~るい球形の物体を発見。
直径15㎝ぐらいはある。
(これは何?)
キノコの一種かも。
二つある一つを割ってみたが、
正体が明確になるようなものは
見当たらない。
写真を撮ってアップ。
誰か正体を教えてください。

 
夕方6時過ぎ、
作業終了!
快調である。

 
さあ、
明日のウオーキングに
頭を切り替えだ。
明日のお昼はお結びだ。
赤飯を炊いとけば、
おむすびにしても美味しい。

秋サケの野菜キノコあんかけ、
サケと大根の味噌汁を作った。

娘の喜ぶ顔が見える。

久しぶりのお魚だから、
うまいはずだ。

楽しみだ、娘の笑顔が。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ワォ~!

2016年10月14日 00時40分29秒 | 文芸
10月の新番組が、がぜん面白くなってきた。
相棒も相変わらずいい感じだが、
スーパーレディが活躍する番組の初回を見て、
(生きていてよかった~!)
ドクターXとChef-三ツ星の給食だ。
大門未知子の痛快さは不変だし、
天海祐希のかっこよさは、もう最高だ。

シェフ姿も、給食調理の制服も
なぜあんなに似合うんだ!
しかもしかも、かっこいい~!

ストリーは昔ながらの陳腐なものだが、
安心して見られそうだ。
深夜、いまから
ビデオにとった二つの番組を視聴だ。

スーパーレディが作り出す
世界に
ゆっくり、どっぷりと浸ります。
(生きててよかった~~!)(笑い)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野良仕事

2016年10月13日 00時57分59秒 | 文芸
 久しぶりに畑仕事をした。
昨今の野菜の高値推移に、
少しでも自家野菜でまかなえればという
打算的な動機だ。

 猪と鹿の被害に根負けして以来、
長い間野菜作りをしていない畑の土は固まっている。
まず掘り起こしから開始だ。
野菜作りを続けていたときは
ミニ耕運機もトラクターもあったが、
いまは手作業に頼るしかない。

 備中をふるって
少しづつ掘り進めていく。

すぐに息が切れる。
(こんなはずはない)と思っても、
怠惰な生活に馴染んでしまった
体の復活はなかなか難しい。
まして年を食ってしまった。
時々やる草刈りとは違って大変だ。

 放置された畑は、
想定外のものが
地中に手ぐすねを引いて待っている。
こぶし大以上に育った草の根っこに
笹竹の根だ。
備中に絡まると、
いちいち取り除くのにひと苦労する。

 鍬で三つ畝を盛り上げると、
もう限界だ。

掘り起こした土を細かく砕いたり、
雑草や石を除く作業が加わり、
体力を消耗したのだ。

 それでも野菜作りに励んでいたころの
気持ちが復活し始めた。
いい傾向だ。
その気持ちを萎えさせないようにしなければ!

 植え付けの時期はぎりぎりだが、
冬野菜を作るのだ。
白菜・キャベツ・大根・玉ねぎ・ブロッコリー……それに豆類もある。
野菜作りの体験を必死に思い出す。

 畑の土と畝作りは過酷(?)でも、
作る野菜に想像を巡らせると、
疲れは吹っ飛ぶ。
幸せな気分にもなれる。
これがあるから野菜やコメ作り、
いかにしんどくてもやりたくなる。

 さあ、また明日だ。
今日の数倍は作業が進む筈だ。
体が記憶している百姓魂(?)が、
今にも飛び出そうと
ゴソゴソ蠢き始めている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新聞とわたし

2016年10月12日 00時46分36秒 | 文芸
中学校の宿題で、
新聞のコラムを毎日書き写した。
最初は(何でこんなことせなあかんのやろ)と反発したものの、
慣れてくるとがぜん面白くなった。

 いつしか書くだけじゃなく
読むようになっていた。
新聞のコラムの内容は、政治経済、社会問題、生活……と、
多岐に渡っている。
政治経済などよく分からなくても、
アメリカの大統領や
日本の首相などの名前を覚えた。

 一か月で宿題はなくなった。
その後は書き写すのを止めたが、
毎日コラム欄に目を通すのが習慣になって残った。

 数年前から投稿欄への投稿を楽しんでいる。
その原稿を書く際に、
あのコラム書き写しの宿題を
よく思い出す。
時々読んだコラムに似た表現になって、
苦笑いしている。

 いまも新聞のコラムは毎日楽しみだ。
不特定多数の読者相手だから、
うまくまとまっていて分かりやすい。
高齢になった今も、
新聞のコラムから,
文章の書き方を学んでいる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする