こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

感謝

2018年08月15日 12時09分42秒 | Weblog
九州方面の台風の影響か、
雨と風。
久しぶりのお湿りに畑も庭も、
そして私のホッ!

そんな気分の高揚に任せて、
ちょっと長文で失礼します。

「若い君らは、
いくらでも自分の欠点を変えられる可能性がある。
羨ましい限りだ」
 Kさんは自信たっぷりにいってのけた。
地域に情報提供する小さな新聞の編集発行人、
ひとりで新聞つくりをやっていたKさん。
前身は全国紙の記者で、
自信に溢れていた。
「うちで仕事をやったらいい。
人見知りな性格を脱皮するにはぴったりの仕事だし、
責任をもって若い君を育てるつもりだから」
「は、はい。
じゃあ、よろしくお願いします」
 相手の勢いに飲まれる形で、
話は決まった。
 酷い人見知りで、
他人とまともに会話のできない私が、
真逆のタイプであるKさんと出会えたのは、
奇跡といっていいかも知れない。
 小さい頃から、
友達など皆無の孤独な生活だった。
それでも唯一没頭するものはあった。
マンガだ。
読むよりも描く方が好きだった。
思うがままの世界に浸れたからである。
 高校卒業後の浪人生活、
受験勉強より多くの時間を
マンガ創作に割く有様だった。
 そんな時
、何気なく目にした地域の新聞に
四コマ漫画が掲載されていなかった。
何を思ったのか
、四コマを何本か描いて
新聞社へ送ってしまった。
これまでにない実行力だった。
 次の週、
届いた返信に同封された最新号の新聞。
なんと4コマが掲載されていた。
印刷された自作に驚きと、
例えようもない感激があった。
「いいマンガを有難う。
一度会えませんか?」と添えられていた。
優柔不断な私が、
またしても面会を即答してしまった。
「どうかな?
仕事が決まっていないなら、
うちで仕事をしてみないか?」
 いろいろ話した後、
Kさんはごく自然に訊いた。
取材をこなす記者らしく
Kさんは無類の聞き上手だった。
中途半端に送る浪人生活のことを正直に話したし
、他人に馴染めないダメな性格まで喋ってしまった。
Kさんに感じた信頼感は、
新聞社勤務を決断させた。
 新聞社で働き始めた最初は
、何もかもが新鮮で楽しかった。
四コマを描かせて貰いながら、
取材に必ず同行させられた。
Kさんの巧みな交渉術に舌を巻きながらも、
懸命に学んだ。
しかし、初対面の人間相手が大の苦手な私には
苦痛な時間の連続でもある。
三週間ぐらい経つと辞めたくて堪らなくなった。
ついに辞意を伝えようと、
Kさんと向き合った。
「君が決めることだ。
辞めたいのなら仕方ないけど、
君はもう社会人なんだから、
ケジメだけはつけないと駄目だ。
そうだな、最後の仕事をやって貰うか。
ここで働く前の君なら無理かも知れないが、
今なら大丈夫だ」
「は、はい」
「県議会選立候補者の言葉を貰って来てほしい。
それで君の仕事は終わる。残念だけど」
 最後になる仕事を指示された。
確かに苦手な仕事に躊躇を覚えたが、
仕事を辞めるためのけじめだと思うと、
もう逃げ出せなかった
 取材費を貰い
立候補者宅へ直行した。
「Kさんから聞いたよ。
君はエース候補なんだって。
いい人材を得られたって喜んでたよ」
 取材はスムーズに進み、
目的は果たした。
「いい記事になるぞ、
有難う」
 取材の報告をすると、
Kさんは笑った。
「強くなったじゃないか。
人間、変われるんだって分かっただろう。
仕事を投げ出さないで、
もっと成長を見せてくれたらいいけどな」
 もう迷いはなかった。
私を変えてくれたKさんについていこうと決めた。
自分を社会に通用する人間へ成長させてくれる人に。
 二年後、
脳梗塞に倒れたKさんは、
そのまま帰らぬ人となってしまった。
 調理師の道に進んだが、
もう私は孤独ではない。
同僚や上司と意思疎通は難なく図れた。
三年もKさんに教えられた、
逞しい生き方を模索する私に、
もう怖いものはなくなっていた。
誠実な生き方もKさん譲りである。
 人生の終点が近くなった今、
時々Kさんを思い出す。
見事な白髪を振り乱し、
取材活動に打ち込んでいた姿を。
私の人生を導いてくれた恩師、
Kさんに感謝は尽きることがない。
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