先日書いた記事、「今日の私」を見た義母(ばあば)から電話があった。
いつもと違う雰囲気が気になって連絡してくれた。
「どうした?何かあったの!?」の言葉に思わず涙が溢れて止まらなかった。
私の両親は、幼い頃に離婚。父親は、酒乱だった。お酒が入ると暴力が始まる。
そうなると母親と私は近所に避難し駅で朝まで過ごす。
水道・ガス・電気も止められ水だけで過ごした時もあった。
離婚した時、母親のお腹の中に妹がいた。
小学1年生になり母子家庭。狭いアパート暮らしになり母親も働く日々。
学校から帰ると、保育園へお迎えに行きご飯を作るのが私の仕事だった。
習い事、自分の部屋、誕生日、おしゃれしてお出かけ・・・無縁な私だった。
週末も仕事の母親。週末は、祖父の家で叔父や叔母と過ごし賑やかにご飯を食べてお泊りするのが最高の楽しみだった。
小学校3年生くらいまで父親と会ってた。私が最初の子だったせいか、凄く可愛がってたらしい父親。会うとご飯を食べて買い物。
でも、父親の顔を知らず愛情も受けてない妹。そんな中で会ってた私に対して良く思って無かった母親だったろう。
中学生になり少し反抗期だった私。衝突する度に、「嫌なら父親の所へ行ったらいい!!」と毎回決まって同じ言葉を言われた。
少し、お酒に走った母親でもあった。
そういう姿をみて私は、「絶対、この人みたいになりたくない!!」と思った。
高校生になり、早く自立したかった私はアルバイトし「おこづかい」稼ぎをした。
少し好きな物を買ったりして嬉しかった。
その頃、やはり母親と関係がうまくいかず叔母の所で暮らした事もあった。
高校卒業と同時に就職し、一人暮らしを始めた。
「自由になれた!!」と思った。
高校時代の友達は、今でも親友。私の家庭事情も良く理解してくれ、母親に同情して仲良くするようにと説得もされた。
でも、拒み続けた・・・
一人暮らしを始め、親友にも支えられ充実した毎日だった。
仕事も一生懸命し楽しかった。
介護の仕事を始めたのは20代中頃・・・
人間関係、仕事の悩み・・・私と同じ位の娘を持つ人と夜勤勤務が多かった。
責任ある仕事も任されて、日々勉強と思って過ごしてた。
「一人で何でも抱え込みすぎ。一人で頑張りすぎ。気を使い自分で何でもやろうとする。甘える事を覚えないと自分が苦しくなるで・・・」と言われた。
涙が止まらず大声で泣いてしまった。親友の前でも、自分の事では涙を見せないようにしてたのに・・・
母親に言われてるようで、母親に言われたかった言葉だったかもしれない。
結婚が決まった時。最初に母親では無く叔母・叔父に報告した。
喜んでくれたけど母親しかいないし・・・母親も問題ある・・・お金も無い家庭。
嫁ぎ先のH家のご両親も家族もしっかりした家柄だったので、心配してた叔父や叔母。
義母に紹介する時も、母親には連絡しなかった。
結婚式にも呼びたく無かった。酷いと言われるかもしれない。でも、どうしても嫌だった私。親友にも何度も説得され後悔すると言われたけど嫌だった。
旦那には、喫茶店で紹介し最初で最後の挨拶だった。
H家の両親・家族は暖かく迎えてくれた。本当に、叔父・叔母も感謝していた。
義母も、あえて母親の事も尋ねたりせず感謝で一杯だった。
東京へ嫁ぐ時、叔父や叔母に「帰る所は無いと思って、H家の両親を大事にしんとあかんで。」と何度も言われた。
ケンタが生まれた。旦那に母親に会わせた方が良いと言われ1度だけ京都へ帰った時に会わせた。
「あの人の様な母親にならない!!」と思った瞬間から自分が母親になった。
子供一人育てるのに、ほんと大変だと日々実感。
両親が揃ってても大変なのに女一人で二人育てるなんて・・・・と。
でも・・・負けずに必死で働き頑張る母親を見たかった。見せてくれれば良かったのに。
私は、「母親の愛情」を受けて育った訳じゃない。
だからこそ、一生懸命に頑張ってる姿を見せたい。
そろそろ二人目は?と良く聞かれる。何とかなるわよ~と。
自分が出来なかった事。
誕生日、お出かけ、買い物、習い事・・・私が出来なかった事を、ゆっくり、たくさんケンタにさせてあげたい。
お金が無くて、食べ物が無い・電気が止まる・・・今は、考えられない事かもしれないけれど、そんな思いをさせたくない。
だからと言って、過保護にして裕福に暮らしたい訳でもない。
ちょっと、野放しすぎる子育てになってるかもしれないけれど、私なりの愛情で一生懸命の姿を見せて行きたいだけ。
私の妹とも、あえて連絡を取ってない。幼い頃からの環境がそうした仲だからか・・・
母親の愛情は、父親の愛情・顔を知らない妹へと注がれたからか。
兄弟仲が良いのは一番!!
でも、兄弟が居るからと言って仲が良いとは限らないと思う。
大事に愛情を注げば仲が良い兄弟になると思うよ。
だから、私には今は考えられない。二人子育て中のママ達には、凄い!!と拍手を送りたくなる。
見知らぬ土地に嫁ぎ、仕事をし生活している。
京都の知り合いや親友が側にいない。
「一人で頑張りすぎ。抱え込みすぎ。強がりすぎ。」
性格なんだろうか・・・
少し寂しかったかもしれない私。
義母に、「京都へ帰って、ゆっくりしておいでよ~ケンタ預かるしっ」って言われた。
「京都」へ帰りたいかもしれない。
でも、実家へ帰りたいでは無くて「京都」へ帰りたい私なんだろう。
実家・・・私には無いと思っている。
見慣れた風景、町並み、親友の顔が見たいんかも?
「また~何も語らず言わず・・・何か、あったんか?!まっ、聞いても言わへんやろ!!」と言われるのも分かってる。
そう言いながら、普通に一緒に過ごしてくれる親友達。
でも、ケンタは頑張って育てるし一生懸命な姿を見せたい。
親の機嫌で・・・思わず強い口調・・・日々追われて生活してると、ついつい・・・ってなるけど、反省しながら次に向けて親も成長するしか無いかも。
ばあばには、私の事でケンタが大丈夫か?と心配かけている。
でも、大丈夫!?ですよ~今日、電話のお陰でスッキリ!!しました。
「京都」へ帰るときは、ケンタお願いします!と気を使わず言います。
これを読んだ、周りの人は驚かれたり同情されたり苦労したんだね~と思われるかも。
でも、今となっては良い苦労だったと思います。
ん~苦労って思って無い私です!今の生活に生かされてますから!!
小さな普通の事かもしれない事に、「裕福」って感じられるからです。