はちみつブンブンのブログ(伝統・東洋医学の部屋・鍼灸・漢方・養生・江戸時代の医学・貝原益軒・本居宣長・徒然草・兼好法師)

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貝原益軒の養生訓―総論下―解説 042 (修正版)

2015-12-29 18:05:50 | 貝原益軒の養生訓 (修正版)
(原文)

万の事、皆わがちからをはかるべし。ちからの及ばざるを、しゐて、其わざをなせば、気へりて病を生ず。分外をつとむべからず。

わかき時より、老にいたるまで、元気を惜むべし。年わかく康健なる時よりはやく養ふべし。つよきを頼みて、元気を用過すべからず。わかき時元気をおしまずして、老て衰へ、身よはくなりて、初めて保養するは、たとへば財多く富める時、おごりて財をついやし、貧窮になりて財ともしき故、初めて倹約を行ふが如し。行はざるにまされども、おそくして其しるしすくなし。

気を養ふに嗇の字を用ゆべし。老子此意をいへり。嗇はおしむ也。元気をおしみて費やさゝざる也。たとへば吝嗇なる人の、財多く余あれども、おしみて人にあたへざるが如くなるべし。気をおしめば元気へらずして長命なり。

養生の要は、自欺ことをいましめて、よく忍ぶにあり。自欺とはわが心にすでにあしきとしれる事を、きらはずしてするを云。あしきとしりてするは、悪をきらふ事、真実ならず、是自欺なり。欺くとは真実ならざる也。食の一事を以ていはゞ、多くくらふがあしきとしれども、あしきをきらふ心実ならざれば、多くくらふ。是自欺也。其余事も皆これを以てしるべし。

(解説)

 老子『道徳経』五十九章には以下のようにあります。

人を治め天に事うるは、嗇に若くは莫し。夫れ唯だ嗇、是を以て早服す。早服とは之れを重ねて徳を積むを謂う。重ねて徳を積めば則ち克たざる無し。克たざる無ければ則ち其の極を知ること莫し。其の極を知ること莫ければ、以て国を有つべし。国を有つの母は、以て長久なるべし。是れを根を深くし柢を固くし、長生久視の道なりと謂う。

 益軒は長生きには「嗇」が大切であることを述べるため老子の思想に触れています。老子はここでは国家について述べていますが、戦国時代の哲学者である老子は後の時代に道教という不老長寿を目指す宗教の祖として祭り上げられることになり、この言葉も個人的肉体的な健康に関することに解釈されることがあります。

  そして「嗇」とは「けち」とは違います。必要なものを必要なだけ用いるということで、無駄をしないことであり、『晏子春秋』に「嗇は君子の道、吝愛は小人の行」とあるように、それらははっきりと区別されているのです。

(ムガク)

(これは2011.3.16から2013.5.18までのブログの修正版です。文字化けなどまだおかしな箇所がありましたらお教えください)


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