花がいっぱい。

どんな花も無心に
咲いているから素敵なんだって。
無心になんかなれないよ。
どれもこれも気になっちゃってるんです

京鹿子娘道成寺から京鹿子娘二人道成寺 2

2006年02月22日 | 歌舞伎
<クドキにつかわれる手拭>
恋の手習いで使う手拭は、普通のものより五割方長いそうだ。しかも、木綿ではなく縮緬で比翼紋つき。普通は家の表紋と替え紋が、使われるが、二人道成寺では、二人の紋を重ねた趣向となる。

手拭を使うようになったのは、「舞」ではなく、「踊」になってからという。
民衆の使う生活必需品。が、それ以上に心が、あるとされているようだ。
今でも何かの記念に手拭を配る風習があるのは、単なる生活のためだけの必需品でないことを意味しているらしい。
一方、この手拭。労働する男性の汗や体臭がしみこみ、出かけていく時に恋人に残していくという風習もあったそうだ。
そこで手拭いが、恋の踊りには必要となってきたようだ。
『クドキに手拭を使う』
手拭を口にくわえたりとはかなり男性を隠喩していることがあるようだ。
濡れごとにも縁あるものとされ、口にくわえるほどではないものの男女の逢瀬へのイメージへの発展もあるとのこと。
さて、道成寺の手拭の踊。
このとき色っぽく見える女性は、男性を知るか知らぬか?
けして断定されてはいない。男を知っているとして踊るという、成熟した女性として踊るという人もあれば、七世三津五郎のようにあくまで女性は男を知らないという踊りもある。
 しかし、けして色っぽく踊ることを否定しているわけではないので、踊りをみて、彼女はどっち?と聞いたか坊主なみに想像をめぐらしてみる。

さて、このクドキの後、舞台から手拭をなげるのは、恋の踊りをこめて、舞台と客席を結ぶ祝儀の意味に転じた「かぶき心」なのだそうだ。

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