先日丸子から藤枝駅まで歩きました。
今日はその続きです。
藤枝駅から旧東海道は少し離れています。
藤枝駅は明治22年に開業された駅ですが、
当時町の中心だった藤枝宿の町民が鉄路を通すことを拒否したため、
駅は町から離れた現在地に建てられ、開業しました。
後に藤枝の宿場から藤枝駅まで静岡鉄道の電車が走っていましたが、昭和になって廃線となってしまい、
いまでは宿場と駅の間は歩くか、バスを利用するようになります。
藤枝駅から宿場のあったところまでは何度も行っていますので、今回は宿場まで行かず、
旧東海道との交差点が出発地点です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/85/123d1221a402ce95c5759771446fc64a.jpg)
この交差点をまっすぐ行くと、藤枝宿があります。
私はここを左に曲がります。
道を進んでいくと、道の側らにベンチと看板が。
「藤枝は東海道の二十二番宿で城下町として栄えました。
付近の追分、一里塚といった地名が街道の名残を今に伝えていまます。
松並木を渡る風の中しばしの休憩にご利用ください。
又、店内のお手洗いもご遠慮なくどうぞ。
お飲み物のご用意もあります。」
と書かれています。私は利用しませんでしたが、トイレを貸してくださるのは、とてもありがたいことです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/fa/958e9f3fb0818dbd67025079bd6db42e.jpg)
かつて藤枝は田中藩でした。その田中藩の領地であることを示したぼう示石の跡です。
この辺りは隣の掛川藩との領地が入り組んでいて、その境を示す石はたくさんあったようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/a8/e052770a807dafa5240ab18aabd17008.jpg)
江戸時代から旅行く人を見守り続けてきた地蔵堂のあった場所です。
現在は地蔵堂のほかに六地蔵が建立されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/81/c0e30b9bcb7101bf99f53093996e1291.jpg)
古東海道の入り口です。
江戸以前はこの道が東海道でした。瀬戸山を通って山の向こうの集落に通じています。
そこから藤枝宿に入っていました。
江戸幕府が街道を整え、松並木を植えた東海道を作ったとき、
道が瀬戸山のふもとを迂回するルートになりました。
大井川が氾濫し、下の道が通れなくなると、この古東海道を利用したようです。
いつの日か歩いてみたいですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/e4/35b396ea67686b288a0523be3bac1fac.jpg)
この石碑の反対側には追分の石碑が建てられていました。
旧東海道と、古東海道との分岐点、追分です。
古東海道はこの石碑のところを左に入る道だったようです。
旧東海道と古東海道がここでクロスしているようですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/07/954cf5d54979fc1bb21f191b8bde9cb0.jpg)
この辺りは藤枝宿と島田宿の中間あたりにあり、瀬戸の立場(たてば)がありました。
立場というのは、庶民の休憩用の茶店が並んでいたところです。
大名が休憩する場所は間宿(あいのしゅく)で、休憩地は大名と庶民とで分かれていました。
この瀬戸の立場は染飯(そめいい)が名物でした。
また、大井川の洪水から土地を守るための千貫堤が造られていた場所です。
その歴史を伝える「千貫堤・瀬戸染飯伝承館」が建てられています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/ba/997d56dad019b65679f072a29570c77b.jpg)
旧東海道から少し入ったところにあり、ちょっとわかりづらいです。
ふたたび田中藩の領地であることを示したぼう示石の跡です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/b6/a3c8d5ffaa3b89284ee419bbf011b7f9.jpg)
藤枝から島田への道には、所々に松並木が残されています。
その一つ、わずかに残った松並木の間に、道標と一里塚がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/53/45af946c6bdcf820ad5e8f0288fa005e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/64/ab0a50f3eb32a67fe41ff71b5ddc8fc2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/bc/36eb17a065eb61a43b2c0c61b24feb7d.jpg)
上青島一里塚と書かれています。
そしてまた別の松並木が・・・・・
東海道を歩いてる!と実感します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/80/ec791d4a42e34c380cf8be73431ecdc0.jpg)
いつの間にか島田市に入っていました。
島田市道悦島の道標です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/6f/c8993e7e600746bfd6d9001fe201a448.jpg)
島田宿の道標も二つありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/e8/6f481622f90887733de83278a3d0c80f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/49/5f898f9c47733866967ea4a9a04d6775.jpg)
島田宿の西の入り口、西見付は大井川ですから、西と東の宿場の入り口に立てられているものでもないようです。
島田宿一里塚です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/16/7ebe0ce15f9e35592839f4d34d03ec7d.jpg)
島田宿の本陣があったところは「おび通り」になっていました。
3年に一度開催される島田市の大祭「おび祭り」にちなんでいる名前ですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/79/6a4c2fd0b9acffae97117f0cfe927f25.jpg)
そのおび通りに意味深な言葉が掲げられていました。
少し考えて、少々の恐怖を感じました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/df/1ac3ebe276e5df4c6a220d0e47c34fe4.jpg)
ここから島田駅はすぐです。
今回は8キロでした。大井川を越えようか悩みましたが、雲行きが怪しかったので、ここで終わりにしました。
次回はここから、越すに越されぬ大井川を越えます。
春の花々、撮ってきました。またご紹介しますね。
今日はその続きです。
藤枝駅は明治22年に開業された駅ですが、
当時町の中心だった藤枝宿の町民が鉄路を通すことを拒否したため、
駅は町から離れた現在地に建てられ、開業しました。
後に藤枝の宿場から藤枝駅まで静岡鉄道の電車が走っていましたが、昭和になって廃線となってしまい、
いまでは宿場と駅の間は歩くか、バスを利用するようになります。
藤枝駅から宿場のあったところまでは何度も行っていますので、今回は宿場まで行かず、
旧東海道との交差点が出発地点です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/85/123d1221a402ce95c5759771446fc64a.jpg)
この交差点をまっすぐ行くと、藤枝宿があります。
私はここを左に曲がります。
道を進んでいくと、道の側らにベンチと看板が。
「藤枝は東海道の二十二番宿で城下町として栄えました。
付近の追分、一里塚といった地名が街道の名残を今に伝えていまます。
松並木を渡る風の中しばしの休憩にご利用ください。
又、店内のお手洗いもご遠慮なくどうぞ。
お飲み物のご用意もあります。」
と書かれています。私は利用しませんでしたが、トイレを貸してくださるのは、とてもありがたいことです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/fa/958e9f3fb0818dbd67025079bd6db42e.jpg)
かつて藤枝は田中藩でした。その田中藩の領地であることを示したぼう示石の跡です。
この辺りは隣の掛川藩との領地が入り組んでいて、その境を示す石はたくさんあったようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/a8/e052770a807dafa5240ab18aabd17008.jpg)
江戸時代から旅行く人を見守り続けてきた地蔵堂のあった場所です。
現在は地蔵堂のほかに六地蔵が建立されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/81/c0e30b9bcb7101bf99f53093996e1291.jpg)
古東海道の入り口です。
江戸以前はこの道が東海道でした。瀬戸山を通って山の向こうの集落に通じています。
そこから藤枝宿に入っていました。
江戸幕府が街道を整え、松並木を植えた東海道を作ったとき、
道が瀬戸山のふもとを迂回するルートになりました。
大井川が氾濫し、下の道が通れなくなると、この古東海道を利用したようです。
いつの日か歩いてみたいですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/e4/35b396ea67686b288a0523be3bac1fac.jpg)
この石碑の反対側には追分の石碑が建てられていました。
旧東海道と、古東海道との分岐点、追分です。
古東海道はこの石碑のところを左に入る道だったようです。
旧東海道と古東海道がここでクロスしているようですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/07/954cf5d54979fc1bb21f191b8bde9cb0.jpg)
この辺りは藤枝宿と島田宿の中間あたりにあり、瀬戸の立場(たてば)がありました。
立場というのは、庶民の休憩用の茶店が並んでいたところです。
大名が休憩する場所は間宿(あいのしゅく)で、休憩地は大名と庶民とで分かれていました。
この瀬戸の立場は染飯(そめいい)が名物でした。
また、大井川の洪水から土地を守るための千貫堤が造られていた場所です。
その歴史を伝える「千貫堤・瀬戸染飯伝承館」が建てられています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/ba/997d56dad019b65679f072a29570c77b.jpg)
旧東海道から少し入ったところにあり、ちょっとわかりづらいです。
ふたたび田中藩の領地であることを示したぼう示石の跡です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/b6/a3c8d5ffaa3b89284ee419bbf011b7f9.jpg)
藤枝から島田への道には、所々に松並木が残されています。
その一つ、わずかに残った松並木の間に、道標と一里塚がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/53/45af946c6bdcf820ad5e8f0288fa005e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/64/ab0a50f3eb32a67fe41ff71b5ddc8fc2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/bc/36eb17a065eb61a43b2c0c61b24feb7d.jpg)
上青島一里塚と書かれています。
そしてまた別の松並木が・・・・・
東海道を歩いてる!と実感します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/80/ec791d4a42e34c380cf8be73431ecdc0.jpg)
いつの間にか島田市に入っていました。
島田市道悦島の道標です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/6f/c8993e7e600746bfd6d9001fe201a448.jpg)
島田宿の道標も二つありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/e8/6f481622f90887733de83278a3d0c80f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/49/5f898f9c47733866967ea4a9a04d6775.jpg)
島田宿の西の入り口、西見付は大井川ですから、西と東の宿場の入り口に立てられているものでもないようです。
島田宿一里塚です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/16/7ebe0ce15f9e35592839f4d34d03ec7d.jpg)
島田宿の本陣があったところは「おび通り」になっていました。
3年に一度開催される島田市の大祭「おび祭り」にちなんでいる名前ですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/79/6a4c2fd0b9acffae97117f0cfe927f25.jpg)
そのおび通りに意味深な言葉が掲げられていました。
少し考えて、少々の恐怖を感じました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/df/1ac3ebe276e5df4c6a220d0e47c34fe4.jpg)
ここから島田駅はすぐです。
今回は8キロでした。大井川を越えようか悩みましたが、雲行きが怪しかったので、ここで終わりにしました。
次回はここから、越すに越されぬ大井川を越えます。
春の花々、撮ってきました。またご紹介しますね。
どれも絵になってますね。
haruさんのお写真の力なのか、ほっとする風景が多いです。
古東海道・・・すっごい魅かれるものがある~!
藤枝のベンチの看板
「松並木を渡る風の中しばしの休憩にご利用ください」
――― すてきな表現ですね。
こういうことばを口にできる大人になりたい
・・・ハイ、
充分、大人です。しかも、後半・・・
小さい時から好きでしたッ
富士山を横目に昔の人も歩いてたんですよねェ~
今、わかりましたッ
ポイントは、富士山ッ
テン
桜が美しい季節ですね。ほんの一週間の間ですが。
写真のこと、あまり褒めないで下さい。
実力も考えずに舞い上がってしまいます(^o^)/
「古東海道」いいでしょう?歩いてみたい!!って思いますよね。
街角の看板もじっくり読むといい言葉が書いてあること、ありますね。
書いた方のセンスの良さが伺えますね。
富士山!!
いいですよね~
富士山をお供に東海道を歩く。
昔の人も、今の人も、そんな旅をしたのでしょうね。
富士山は疲れた時に元気を与えてくれますよね。