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おもにどうでもいい雑記。緑園マッサージの公式ブログです♪

2008-05-31 23:38:26

2008年05月31日 23時38分26秒 | 日常
5月25日はチェリーの12歳の誕生日でした。

雨の日曜日で、チェリーの具合もいよいよ悪くなってきてたので、一日中ソバに居ようと決めました。
3時頃、父母が近所のドラッグストアにチェリーのオムツを買いに出て、その時娘が鼻血を出したので、洗面所に行って顔や手を洗ってやって、戻ってきたら目を開けてじっとしたまんま、息をしてなかったのです。
あわてて脈を探したら微かに脈打ってたので、もう泣きながら「チェリーちゃん!息をしてよっ」と叫んで揺り動かしたのですが、ダメでした。
こどもと三人でワン泣きしてたら父母がオムツを持って帰って来て、号泣。

オットも仕事の合間に帰って来て遺体にすがり付いて泣き、朝一番に「そろそろかも」と母から連絡が入っていた弟もやってきて「間に合わなかった…」と泣き、家族中で泣きました。


翌日、まだほんわかと温かく、毛並みも綺麗で、グッスリ眠っているようなチェリーを火葬しました。
大きな可愛いぬいぐるみのようでした。
なのに焼いちゃうのです。
もう耐えられませんでした。


チェリーは生後すぐに我が家にやってきました。
わたしが両親に「最後のわがまま」でお願いして飼ってもらったのです。
そりゃもう可愛くって、さくらんぼみたいに愛らしくて「チェリー」と名付けました。
わたしが25歳の時でした。

それからわたしはオットと出会い、結婚し、二世帯住宅に引っ越し、こどもを産み育てました。
結婚前にオットに初めて作ったコロッケを、揚げる前に半分以上チェリーに食べられて、半泣きで怒ったこともありました。
あまりに午前サマが続いたわたしに、母が怒って毎朝のチェリーの散歩を命じたのですが、オットが「じゃあ、俺も一緒に散歩する♪」と喜んで毎朝やってきて楽しく散歩をし、結局母は朝ごはんをオットに作ってあげなきゃならず、とんだ誤算だったというのも懐かしい笑い話です。
こどもに対しては強い母性があったようで、引っ張られても乗られても、目に指を突っ込まれても、一度も怒りませんでした。
新生児のころは必ずソバに居て、神聖なモノをみるように鼻をすりよせて添い寝していました。
少し大きくなった息子をわたしが怒鳴り付けていたら、息子を守る様にわたしの前に立ち塞がって梃子でも退かないので「あ~もう!分かったよ!」と笑った記憶があります。
みんなで散歩をしてると、こども達が遅れるのがとにかく気になり、必ず待っていてくれてました。
テレビを見たり本を読んだり、泣き虫なわたしはしょっちゅう泣いてましたが、泣くとすぐに涙をべろんべろん舐めてくれました。
おいでと言っても全然来ないのに、座ってるとベッタリ寄ってくるので、新聞を読むたびに「重たい~!」と笑って押しやってました。
食事時は誰かが何かをこぼすんじゃないかと机の下に期待いっぱいで寝転んでました。冬にはそれが暖かくって、みんなでチェリーの下に足を入れてました。

書きたい事はたくさんあります。

チェリーは一階に居たのですが、二階の部屋からも、足音や水を飲む音、バタンと座り込む音…いろんな音が聞こえていました。
今は音のない世界にいるようです。


自分でも驚く程に落ち込みました。
顔の皮膚が荒れるほどに泣いて泣いて泣きまくりました。
チェリーが居なくて、寂しくて寂しくて悲しくってたまらないのです。
いまもチェリーが寝転んでた場所を、何ヵ所も探しています。
犬を飼ったことがなかったから、家族みんな、シツケも育て方も下手ッピで、気持ちも分かってやれなかった。
こどもが産まれて、こどもに夢中になっちゃって、つれなくしちゃってごめんね。
チェリーほんとにごめんね。


だけど、心の底から愛しています。
わたしの人生の最初で最後の犬が、チェリーちゃん、あなたで良かった。
堂々と大きくて、綺麗な毛並みを持ち、美しいあなたはわたしの自慢でした。
誕生日で命日となった5月25日を、わたしはずっと忘れない。

明日はこどもの運動会。
チェリーが天国に行く前に応援に来てくれると信じてるこども達のために、わたしは美味しいお弁当を作ることにします。

ありがとう。たくさんありがとう。



ひたすら長い文章ですいませんでした。
納得行く写真を探して、後日、画像を載せます!