リニューアル☆姐さんの日記帳 gooバージョン

長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は ものこそ思へ

わずか10代で、人生を投げないでほしい。

2014-09-19 20:08:35 | みんなの生活
先日のうちにアドレス、貼り付けておけば良かったかな?
日本はドロップアウトした若者のやり直しがききにくい国だと。

それはそうである。
私もそれは、何度も実感している。
ドロップアウトした若者、といっても、
たとえば、被虐待児のため、家出同然で実家を出たとか、
DVの被害で逃げたとか、
必ずしも、自己責任、とは言いがたいモノもある。

一見自己責任に見える転職とか(ブラック企業かもしれないが)
不登校とかも必ずしも、そうではない。

仮に自己責任だとしても立ち直るきっかけや支援は欲しいとは思う。

日本は自助努力が大前提であり、
真面目で勤勉な国民性は悪いことばかりではないが、
それを他人に強いる傾向がある。
ただ、それって、『実家に恵まれている』前提が必要だ。

仕事にしても、下手なところに勤務して、
自己責任であろうと、解雇であろうと、実家がしっかり機能していれば、
生活に追われて焦って変なところに勤務することはない。
パートやアルバイトをしながら、チャンスを待つ、という方法も可能だ。

しかし、実家に力がない場合、
焦ってまた、似たようなブラック企業に勤務してしまって、続かなくなったり、
そうこうしているうちに「何をやっても続かないダメなやつ」
のレッテルを貼られてしまったり、
自分でも自己評価が下がって、
「自分なんか何やっても無駄なんだ・・・」となってしまったりする。

それって、生まれ・育ちの大前提で決まる面があり、
実家が冷たければ、難しいのは事実である。
中にはそんな状態でもしっかりやれるだけ
本人に力があって乗り越えられたりはするが、
その人を当然として話を進めて行くには無理がある。

本人に力がない場合、
まして、その力がない理由が
気がつきにくい軽度の知的障害や、知的障害はなくても発達障害とか、
そんな可能性だってある。

社会でそれを救う必要はあり、制度を作っていく必要は感じる。

しかし・・・

天は自らを助ける者を助ける・・・

湯浅誠氏の『五重の排除』の中にある『自分自身からの排除』・・・
コレが厄介である。

つまり、自分自身の手で人生を投げてしまった者、捨ててしまった者は
救いようがないのである。

10代で人生を投げてしまっているのだ。自分自身の手で。

人は教育で変わるのだろうか?

他人は変わらない。
過去と他人は変えられず、変えられるのは自分と未来。
他人を変えようと働きかけるのはおこがましい、という考え方もある。

しかし、教育の力で人が変わらないとすると、これまた、虚しい。

自分を捨ててしまった場合、
その人は教育で変えられるのだろうか???
私を悩ませている当事者は
多分、私がこんなに悩んでいることも
その人のために何をすればいいのだろうか?と考えていることも
多分、知らない。
その人のための助言も「うざい」と思っているだろう。

そんな10代で捨てないでよ・・・
自暴自棄にならないで。
貴方の人生はまだまだ、これからなんだよ。

その人の人生を救えないのが、
今の『日本の若者の施策の貧困さ』だとすれば、
適切なサポートをすれば、変わるのかもしれない。
しかし、自分で真剣に変わろうと思わない限り、
他人は変えられないとすれば、どんなに素晴らしいプログラムを提供しても
自分自身でそれを排除してしまう・・・

『生活保護制度』。。。
それもまた、『稼働能力の活用』を求められる。
つまり、活用する気がない場合、保護の要件から外れてしまう・・・

その人は生きていてはいけないのだろうか???
いや、その人にだって、生きる権利はある。
しかし、生かせる制度がない。
病気でも障害でもない『やる気のない者』を法律は助けない。

まだ、10代の年齢、というのは、生活が分からない。
家賃や水光熱がかかることすら、生活にお金がかかることすら、
下手をしたら知らない。
税金も社会保障制度も分からない。
しっかり学校に通っていれば、まだ、理解可能だが、
学校に通っていなければ、『社会』って何?の世界にいる。

分からないことだらけでは本人だって、辛いだろう。
ただ、分からないから、勉強する、という方向だったらいいのだが、
分からないから、ヤーメタ、となった場合、誰も救えないのである。

本人にやる気があって、勉強しようとしていれば、
救いの手はいくらだって、差し伸べられるし、
サポートも出来るが、
「分からないから、イヤダ。止める。」となれば、誰も救えない。

生きていく権利はある。
人権もある。
しかし、自分の手で、人生を放棄してしまったら、救える制度がない。
もっとも生活保護に関しては、こういう方はそう簡単に廃止にはしないと思われるが。
診断という意味では障害ではないが、
社会的なことを理解できていないから生活しずらい、というのは
ある意味、障害だから。

一瞬はいいだろう。
周りの大人がその場限りでは助けてくれる。
しかし、それは、続かない。
一時のメンバーでカラオケとかレジャーを楽しむことは出来るだろう。
しかし、温度差やジェネレーションギャップがあり、
何せ、本人がネガティブである以上、付き合いきれる人はいない。
親すら難しくなってくる。
既に虐待傾向の親かもしれないが。

今、その人に必要なのは適性年齢の仲間だと思う。
同世代の友達と遊んだり、話したりして、社会を学んでいく。
もっと勉強して、運動して成長していく時期である。
一時の享楽的なつきあいではなく、真実の友情で
未来をともに語り、夢に向かって前進していくことを話せたり、行動したり出来る
同世代の仲間が今のその人には必要なのである。

分からないことをそのままにしておくのではなく、
分からないことを学んでいくことが必要なのである。

そんなことを私が考えているのもその人はどこ吹く風、だろうし、
こんなにちょっとしかつきあいのない人が
真剣に思ってくれていることも知らないだろうし、
その人のためを思っての苦言も届かないだろう。

だって、人は変わらないから。

若者がドロップアウトすると、立ち直ったり、
再チャレンジするのが難しい国だからこそ、
今、頑張らなくてはならないし、そのための助言でもある。

それが伝わらないんだろうな・・・
うざい、サイアク、そんな風にしか感じられず、
自分の人生を捨ててしまっている。
どうせ、自分なんか・・・と思っている以上、その人の前進はない。

40過ぎて、夢を諦める・・・それならまだしも、
10代で諦めてしまう人生は辛すぎる。
人生を捨ててしまうには若すぎる。

もっと成長して、大人になって欲しい。

しかし、他人にそういうのもおこがましいとも言える。

40、50・・・・
病気になったり、障害を負ったり、夢を諦め、挫折して、
ふてくされて生きていく・・・それですらもったいないが、
まだ、10代なのに、夢もやりがいも楽しみも仲間も見つけられない・・・
享楽的なその場の楽しみだけしか見つけられない。

今、分からなくてもいい。
でも、3年、5年・・・言った意味が分かるようになって欲しい。
せめて、今の日本では
通信制でも夜間でもいい。
高校を卒業しないと職業選択その他で
自分が不利益を被る。
自分の人生なんだから、自分が大切だったら、
自分を大事にして欲しい。

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