リニューアル☆姐さんの日記帳 gooバージョン

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障害児産んだら・・・???

2016-03-09 19:48:58 | 子育て
http://beauty.yahoo.co.jp/lifestyle/articles/372588
「障がい児産んだら人生終わった」またしてもママの悲痛な声

という悲痛なタイトルに目を奪われた。

私は数ヵ月前に第一子を産んだ。
全文をコピーしました。

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私20代、夫30代。

二人とも正社員だけど給料は高くない。

まあごく普通の夫婦。

共働きならなんとか子育てしながらやっていけると思った。


だけど、生まれたのは口からミルクを飲むことも息をすることもままならない
重度の障害児だった。

医師や保健師からは、こういう状態の子供を産んで働いている母親はいないと言われた。

人工呼吸器をつけていたり、
鼻に入れたチューブから栄養を取っている子はどこの保育園でも預かってもらえない。

みんな子供の介護をしながら、手当てをもらって暮らしている。
それが当たり前だって。

手当てといっても給料と比べればわずかな額だ。

片働きになれば、今の家には住めなくなるし相当切り詰めた生活をしなければならない。
次の子を持つのも難しい。

だったら、死のうかなって思ったよね。
子供と一緒に。

就活をけっこう頑張って入った会社だったんだよ。

妊娠中、子育てに夢を描いて選んだ家だったんだよ。

そういうの全部なくして、残りの人生、
親を親と認識できるかも分からない子の介護をするのかと思うと、絶望が凄い。

子供が可愛くないわけじゃない。でも失ったものが大きすぎる。

あとさ、出生前診断ってよく話題になってるけど、
分からない障害の方が圧倒的に多いんだよね。

特に呼吸器とかが必要になるような重い障害って、
脳の機能の問題だったり、出産時の事故だったりが多いから
産んでみるまで予想もつかない。

母親の年齢もあんまり関係ないし。

子供を持つのって待機児童の心配とかもあるけど、

こういう思わぬリスクもあるんだなって、産んでから初めて知った。

誰だって障害児を産む可能性はあるんだから、

せめて、どんな子が生まれても普通に生活を続けていける社会になって欲しいと切に願う。

…ってなことを吐き出したくなったから書いてみた。

―――3月7日21時追記―――

凄い数のブクマついてて驚いた。

いろんな人が興味を持ってくれているようでありがたく思う。

医療ケアのある重度障害児育てていると、
困ったことがあってもデモとかで訴える余裕もないし
(そもそも物理的にあんまり外出できないし)、

どうしたって自分たちが少数派だからと、伝えることを諦めがちになっていた。

だからこういう形で吐き出した悩みに、
多くの人が意見を寄せたり拡散をしてくれたっていうのは、本当にありがたい。


今、恋をしたり、結婚式をあげたり、妊娠を喜んでいるカップルや夫婦が

いつか重症児の親になってしまった時、
もう少し絶望しないですむよう社会が変わっていくといいな。

それと、いくつか寄せられた障害児の延命への批判や疑問について。

私のケースだと、出産後に異変がわかって、
あれよあれよという間に呼吸器がついて経管栄養がついて、

延命について考える機会もなかった。

「命は助かりました。医療ケアがあれば生きて行けます。
あとは親御さんが頑張って育ててください」っていう感じで怒涛の育児が始まったw

延命はするにしても、しないにしても重い決断だけど、
発達が望めないような障害の場合選択の機会はあってもいいんじゃないかと思う。

そして、親が考え抜いて決めた答ならどっちも正解だと思う。

(ただし、どの程度の発達が望めるかの判断が難しいケースも多いけれど)

どんな命でも大切に育てるというのはひとつの理想なのかもしれないけど、

現実を見れば、介護の担い手も福祉のリソースもすべて有限だから。

まあ、子を育てていくうちに考え方は変わるのかもしれないけど。

あと、経験者の声には勇気づけられた。ありがとう。

http://anond.hatelabo.jp/20160229202916

とりあえず、もうちょっと生きてみようと思います。

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私20代、夫30代、というのは、
姐さんと同じだな。
高年齢出産が原因ではない。

うちのメアリーはここまで、重い障害ではなかったけど、
それでも、いろいろ大変だった。
今より、もっと、働きにくい時代だった。

保育園はフツーに『待機児童』を経験した。
フツーに、ね。
つまり、障害に関係なく、入れなかった。

小学校は養護学校に行くと、学童には入れないから、
そのために特別支援学級を選んだ。
まあ、通学事情もあったしね。
学童父母連は6年間、役員をやって、障害児の置かれている状況に
改善に走った。

中一の時が大変で、
放課後等ディサービスはまだ、存在せず、
東京都の補助金事業で『障害児の放課後活動』を支援している団体があって、
そこを利用していたけど、
夏休みとか、すごく困った。

幸か不幸か(というより、コレもまた、離婚の遠因)ひとり親家庭だったから、
個別の家事援助や移動支援を増やしてもらうことによって対応した。
わがままかも知れないけど、
両親がそろっていたら個別給付の支援は受けられない。
離婚によってひとり親家庭の主たる生計維持者が私になったことで
受けられた支援である。

中三の時に今、利用している放課後等ディサービスが出来たから、
というか、私が作ったから、そこからは安心して、働けている。

↑個別給付に関しても私、活動はしたよ。
特に小学生の移動支援給付に関しては
3回の不服申し立てをした。
自立支援法になったときに移動介護が地域支援事業となったとき、
『行政処分にしない』という戦区のやり方に腹が立って、
東京都に申し立てた経緯もあるし、
プールの中介助についても文書で疑問を提示した。

相当、いろいろなことをしてきたよ。

医療行為が必要な子じゃなくても、すごく大変だった。

だから、すごく、分かる。
医療行為の分、私以上に大変だと思う。

でも、障害児のリスクも親の介護のリスクも
ある日突然、やってくる。
そういうリスクは誰にでもあるんだけど、
現実的には自分に迫ってこないことには分からない。

私、高校3年生の時、ものすごく、泣いた。
父親が倒れたことじゃないよ、っつーか、倒れたことは倒れたことなんだけど、
それで、「私、大学、行けない。」ってあの絶望感。
結果的には、なんとか、行ったけど、
介護で、受験勉強には集中できなかったし、
経済的にも相当厳しかった。

メアリーのことは、出産直後じゃなかった分、絶望感はそんなになかった。
それに、私はそれまでの人生も制約が多かったから、
メアリーが初めての足かせじゃなかった分、
そんなに絶望的にはならなかったけど。
そして、まだ、私には変えていくエネルギーがあったし、
それは、少数派の中では多数派、ということもあったと思う。

介護や障害(障害も介護だけど)って、人生を狂わす。
それが、リスクなんだけど。
自分自身でも辛いし、家族の誰かでも辛い。

そういう人たちは普通の選択肢がそもそも、ない。
普通に生きていくことが相当、難しい。
普通の人が普通に出来ることにいちいち、つまづく。
私も、就学相談は相当なストレスだった。
(地域の学校に普通に通学することがものすごく、難しい)

それでも、まだ、メアリーは普通にやってきた方だ。
私もそれなりに制約はあっても、
障害の理由(原因)で、何かを諦めたことは一度もない、と言える。

強いて言えば、フルタイムで働けないなあ・・・とは思うけど、
それも、メアリーが社会人になるまでだし、
それからでも、どうにかするよ。

私の周りの方々は比較的、障害には理解あります。
放課後等ディサービスも『学童父母連』仲間に作っていただいたようなものです。
私の大切な仲間で、いつも感謝しています。

どうか、皆様、一緒にこういう問題を考えてください。
私たちが普通の生活が普通に出来るように
ご協力をお願いいたします。




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