「愛する子供たちへ」-心の糧メッセージ

クリスチャンとして歩む未熟な父親が、自らの子供たちの幸福を願い、その信仰と霊性を養い育むべく記す「心の糧メッセージ」!

「マラキの預言の成就-家族の救いと昇栄に不可欠な神殿の業」

2014年05月24日 00時08分50秒 | 神殿・先祖の救い
愛する子供たちへ

 人はこの世で泣き、笑い、学び、働き、遊び、生き、そして死にます。ヨブは次のような人生で最も興味をそそる簡潔な問いのひとつを投げかけています。

「人がもし死ねば、また生きるでしょうか。」(ヨブ14:14)

 答えはもちろん「はい、その通り!」です。救い主の贖いの犠牲、贖罪の恵みによりすべての人は文字通り復活します。死んでもまた生きるのです。この問いの前にヨブは興味深い前置きを幾つか述べています。

「女から生れる人は日が短く……花のように咲き出て枯れ〔る。〕……木には望みがある。たとい切られてもまた芽をだし、その若枝は絶えることがない。……若木のように枝を出す。」(ヨブ14:1 、2 、7、9)

 天の御父の計画は家族に関わる計画です。「家族は神の子供たちの永遠の行く末に対する創造主の計画の中心を成すもの」(「家族-世界への宣言」)です。非常に感動的な聖句には、家族に関連した比喩として「根や枝のある木」という概念が使われています。

 旧約聖書の最終章であるマラキ書では、この比喩によって救い主の再臨が鮮明に語られています。高慢な者と悪人はわらのように焼き尽くされ、「根も枝も残〔ら〕ない」(マラキ4:1)と書かれています。どの人も家族の木に連なっています。人の「根」はその先祖で、「枝」は子孫です。「根も枝も残さない」とは、先祖からも子孫からも永遠に絶たれるということです。しかし幸いなことに、マラキはこの章の終わりに、次のような主の心強い約束について述べています。

「見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。彼は父の心をその子供たちに向けさせ、子供たちの心をその父に向けさせる。これはわたしが来て、のろいをもってこの国を撃つことのないようにするためである。」(マラキ4:5~6)

 世界中のキリスト教徒とユダヤ人は旧約聖書に書かれた預言者エリヤの話が真実だと考えています。ユダヤ人は2,400 年間、預言者エリヤが戻って来るのを待っています。今日でも年に1度のセデル(過越の祭りの祝宴)の時には預言者エリヤのために席を設け、メシヤの到来を告げるために彼が戸口に現れるのを待っています。彼は、イエス・キリストの時代の前にメルキゼデク神権の結び固めの鍵を持っていた最後の預言者でした。(「聖句ガイド」『エリヤ』の項、56)彼は、変貌の山にモーセと共に現れて、ペテロ、ヤコブ、ヨハネに神権の鍵を授けています。(マタイ17:3)

 1820年早春、ジョセフ・スミスは神とイエス・キリストにまみえました。その3年後の1823年に天使モロナイの訪れを受けました。これは黙示者ヨハネが預言した以下の預言の栄えある成就でした。

「わたしは、もうひとりの御使が中空を飛ぶのを見た。彼は地に住む者、すなわち、あらゆる国民、部族、国語、民族に宣べ伝えるために、永遠の福音をたずさえてきて、大声で言った、『神をおそれ、神に栄光を帰せよ。神のさばきの時がきたからである。天と地と海と水の源とを造られたかたを、伏し拝め』。」(黙示録14:6~7)

 この回復の幕開けに際して、復活した天使モロナイは、若き預言者ジョセフ・スミスへ授けた最初の教えの中で、先ほどのマラキの預言(マラキ4:5~6)を再び強調し、預言者エリヤが再び地上を訪れることを約束したのです。(History of the Church、1:12;教義と聖約2章参照)

<預言者エリヤ、鍵を回復する>

 預言者エリヤは、預言通り、確かに再び地上に現れました。1836年4月3日にカートランド神殿を訪れた預言者エリヤは、マラキの約束を成就すると宣言し、現代の神権時代に家族を永遠に結び固める神権の鍵を預言者ジョセフ・スミスに授けたのです。それはまさにマラキが預言した末日の大いなる災いを防ぐための重要な現れであり、永遠の生命に不可欠な、夫婦や親子そして先祖と私たちを永遠に結ぶ神権の鍵の回復でした。(教義と聖約110:13~16参照)エリヤの使命は、時として「エリヤの霊」と呼ばれるものの導きにより果たされています。「エリヤの霊」は、十二使徒のラッセル・M・ネルソン長老が教えている通り、「家族が神聖な特性を持つことを証する聖霊の現れ」(ラッセル・M・ネルソン長老「新たな収穫の時」『聖徒の道』1998年7月号、38参照)なのです。

 救い主はバプテスマの必要性について強調し、こう教えられました。「だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。」(ヨハネ3:5)主は御自身でその模範を示されました。では、バプテスマを受けていない死者はどうなるのでしょうか。バプテスマを受けていないがゆえに滅びるのでしょうか。決してそうではありません。預言者エリヤの訪れによってもたらされた、家族を永遠に結ぶ結び固めの神権の鍵の回復により、神殿における先祖の救いの業の扉が開かれ、日の栄の王国におけるの最高の救い(昇栄、永遠の生命)に至る道が備えられたのです。

 主は預言者アモスやイザヤを通じて次のように語りました。

「まことに主なる神はそのしもべである預言者にその隠れた事を示さないでは、何事をもなされない。」(アモス3:7)

「それゆえ、見よ、わたしはこの民に、再び驚くべきわざを行う、それは不思議な驚くべきわざである。彼らのうちの賢い人の知恵は滅び、さとい人の知識は隠される。」(イザヤ29:14)

 預言者ジョセフ・スミスへの御父と御子の訪れおよび天使モロナイ、預言者エリヤの訪れをはじめ、多くの天よりの使者の訪れを通じて、主が預言者イザヤを通じて語られた「不思議な驚くべきわざ」がまさにこの末日の世に始まったのです。このわざは、「人手によらずに山から切り出され」た石が「大きな山となって全地に満ちた」(ダニエル2:34~35)とダニエルが預言した預言の成就です。ダニエルは続けて次のように預言しています。

「それらの王たちの世に、天の神は一つの国を立てられます。これはいつまでも滅びることがなく、その主権は他の民にわたされず、かえってこれらのもろもろの国を打ち破って滅ぼすでしょう。そしてこの国は立って永遠に至るのです。」(ダニエル2:44)

 この神の国が立って永遠に至るという預言は必ず成就します。

<神殿・家族歴史活動-生者と死者の救いの業>

 イエス・キリストの贖罪により、あらゆる人が復活し、永遠に生きることが保証されています。しかし、天の御父の前で家族とともに永遠に住みたいと望むならば、救い主が命じておられることをすべて行わなければなりません。バプテスマと確認を受けること、神殿の儀式を受けることもその中に含まれています。預言者エリヤの回復した結び固めの神権の鍵は、文字通り神殿における救いの儀式と聖約を現代にもたらすものとなりました。

 末日聖徒イエス・キリスト教会の会員は皆、適切な神権の権能を持つ人によってバプテスマと確認を受けています。また、神殿に参入し、その中で行われる救いにかかわる神権の儀式を受けることもできます。しかしながら、神の子供たちの中には、そうした機会に恵まれなかった人も数多くいます。福音に接することのできない時代や地域に生きていたからです。

 天の御父は、すべての子供たちが御自分のもとに戻り、一緒に住むよう望んでおられます。バプテスマや神殿の儀式を受けずに亡くなった人にとってこれが可能となるよう、御父は一つの道を備えられました。預言者エリヤの回復した結び固めの神権の鍵の下に、わたしたちが先祖に代わって神殿で儀式を執行するよう求められたのです。

 今の私たちが、このような恵まれた時代に生を受け、福音のあらゆる祝福に与ることができるのも、私たちの前に厳しい時代に生を受け、立派に生き抜いた先祖の方々のおかげです。彼らなくして今の私たちの祝福はありません。福音を聞く機会がなかったというだけで彼らが永遠に地獄へ行くとするならば、神は全く不公平なお方と言わねばなりません。しかしながら、決してそうではありません。完全な慈愛を持って私たちを慈しむ御父は、そのような先祖の方々の救いの道を用意しておられます。

 ペテロは次のように語っています。

「キリストも、あなたがたを神に近づけようとして、自らは義なるかたであるのに、不義なる人々のために、ひとたび罪のゆえに死なれた。ただし、肉においては殺されたが、霊においては生かされたのである。こうして、彼は獄に捕われている霊どものところに下って行き、宣べ伝えることをされた。」(1ペテロ3章18~19節)

 十字架上で亡くなられ、その肉体は墓に葬られましたが、主の霊は霊界に下って行かれ、獄に捕らわれている霊たちに福音を宣べ伝えたと記されています。

 パウロ自身も、初期の教会の聖徒たちもこの教義を完全に理解していました。そして実際に死者のための救いの儀式を執り行っておりました。死者の復活を信じない人々にパウロは次のように語っています。

「アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである。……そうでないとすれば、死者のためにバプテスマを受ける人々は、なぜそれをするのだろうか。もし死者が全くよみがえらないとすれば、なぜ人々が死者のためにバプテスマを受けるのか。また、なんのために、わたしたちはいつも危険を冒しているのか。」(1コリント15章22、29~30節)

 上述のように、ヨハネは次のように語っています。

「イエスは答えられた、『よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。』」(ヨハネ3章5節)

 これは、生きている私たちだけでなく、「だれでも」すなわち後に復活するすべての今は亡き先祖の方々についても水と霊とから生まれなければ、すなわちバプテスマを受け、御霊によって真の改心を遂げなければ神の国にはいることができないことを教えています。私たちは、愛する先祖の方々のために、初期の聖徒たちと同様に彼らの救いのための身代わりの儀式を執り行うのです。

【主の神殿】 

 末日聖徒イエス・キリスト教会の神殿は、主に奉献された特別な建物です。ふさわしい教会員は神殿に参入して、神聖な儀式を受け、神と聖約を交わすことができます。バプテスマと同様、それらの儀式や聖約は人の救いに不可欠であり、主の神殿でしか執行することができません。

 神殿に参入するもう一つの目的は、天の御父と御子イエス・キリストについてさらによく知ることです。(ヨハネ17章3節)人生の目的について、天の御父やイエス・キリストとわたしたちとの関係について、理解を深めることができます。また、前世のこと、現世の目的、死後の生活について教えを受けます。現在全世界で142の神殿が稼働しています。そして現在建築中もしくは建築が発表されている神殿も含めて、間もなく170の神殿で儀式が執り行われるようになります。主の再臨が間近に迫る中、主はその御業を確かに速めておられます。

【神殿の儀式により家族は永遠に結び固められる】

 神殿のすべての儀式は神権の権能により執行されます。この権能により地上で行われる儀式は、天においても結び固められ、つながれるのです。救い主は使徒たちに、「あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ……るであろう」と教えられました。(マタイ16:19;教義と聖約132:7も参照)

 神殿をおいてほかに、家族を永遠に結び固められる場所はありません。神殿結婚は、一組の男女を、聖約を守るかぎり、永遠にわたって夫婦として結び合わせるものです。バプテスマやそのほかの儀式は皆、この神聖な出来事に備えさせてくれます。

 男女が神殿結婚をし、その後に生まれた子供は、永遠の家族の一員となります。民法に従って結婚した夫婦は、夫婦も子供も神殿に参入してお互いに結び固められるよう準備することで、こうした祝福にあずかることができます。合法的に養子を迎えた両親は、その子供を自分たち夫婦に結び固めることができます。

 わたしたちの先祖の多くは、地上にいる間に福音について聞かずに亡くなっていった人たちです。彼らは今霊界にいてイエス・キリストの福音を教えられています。(1ペテロ4:6)福音を受け入れた人は、自分の身代わりに神殿の儀式が執行されるのを心待ちにしています。神殿で先祖のためにこうした儀式を執行するとき、先祖と喜びを共にすることができるのです。

 私たちには、先祖の方々をお救いする神聖な使命があります。(教義と聖約128:15~18)この神聖な使命を全うすべく力を尽くす時、私たちはマラキの預言(マラキ4:5~6)のさらなる成就を助ける一翼を担うことになるのです。それは、「根や枝のある木」すなわち家族が永遠の家族としてひとつに結ばれ、神の日の光栄の王国で文字通り神と共に住むための重要な鍵のひとつです。先祖の救いなくして私たちの救いはないのです。(おやじより)

 先祖の救いについてご興味のある方は以下の記事もご参照下さい。
1.「神殿・家族歴史活動-生者と死者の救いの業」
2.「先祖を救う者にもたらされる大いなる祝福」

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