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古い話ですが…昭和時代…こんな出来事がありました

2013-03-31 18:07:03 | 心に響く言葉・出来事
戦後間もない頃…昭和20年代は、下駄で小学校に通う時代でした。
満州や台湾から引き上げてきた一家、焼夷弾に焼け出されて生のみ着のまま、田舎に逃れてきた一家、父親が戦死して食事もろくろく出来ない子供たち、裕福な家庭の子は大変少なく、皆がみな、他人どころではない話でした。
お風呂もろくろく入れない子供、青バナを出して、それを袖口でふくので(ハンカチ、ちり紙等ないのだ)袖がテカテカ光ってる子供、まあ、今では考えられないような風景でした。
私が小学校六年生の時、私は町田久子先生のクラスでした。
とてもテキパキと迫力ある教育熱心な先生で、私は大好きでしたが、夏休みが終わって二学期が始まる時、私にとっては衝撃の出来事がありました。
町田先生が始業式を終えるとすぐに、「只今より、席替えをします。今学期はちょっとおもむきを変えます。
自分が一緒に座りたいという人と組んで隣同士で座ってください」
私は咄嗟にドキッとしました。
井上冨美子ちゃんはどうなるのだろう?って。
冨美子ちゃんは、ほとんど誰ともお喋りをしません。
髪も洗ったことがないのか、バサバサに汚れてます。
クラスの誰からも声を掛けられない、自分からも声をかけない、そういう
タイプでした。かと言って、今のようないじめはないのです。
皆がそれぞれの戦争体験を経て、這い上がろうとする中、悲しみや、苦しみ、そして深い傷を負いながら 大人も子供もそれぞれの十字架を背負っての生き方をしていること、それを互いに知っていたから…汚いからといって虐めたりはしません。
むしろ、お互いの傷に触れない思いやりがあったような気がします。
いつも表情の暗い冨美子ちゃんにも何か事情があったのでしょう。
話しかけるのも、躊躇するほどの暗い面持ち、結局、事情に触れる勇気がなかった自分がありました。
一方では、冨美子ちゃんに「遊ぼうよ」と声をかけることがあっても
家の事情で富美子ちゃんは「帰らなければいけないのよ」と ほとんど誰とも一緒に遊ぶことがありませんでした。
~この続きはまた明日~

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