A Diary

本と音楽についてのメモ

『日々の非常口』

2006-03-09 23:19:43 | 日々のこと
朝日新聞の木曜日の夕刊には、アメリカ出身の詩人、アーサー・ビナードさんによるコラム『日々の非常口』が掲載されている。朝日新聞には、朝刊も含めると他にもいろいろなコラムがあって、たとえば丸谷才一のもの(月に一回)とか、三谷幸喜のもの(週一回)とかもおもしろいけど、個人的にはこの『日々の非常口』が一番すぐれていると思う。

何がすぐれている点なのか。平たく言えば、「おもしろくて、ためになる」というところか。そして時事問題への言及も頻繁にあって、そういうところはなかなか鋭い指摘もする。また、ご本人が詩人だけに「ことば」へのこだわりが随所に出てきて、そのあたりも興味深い。たとえば、今日の夕刊に載ったコラムだと、「満載喫水線」という言葉からストーリーは始まる。この言葉、英語だと「Plimsoll line」となるが、この「Plimsoll」って一体何だろう、ということを紹介してくれるのだ。それもただ紹介するだけだと、普通の英語コラムになってしまうけど、ちゃんと時事問題に話を収斂させている。いつも思うのだが、ぜんぜん関係のない英単語の話がちゃんと時事問題への言及にまとまってしまう、このビナードさんのテクニックはなかなかのものだ。

いつだったか、しばらく前のことだけど、英語の「数」の単語には普通に一、二、三、と数えていくものだけではなく、日本語には見られない特殊なものがあることを紹介している回があった。特殊な数の単語と言われて思いつくのは、十二を表す「dozen(ダース)」とか、二週間を表す「fortnight」とかだけれども、このとき紹介されていたのは「score」。今ではあまり使う人はいないが、これは二十という数を意味している。(もちろん、「得点」という意味のほうでは今でも普通に使われる。)リンカーンのあまりにも有名な演説「ゲティスバーグ演説」は、「87年前、われわれの祖先はこの大陸に渡り・・・」というふうに始まるが、この冒頭の「87年前」は原文だと、「Four score and seven years ago」なのだ。間違っても「Eighty-seven years ago」ではない。

この「score」が、どのように時事ネタと結びつくのか、わかるだろうか。そう、「フランス語ではまともに数を勘定できないから国際語として失格」と語った、あの東京都知事の話にからんでくる。都知事が言うには、フランス語では91を「4つの20と11(4x20+11)」というふうに表現するが、こういうのは「やっぱり困るんじゃないの」という考え方だったのだ。でも、国際語の英語にだって、歴史的には20を一つのまとまりとして数える方法もあるのだ。ビナードさんが指摘していたのは、だいたいこんなところ。

さて、今日の夕刊の「Plimsoll」だけど、これは19世紀のイギリス人、サミュエル・プリムソルに由来する、とのこと。彼は当時の貨物船に横行していた過積載を止めさせるため、国会議員になり、そのための法律「商船法」を成立させた。当時、利益の追求ばかりを狙った貨物の積み過ぎは、往々にして海難事故の原因ともなり、多くの船員たちの命が失われた。満載喫水線「プリムソル・ライン」は、こうした人命軽視の態度を見るに見かねて命がけで規制強化の活動した彼の名前にちなむ。

で、この話がどのように時事問題の話題とつながっていくのか。ビナードさんは続ける:
「『規制緩和』という日本語は、なんとなく優しく響く。まるでその先に、いろいろいいことが待っているみたいな明るい雰囲気だ。しかし、規制が緩められた社会では、一般市民が危険にさらされ、犠牲になる実態もある。プリムソル氏の規制強化で、どれほどの人命が救われたことか」

この意見に賛成か反対かという点については、読者それぞれに意見があっていいと思う。僕がいつも感心してしまうのは、このように広い知識に裏付けられた、ビナードさんの優雅な主張の展開のしかたにある。知的興味で引き寄せながら読ませる書きかたで、うまいなあ、と毎回感じている。

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2 コメント

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夕刊 (KAFKA)
2006-03-11 13:49:21
フランス語の数の数え方については、石原都知事の発言で一時話題になりましたね。都知事とフランス語に関しては、またもや話題になっているようですが・・・。



規制緩和の弊害についても、興味深い洞察だと思います。以前、タイセイさんが紹介されていたイギリス国鉄の民営化による弊害とも繋がる問題ですね。



夕刊を読んでいないものですから、このコラムのことは初めて知りました。インターネットでも見ることはできるのでしょうか?今度目を通してみたいと思います。
フランス語は苦手 (たいせい)
2006-03-15 23:45:36
上では結構わかったようなことを書きましたが、実はフランス語のことはあまりわかりません。だから、こういう数の数え方をするんだということを知ったのも、実は都知事のおかげです。こういう面では、彼にもフランス語啓蒙効果がありましたね。



このコラムはネットで見られるんでしょうかね。僕もわからないのですが。よくあるパターンだと、いずれ単行本になるかもしれませんよ。朝日新聞社も儲けに走ってますからね。