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体調悪し、命に障りなし

今までの楽しかったこと、嬉しかったこと、悔しかったこと、困ったことを誰かに聞いて欲しいです。

宗教心のなさと言えば、

2021年05月21日 | 日記
親に宗教心がなかったのだから、仕方ないと、65才の今更なんですが、結構な大人になるまで自分の親が普通だと思っていました。親が地元を引き払い、親せきと疎遠になることを決めてから、周囲から出るはでるは、80歳の母親が異常だったと知らされました。
 生まれて1週間も生きらなかった息子(私の弟です)を亡くしているのに、我が家には仏壇もありませでしたし、そのことを気に病んでいる親を見たことがありませんでした。父を見おくり旅行三昧になった母親が亡くなる前に、御朱印帳を何冊も持っていたのが不思議でした。これこそ「人の真似」「スタンプラリーみたい」と思っていたのではないかと、心配になりました。ちなみに、私は御朱印集める趣味、とはあまりにも神様や仏様に失礼ですが・・・ありませんよ。
 義理の父の葬儀の時に、お坊さんのお話が興味深く、感銘を受け感動もしましたが、それでも私にとっての「宗教」は「文学、文化」でした。日本史の教師がお坊さんでも。
 ただ、今更残念に思っています。もっと宗教心を持てればよかったと。旅行中、神社に行ってもお寺に行っても気持ちが動かないのです。厳島神社で、私たちの添乗員が鳥居の前でお辞儀をしたのを見て、こういうことって大事だな~、と思えました。
 だからといって、その後参拝のマナーが出来たかといえばそんなことはなく、相変わらず参道の真ん中を歩くし、参拝前に屋台を覗くし、めちゃくちゃです。たまにちゃんと出来る時があっても、たまたまです。
 おかげで、「高野山に行きたい、宿坊に泊まりたい」なんて、誰も聞いちゃくれません。築地本願寺の朝食を食べるツアーに行きたいと思ってますが、何と罰当たり。ハイ(@^^)/~~~。
 ちなみに、義理の父の葬儀(娘の年齢小学3年)のお坊さんですが、義理の母の葬儀でもお話しされました。私は、心の準備があったので、覚悟していて意識的に気持ちが入らないようにしましたが、当時20代後半の娘は、お坊さんの正面に座っていて号泣してました。
 
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