2020年11月20日、お参りしました。
説明書より「昔このあたりは土地が低く、再々水害を被むる事がありました。そこで水難からのがれようとして水の神様がおまつりされました。1533年(天文2年)三好宗三(政長)が、この附近に榎並築城の際、水害を被むったので水火除難の守護神として城内に社を建てて篤くまつられたのが現在の社殿の位置と言われています。1583年(天正11年)豊臣秀吉も大阪築城に際し、水火除難の守護神として近郷の諸社中最も崇敬篤く、社殿を修築し幣帛を奉り、国家泰平を祈願いたしました。1702年(元禄16年)の大洪水では、一面水海と化し住民がことごとく困窮の日を重ねていた時に快晴の祈願をしたところ、雨がやみ洪水は減退したと伝えられています。1803年(享和2年)の大洪水にも当神社は無事であったことを榎並八箇洪水記の中に絵で記録されています。現今の社殿は1883年(明治16年)の造営後度々修築されています。」
大阪市城東区野江4-1-39
map
鳥居


石碑


手水舎

手水鉢

御神水

狛犬


拝殿


本殿

野江稲荷神社




野江水流地蔵尊
「1885年(明治18年)未曾有の大洪水が大阪北部一帯を襲った際に、当地に流れ着いたと伝わるお地蔵さんです。城東区民にとって忘れてはならない出来事の証人として、地元町会の人達に大切に守られ、地蔵盆などの行事は毎年欠かさず行われています。なお、野江水流地蔵尊は、2012年(平成24年)に大阪市の都市景観資源に登録されました。」


説明書より「昔このあたりは土地が低く、再々水害を被むる事がありました。そこで水難からのがれようとして水の神様がおまつりされました。1533年(天文2年)三好宗三(政長)が、この附近に榎並築城の際、水害を被むったので水火除難の守護神として城内に社を建てて篤くまつられたのが現在の社殿の位置と言われています。1583年(天正11年)豊臣秀吉も大阪築城に際し、水火除難の守護神として近郷の諸社中最も崇敬篤く、社殿を修築し幣帛を奉り、国家泰平を祈願いたしました。1702年(元禄16年)の大洪水では、一面水海と化し住民がことごとく困窮の日を重ねていた時に快晴の祈願をしたところ、雨がやみ洪水は減退したと伝えられています。1803年(享和2年)の大洪水にも当神社は無事であったことを榎並八箇洪水記の中に絵で記録されています。現今の社殿は1883年(明治16年)の造営後度々修築されています。」
大阪市城東区野江4-1-39
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鳥居


石碑


手水舎

手水鉢

御神水

狛犬


拝殿


本殿

野江稲荷神社




野江水流地蔵尊
「1885年(明治18年)未曾有の大洪水が大阪北部一帯を襲った際に、当地に流れ着いたと伝わるお地蔵さんです。城東区民にとって忘れてはならない出来事の証人として、地元町会の人達に大切に守られ、地蔵盆などの行事は毎年欠かさず行われています。なお、野江水流地蔵尊は、2012年(平成24年)に大阪市の都市景観資源に登録されました。」



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