2022年1月26日、お参りしました。
「創立年は不詳、伝として天平年間に行墓菩薩開基の覚王寺の鎖守の神として勧請されたと云われている。1325(正中2)年に鋳造した梵鐘が、洲本市上内膳蓮光寺に現存し、その銘に『淡路国塩田庄櫟田宮』とあり、1333「(正慶2)年改鋳の事が刻まれており、この鐘が元は当社のもので、後世に洲本の八幡神社に移り現寺院に渡った。1819(文政2)年に社殿を焼失し、あらためて大和国春日神社より御分霊を勧請し社殿を再興したことが、現在の棟札(上棟文政4年11月26日)に記されている。1870(明治3)年徳島藩民政庁より金一千疋が奉納され、1873(明治6)年2月に郷社に列せられ、1890(明治23)年に境内を整備、本殿を現在地へ遷し幣殿、拝殿を新築した。1957(昭和3)年10月に本殿屋根替、境内神社等の大営繕をなし、戦時中供出していた神鹿像を再建、境内整備、また、1985(昭和60)年3月本殿を銅板屋根に葺改め、1986(昭和61)年12月に幣殿屋根を葺替した。」
兵庫県淡路市里櫟田333
map
鳥居
神門
社標
狛鹿
手水舎
狛犬
拝殿
本殿
庫
地神神社
住吉神社
熊野神社
稲荷神社
「創立年は不詳、伝として天平年間に行墓菩薩開基の覚王寺の鎖守の神として勧請されたと云われている。1325(正中2)年に鋳造した梵鐘が、洲本市上内膳蓮光寺に現存し、その銘に『淡路国塩田庄櫟田宮』とあり、1333「(正慶2)年改鋳の事が刻まれており、この鐘が元は当社のもので、後世に洲本の八幡神社に移り現寺院に渡った。1819(文政2)年に社殿を焼失し、あらためて大和国春日神社より御分霊を勧請し社殿を再興したことが、現在の棟札(上棟文政4年11月26日)に記されている。1870(明治3)年徳島藩民政庁より金一千疋が奉納され、1873(明治6)年2月に郷社に列せられ、1890(明治23)年に境内を整備、本殿を現在地へ遷し幣殿、拝殿を新築した。1957(昭和3)年10月に本殿屋根替、境内神社等の大営繕をなし、戦時中供出していた神鹿像を再建、境内整備、また、1985(昭和60)年3月本殿を銅板屋根に葺改め、1986(昭和61)年12月に幣殿屋根を葺替した。」
兵庫県淡路市里櫟田333
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鳥居
神門
社標
狛鹿
手水舎
狛犬
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本殿
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