2016年9月7日、お参りしました。4日の夜に阪九フェリーに乗船し、5日朝に新門司港下船。当初は最初にお参りする予定でしたが、台風12号が丁度北九州に上陸して通過したため、コースを変更し大分を先に観光しました。長崎観光の後、長崎の稲佐山観光ホテルに宿泊し、佐賀城ほか佐賀市内観光の後に立ち寄りました。中学校の修学旅行生で一杯でした。
福岡県太宰府市宰府4-7-1
map
パンフレットより「太宰府天満宮は、太宰府に左遷され、延喜3年(903)この地で亡くなられた菅原道真公をお祀りしています。幼いころから文才に秀た道真公は18歳で進士、33歳で文章博士となり、55歳で右大臣に就任しました。有力氏以外の右大臣は吉備真備以来のことで、異例の昇進は藤原氏の強い反発を招き、延喜元年(901)、藤原時平のざん言により失脚、大宰権帥として都を追われました。道真公が配所の榎社で薨去されたのは2年後の59歳の時で、門弟の味酒安行が延喜5年(905)に墓所に祠を建てたのが天満宮の始まりです。その頃、都では天変地異を道真公のたたりとして畏れた人々が、道真公を御霊として神格化するようになりました。延喜19年(919)には勅命により社殿が完成し、道真公の御神徳を追慕する庶民の間に天神信仰が広まり、太宰府は門前町として発展してきました。道真公の御墓所でもある現在の本殿は、天正19年(1591)小早川隆景公によって建立された五間社流造です。国の重要文化財に指定されています。」
参道の土産物店
太宰府駅
梅ケ枝餅
大鳥居まで店が並びます。
延壽王院三門
「天保5年(1854)に上棟された、切妻造、本瓦葺です。」
御神牛
「道真公が丑年生まれであることや、亡骸を乗せた牛車が止まった場所が現在の本殿であることなど、天神さまと関わりの深い牛を「神牛」として称得ています。」
境内図
太鼓橋
「鳥居をくぐり、参道と本堂の間に神苑が広がり、池にかかる三つの橋が太鼓橋・平橋・太鼓橋で、手前から過去・現在・未来を渡る橋と言われています。」
今王社
「昔は参道にあった天満宮の末社で、藩主の代参者達が、参詣の途中で汚れに遭うと、ここに幣物を捧げて帰るのが通例だったといわれています。」
志賀社(重要文化財)
「太鼓橋の傍にある天満宮の末社で、長禄2年(1458)の再建と伝えられています。小さいながらも質感のある神殿は一間社入母屋造、正面千鳥破風付、向拝一間、唐破風造、檜皮葺で、祭神は海神(綿津見三柱神)です。」
亀
絵馬堂
楓社
蘇峰詩碑
麒麟及び鷺像
手水舎
楼門
「本殿側と太鼓橋側とで形態の異なる珍しい楼門。回廊とともに何度か焼失し、現在の門は大正3年に再建されたものです。」
狛犬
可愛いですね。
本殿(重要文化財)
「天正5年(1591)に竣工した、五間社流造、正面向拝一間、軒唐破風付、左右側面各一間車寄、檜皮葺です。
福部社
老松社
御子社
厄晴れひょうたん掛所
筆塚
夫婦樟
「日本の樟が、夫婦のように寄り添う姿から名づけられました。」
尊意社
野見稲荷社
相輪塔
「仏教の塔の新しい形式で仏教大師によって伝えられ、心柱が通り下から露盤、覆鉢、請花、九輪、水煙、竜舎、宝珠の各部から成る。享和2年(1802)に建立し弘化4年(1847)に再建、1075年大祭記念として東神苑より此の地に移転されました。我が国に8基あり、九州に現存するのはこの一基のみという貴重なものです。」
中島神社
時打堂
お疲れ様でた。
福岡県太宰府市宰府4-7-1
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パンフレットより「太宰府天満宮は、太宰府に左遷され、延喜3年(903)この地で亡くなられた菅原道真公をお祀りしています。幼いころから文才に秀た道真公は18歳で進士、33歳で文章博士となり、55歳で右大臣に就任しました。有力氏以外の右大臣は吉備真備以来のことで、異例の昇進は藤原氏の強い反発を招き、延喜元年(901)、藤原時平のざん言により失脚、大宰権帥として都を追われました。道真公が配所の榎社で薨去されたのは2年後の59歳の時で、門弟の味酒安行が延喜5年(905)に墓所に祠を建てたのが天満宮の始まりです。その頃、都では天変地異を道真公のたたりとして畏れた人々が、道真公を御霊として神格化するようになりました。延喜19年(919)には勅命により社殿が完成し、道真公の御神徳を追慕する庶民の間に天神信仰が広まり、太宰府は門前町として発展してきました。道真公の御墓所でもある現在の本殿は、天正19年(1591)小早川隆景公によって建立された五間社流造です。国の重要文化財に指定されています。」
参道の土産物店
太宰府駅
梅ケ枝餅
大鳥居まで店が並びます。
延壽王院三門
「天保5年(1854)に上棟された、切妻造、本瓦葺です。」
御神牛
「道真公が丑年生まれであることや、亡骸を乗せた牛車が止まった場所が現在の本殿であることなど、天神さまと関わりの深い牛を「神牛」として称得ています。」
境内図
太鼓橋
「鳥居をくぐり、参道と本堂の間に神苑が広がり、池にかかる三つの橋が太鼓橋・平橋・太鼓橋で、手前から過去・現在・未来を渡る橋と言われています。」
今王社
「昔は参道にあった天満宮の末社で、藩主の代参者達が、参詣の途中で汚れに遭うと、ここに幣物を捧げて帰るのが通例だったといわれています。」
志賀社(重要文化財)
「太鼓橋の傍にある天満宮の末社で、長禄2年(1458)の再建と伝えられています。小さいながらも質感のある神殿は一間社入母屋造、正面千鳥破風付、向拝一間、唐破風造、檜皮葺で、祭神は海神(綿津見三柱神)です。」
亀
絵馬堂
楓社
蘇峰詩碑
麒麟及び鷺像
手水舎
楼門
「本殿側と太鼓橋側とで形態の異なる珍しい楼門。回廊とともに何度か焼失し、現在の門は大正3年に再建されたものです。」
狛犬
可愛いですね。
本殿(重要文化財)
「天正5年(1591)に竣工した、五間社流造、正面向拝一間、軒唐破風付、左右側面各一間車寄、檜皮葺です。
福部社
老松社
御子社
厄晴れひょうたん掛所
筆塚
夫婦樟
「日本の樟が、夫婦のように寄り添う姿から名づけられました。」
尊意社
野見稲荷社
相輪塔
「仏教の塔の新しい形式で仏教大師によって伝えられ、心柱が通り下から露盤、覆鉢、請花、九輪、水煙、竜舎、宝珠の各部から成る。享和2年(1802)に建立し弘化4年(1847)に再建、1075年大祭記念として東神苑より此の地に移転されました。我が国に8基あり、九州に現存するのはこの一基のみという貴重なものです。」
中島神社
時打堂
お疲れ様でた。