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倭文神社(湯梨浜町宮内)、伯耆一宮経塚

2017-05-03 16:30:12 | 鳥取
2017年5月2日、前日に国民宿舎水明荘に宿泊し、倭文神社にお参りしました。
『倭文(しとり)神社は、安産の神、伯耆一宮として知られている。創建は明らかでないが、延喜式神名帳にその名がみられる式内社で、格式のある神社である。伝えによると大国主命の娘、下照姫命が出雲からこの地に着き、御冠山を背後にしたこの地に住居を定めたといわれている。この地方は倭文織が盛んだったので、建葉槌命を主神に、下照姫命、事代主命、建御名方命、少彦名命、天稚彦命、味相高彦根命など、出雲系の神が祀られている。承和4年(837)従五位下、斉衡3年(856)従五位上、天慶3年(940)従三位から正三位に進んだと文献にあり、「正一位伯州一宮大神宮」の額もみられる。戦国時代の戦乱の影響を受けるまでは、社殿は広大で、1000石の御朱印地であったといわれている。戦乱で荒廃した神社は有力な武士の寄進を受けて存続し、天文23年(1554)尼子晴久が社殿を造営、また元亀元年(1570)には南条宗勝が復旧している。現在の社殿は文化15年(1818)に建立された。』
鳥取県東伯郡湯梨浜町宮内754
map
東郷池に沿って走る鳥取県道234号線に倭文神社へ1kmと表示があります。
神社の手前に安産岩
「難産に苦しんだ婦人が、一宮の祭神で安産の神といわれる下照姫を信仰して、願をかけたところ、満願の日にこの岩で無事出産したことから安産岩といわれるようになったそうである。これにあやかってこの岩を削り、妊婦が服用すると安産すると伝えられている。」

夫婦岩
「安産岩の北側に夫婦岩と呼ばれている二つの岩がある。右の岩が女性、左の岩が男性を現わしているという。一説によると、ここで夫婦の契りをかわし、安産岩で安産を願い、一宮神社でおはらいを受けるという一連の夫婦和合から出生までの経過をたどることができると伝承されている。」

倭文神社

鳥居

説明書

狛犬



随神門













参道

手水舎

手水鉢

社務所

拝殿

狛犬









本殿

























伯耆一宮経塚
倭文神社の随神門をくぐり参道の右手の土手を少し登ったところです。
「伯耆一宮経塚は、古くは一宮の祭神下照姫命の墓だと言われ、元日の朝、ここから金の鶏が鳴くと伝えられてきた。大正4年(1915)12月、数人の者が無断で塚を掘り、中からお経を入れた銅経筒・金銅仏・銅鏡・桧扇・短刀・刀子・玉類・銅銭・漆器などをみつけた。銅経筒には銘文が刻まれており、この銘文からこの塚が経塚であることが明らかになった。平安時代の終わりごろになると、釈迦が説いた仏教の教えがすたれ、世の中が荒廃してしまうという末法思想が広がった。そこで、釈迦が亡くなってから56億7000万年後に、釈迦の化身である弥勒菩薩が現れ、人々を救ってくれるまで経典を埋め保存しようということが行われ、このように経典が埋納された塚を経塚と呼んでいる。銅経筒の銘文には、康和5年(1103)10月3日とある。出土の品は、大正9年に国宝に指定され、現在、東京国立博物館に展示されている。また、この経塚も昭和10年に国史跡に指定された。」






















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