旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

道後温泉の伊佐爾波神社、寶厳寺、圓萬寺

2016-10-21 23:16:50 | 愛媛
2016年10月18日、17日道後温泉の八千代に宿泊し翌日、伊佐爾波神社にお参りしました。道後温泉駅から東側の小高い山の上に鎮座しています。
伊佐爾波神社
説明書より「延喜式内社で、祭神は仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、三柱姫大神である。社伝によると仲哀天皇、神功皇后が道後温泉に来浴した時の行在所跡に建てられた神社で、湯月八幡とも呼ばれたという。伊佐爾波(いさにわ)という社名は諸説あるが『古事記』に「建内宿禰大臣沙庭に居て、神の命を請ひまつりき。是に大后、歸神して・・・」、『日本書紀』に「建内宿禰に命せて琴撫かしめ、中臣烏賊津使主を喚して審神者と為す」とあり、これに神聖、清浄なという意味の「い(斎)」が付いたもので、神功皇后に関わる名称ともされる。当神社は、河野氏が湯築城の鎮守として、今の地に移したといわれ、その後、加藤嘉明が、松山城の固めとして八社八幡を定めたとき、一番社として武運長久の祈願所となったという。現在の社殿は、松山藩松平第3代藩主の定長が、将軍から命じられた流鏑馬を成功させたお礼として建立したもので、その様式は、大分県の宇佐神宮、京都の石清水八幡と並んで日本を代表する八幡造といわれる。」
愛媛県松山市桜谷町173
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正面に鳥居が見えます。



参道の133段の階段

燈籠

説明書

手水鉢





狛犬











境内より



手水舎





楼門(重要文化財)
「江戸中期の寛文7年(1667)に建立、一間一戸楼門、入母屋造、向拝一間、向唐破風造、本瓦葺。」





















重要文化財などの説明



廻廊(重要文化財)
「桁行延長五十七間、梁間一間、一重、入母屋造、南門及び北門部 向拝一間、向唐破風造、本瓦葺。」

























































本殿(重要文化財)
「内陣 桁行九間、梁間二間、一重、切妻造、檜皮葺。外陣 桁行九間、梁間二間、向拝三所、一重、流造、檜皮葺。」









申殿及び廊下(重要文化財)
「申殿 桁行一間、梁間一間、一重、切妻造、檜皮葺。」











寶厳寺
「寶厳寺は寺伝によると天智天皇7年(668)斉明天皇の勅願で国司越智守興が創建したという。当初は法相宗であったが、平安時代中期に天台宗に転じたあと時宗が隆盛し、弟子の仙阿がここに住むようになって正応5年(1292)寺は再建され時宗に改められたとある。時宗の開祖一遍は河野通広の第ニ子として延応元年(1239)に生まれた。幼くして僧門に入り文永11年(1274)時宗を開き翌年熊野の地で神勅を受けて「南無阿弥陀佛」と記した佛札の賦算を始めた。弘安2年には信濃国佐久郡で念仏踊りを始めた。その後正応2年(1289)神戸真光寺で死すまで全国各地を念仏遊行し一所住捨遊行上人と尊崇された。」









山門

一遍上人の誕生地(愛媛県指定記念物・史跡)



































圓萬寺



















行基の作といわれる大地蔵
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道後温泉・八千代

2016-10-21 20:52:18 | 温泉、旅館、ホテル
2016年10月17日宿泊しました。道後温泉は、「日本書紀」にも登場する最古の温泉で、泉質はアルカリ性単純泉です。プラン名は本当に・・!?人気のプランが最大40%OFF【お部屋で味わう豪華懐石】。四国でしか食べれない食材を八千代総料理長による瀬戸の和食本格会席、さらにゆっくりお寛ぎ頂けるお部屋食。お風呂は地下1階で、朝に男女入れ替えです。露天風呂はありますが、覆われていますので、星空は見れないですね。でも3回入浴しました。仲居さんほかスタッフは皆さん若い方でした。
愛媛県松山市道後多幸町6-34
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外観

室内



おもてなし



廊下





ロビー







売店











亀さんが坪庭にいました。



夕食お品かき

前菜 季節の彩盛り合わせ



造り

鯛のしゃふしゃぶ鍋



ビーフシチュー



鯛荒炊き

料理長より鰹のカルパッチョ

陶板焼き

鯛飯

デザート

生ビールを野見ながら完食です。ご馳走様でした。
朝食です。
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内子の町並み(重伝地区)

2016-10-21 20:02:30 | 愛媛
2016年10月17日、内子町八日市護国(重要伝統的建造物群保存地区)を散策しました。四国2泊3日の旅程で高知から須崎、四万十、足摺岬温泉宿泊し、宇和島城、西予市の卯之町、大洲を廻り、2日目の最後の観光地です。JR予讃線の内子駅から内子座まで約700mで高昌寺まで古い町並みが続きます。
「金比羅街道、四国遍路道として開けた旧街道。江戸期~明治期にかけて製蝋業にて発展、漆喰塗大壁の家が750メートル軒を連ねる。本芳我家、上芳我家、大村家など、中心的建物は特に上質である。」
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高昌寺の近くに駐車場があります。
高昌寺
『護国山高昌寺は、曹洞宗に属し、本尊は聖観世音菩薩、境内は3500㎡あって、伽藍配置は本山永平寺に似ている。特に均整のとれた楼門、唐破風の中雀門、回廊三列の石段、禅堂、勧学寮、鎮守堂などはみごとにお互いに調和し、近郷の寺には見ることができない建築物である。本堂には、戸・柱・欄間・天井にクス材が使われ、別名を「伊予の楠寺」ともいう。寺院構造一式を内子町指定有形文化財です。』

山門





中雀門

選佛場

鐘楼



回廊

本堂(大雄殿)







扁額(大洲藩主加藤泰候公の直筆「大雄殿」)

涅槃仏
「山門前の境外にあり、平成10年11月建立、長さ10m重量200t」





町並みへ























上芳我家住宅(重要文化財)
『芳我家は内子木蝋生産の基礎を築き、その発展の中心となった家で、本家を「本芳我」、街道筋上手にある分家を「上芳我」と呼びならわしている。上芳我家は街道の東に面して大壁造の主屋が建ち、その奥に離座敷や炊事場などの居住部分がある。居住部分の南と東には釜場、出店倉、土蔵など木蝋生産に関する諸施設が並び、広い晒場がとられている。各建物は上質で華やかな意匠になっており、木蝋生産で栄えた様子を今に伝えている。』































本芳我家住宅(重要文化財)
「本芳我家は街道の西に面して主屋と土蔵が建ち、主屋の背後に炊事場、北に庭園がとられている。主屋と土蔵の道路に面する部分は漆喰彫刻などを用いて凝った意匠としている。内部の座敷の造りもよく、上芳我家とともに内子の町並み(重要伝統的建造物群保存地区)のなかで、重要な位置をしめ、貴重な存在である。」













































大村家住宅(重要文化財)
「大村家は染め物商などを営んだ商家で、主屋や裏座敷の他、木小屋、釜場、藍蔵などの建物がある。主屋は通り庭をもつ大壁造の建物で、主屋の背後に接して建つ裏座敷は二階に座敷を作る。大村家の主屋は内子の町並みの中で最も古い民家の一つであり、附属屋もそろい、図面や記録もあって、古い商家の姿を知る上で貴重である。」

















内子座(内子町指定有形文化財)
「大正5年(1916年)に大正天皇の即位を祝い、内子町の有志によって建設された。」



















お疲れ様でした。2日目の最後の観光地を後にして道後温泉に行きます。
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大洲の町並み散策

2016-10-21 18:18:45 | 愛媛
2016年10月17日、大洲(おおず)の町並みを散策しました。宇和島城、西予市の卯之町を散策し大洲に着きました。大洲小学校前の観光駐車場に車を止めて散策です。
大洲市は、愛媛県の南予地方に位置する市で、「伊予の小京都」と呼ばれます。肱川の流域にある大洲城を中心に発展した旧城下町です。大洲街道と宇和島街道の中継地にあたります。
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大洲市案内図

大洲マップ


大洲城の天守の後、町並みの散策です。

俳人松根東洋城大洲旧居





400m東側の大洲観光総合案内所の駐車場へ移動
大洲まちの駅



大洲共同基督教会

おはなはん通り
『NHK連続テレビ小説「おはなはん」のロケ地』



















石張舗装の道



大洲エリアマップ

東の筋へ



渡辺勘兵衛邸跡



井戸

臥龍山荘(重要文化財)















明治の家並み

















昭和燈





お疲れ様でした。次は内子に行きます。
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大洲城

2016-10-21 18:18:03 | 愛媛
2016年10月17日、16日足摺岬温泉に宿泊し、17日宇和島城、西予市の卯之町散策し、大洲(おおず)の町並み散策と大洲城に行きました。
「大洲城は、鎌倉時代末期に守護として国入りした宇都宮豊房で、元徳3年(1331年)のことであるといわれています。その後戸田勝隆が城主として入ったが、文禄4年(1595年)に藤堂高虎が入城すると近世の城郭として整備され、慶長14年(1609年)には淡路の洲本から脇坂安治が入城し、この2人の時代に天守をはじめとする建造物が造営された。元和3年(1617)加藤貞泰が入城し、以降加藤氏代々六万石の居城であった。現在は四棟の隅櫓を残すのみであるが、台所櫓及び髙欄櫓は本丸にあり、天守に渡櫓で続いていた。苧綿櫓は肱川の土手に突出して造られ、旧二の丸の東南隅にあたる。三の丸南隅櫓は現在加藤家の宅地内にあり、加藤家の所有になっている。これらの遺構は勿論大洲城当初のものではないが、 その往時をしのぶ貴重な遺構である。現在の天守は、平成16年(2004年)に復元されたものです。」
大洲市大洲903番地
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西門跡、大洲高校の東南の角です。











丸南隅櫓(重要文化財)













旧加藤家住宅主屋(登録有形文化財)
「桁行12m,梁間10mの規模,木造2階建,寄棟造とする。玄関は南面に切妻造で突出する。2階は中廊下を南北に通し部屋を配す。三方を縁側とし,ガラス障子の開放的なつくりで,戦前の旧大名家の暮らしぶりが窺える。」



お殿様公園



大洲城天守

内堀菖蒲園

天守に向かいます。

北の菱御門跡







高欄櫓(重要文化財)
「江戸末期文久元年(1861)再建、二重二階櫓、本瓦葺。」









井戸丸



天守





暗り門跡

台所櫓(重要文化財)
「江戸末期の安政6年(1859)再建、二重二階櫓、本瓦葺。」





大洲城の沿革の説明書

















御門番長屋







市民会館付近からの眺め

苧綿櫓(重要文化財)
「江戸末期の天保14年(1843)に再建、二重二階櫓、本瓦葺。二の丸東端に位置し、石落しに格子窓が備えてあるのが特徴です。」





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西予市宇和町卯之町(重伝地区)

2016-10-21 11:44:09 | 愛媛
2016年10月17日行きました。宇和島城の後に立ち寄りました。宇和島城から約20Km北側の重要伝統的建造物群保存地区です。JR卯之町駅から400mくらいのところから町並みがあります。国道56号線より1筋入った商店街の2時間無料の市営駐車場(西予市商工会から北西に50mのところ)に車を止めて散策です。
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説明書
「西予市宇和町卯之町は、江戸時代を通じて宇和島藩下の在郷町とつし栄えた。地場産業である良質の檜材や、宇和盆地でつくられた良米等が集まり、5軒の造り酒屋が店を構え、商家が立ち並んだ。また宇和島・大洲を結ぶ街道の拠点として物資が集散したり、白装束のお遍路さんが往来して宿場をにぎわせた。この区域には、近世(江戸時代)の面影を伝える町家が軒を並べ、併せて寺(江戸期)・学校・教会等、明治・大正・昭和初期の歴史的建造物により、伝統的な町並みが形成されている。町並みの特徴は妻入りと平入りが混在していることである。妻入りの町家は四国地方にあまり例がなく、また格子や蔀、床几、大戸などに加え、卯建、袖壁、一階軒下の持送り、二階の手摺り、飾り瓦等の意匠も特徴的である。保存地区は中町、新地、横町、大念寺、下町に分けられ、江戸時代の地割や、各時代の建造物で独自の景観を醸し出している。」

商店街の通り、













光教寺石標



宇和民具館、月曜日休館です。



開明学校(重要文化財)
「明治15年(1882)に町民の寄附により建築された擬洋風の小学校校舎。アーチ型の窓にドイツ製のガラスが使用され、文明開化に近づこうとした町民の教育に対する情熱が込められています。現在は、教育資料館として、明治初期の貴重な掛図をはじめ、昭和初期にかけての資料約6000点を収蔵展示。」

歴史民俗資料館

申義堂
「郷校として使用された明治2年築、開明学校前身」

道祖神、この前で妻と手を握り合いました。(笑) 旧開智学校との姉妹提携により松本市から贈られたとのこと。



光教寺
縁起書より「当寺は清泰山光教寺と号し、臨済宗妙心寺派に属し、開山以来7百数十年を有する禅寺です。開山は明遠和尚、ご本尊は釈迦如来立像です。京都の西園寺家が嘉禎2年(1236)宇和郷を領有してからほぼ30年後、岩瀬(松葉城)山麓に創建されたと伝えられています。その後西園寺家が天文年間(1532~1555)に居城を黒瀬に構えた際に城内(光教寺谷)へ寺を移転し、さらに万治年間(1658~1660)に今日の場所に移りました。現在の本堂、庫裏は天保年間(1830~1843)に再建されたものです。裏手には、再建に当たった第6世利道文益和尚の作による優美で趣の深い庭園が今に残されています。明治時代に入ると、境内地を開明学校新校舎の敷地に提供し、続いて隣接地に申義堂も移築されます。当時、ニ世代にわたって長州出身の住職が当寺に迎えられ、とりわけ猷山和尚は蘭学、英語、数学や哲学など学問に長け、向学心に燃える宇和の若者たちに大きな影響をもたらしました。山門を入ると正面に本堂、右手に庫裏が並び、左手には観音堂、太子堂があります。本堂と左手の方生池との間を奥に進むと杉木立孟宗竹の薮を後ろに控えた美しい枯山水庭園が望まれます。心休まる空間をお楽しみください。」(合掌)





山門

本堂

















庫裏



町並みに戻ります。



末末住宅(西予市指定文化財)
『明和7年(1770)に建てられた平入りの建物で、蔀や格子など卯之町らしいデザインが残る町並みの代表的な町家。大正時代初期まで酒造業を営み、大正8年(1919)に「卯之町醤油株式会社」を設立し、昭和12年(1937)まで醤油製造、販売を営んでいました。』









































鳥居門(西予市指定文化財)
「天保5年(1834)、庄屋鳥居半兵衛が建てたもので、ケヤキをおしげもなくつかっている。門扉には鉄鋲を打ち、そりのある屋根には高々とした大きな鬼瓦があるいかめしい門。」







二宮敬作住居跡

お疲れ様でした。、次は大洲に行きます。
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宇和島城、宇和島きさいやロード

2016-10-21 08:12:04 | 愛媛
2016年10月17日行きました。今回の旅程は、2泊3日で高知、須崎、四万十、足摺岬、そこから北に向かって、宇和島、西予、大洲、内子、そして道後温泉宿泊で、松山観光で神戸に帰るコースです。3日間の四国ドライブパスでの四国の西側を周遊です。16日は足摺岬の温泉に宿泊し、海岸沿いの道路を走り、宇和島へ。昨日は雨でしたが、今日は天気が良く暑いくらいです。城山登山口の駐車場に車を止めて見学です。
愛媛県宇和島市丸之内
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宇和島城の説明
パンフレットより「"伊達十万石の城下町"と呼ばれ、江戸時代から四国西南地域の中心として発展してきた宇和島市は、日本屈指のリアス式海岸地帯にあります。城はその最深部、現市街地のほぼ中央に鎮座し、慶長元~6年(1596~1601)の藤堂高虎創建時には大半が海に面する地形を巧みに活かした縄張となっていました。石垣や天守、櫓は、元和元年(1615)に入部した伊達家により修築されていますが、基本的な城構えは高虎時代のものを踏襲していました。現在、堀は全て埋められ、三之丸をはじめ総郭部分約28万㎡は失われてしまいましたが、本丸・ニ之丸等の郭を含む約10万㎡の城山は、国史跡に、現存12天守の1つに数えられる天守は国重要文化財に、そして南側登城口城門の上り立ち門は宇和島市指定文化財に指定されています。」
宇和島市案内図

宇和島城説明書

藩老桑折氏武家長屋門(宇和島市指定有形文化財)
「城北東北側の登城口に位置する長屋門です。家老桑折家屋敷地に残されていたものを、昭和27年桑折家より譲渡を受け、現在地に移築、長屋の一部は失われていますが、市内には数少ない武家屋敷の建造物です。」



















井戸



井戸丸櫓跡



三之門跡





ニ之門跡

ニ之丸跡







天守
「藤堂高虎が創建したとされる望楼型天守を、宇和島伊達家2代宗利が寛文6年(1666)頃に、3重3階総塗籠式、層塔型に再建したものが現在の天守です。各階の装飾性の高い破風や懸魚などから太平の世を象徴するものとして評されるとともに、小さいながらも御殿建築の意匠が随所に見られ、非常に格式を重んじた造りとなっています。」







































天守からの眺め















































城山郷土館



穂積陳重、八束兄弟生家長屋門



















上り立ち門(宇和島市指定有形文化財)
「城山南側の搦手道口に位置し、武家の正門となっています。現存する薬医門としては、最大級であるだけでなく創建年代が最古の慶長期まで遡る可能性を秘めた、貴重な建造物です。」









和霊神社













宇和島きさいやロード、少し歩いてみました。




















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