須磨観光ハウス~花月と猫の物語

1937年(昭和12年)に神戸市迎賓館として誕生した須磨観光ハウス「花月」と猫ちゃんたちを応援するブログです。

須磨浦公園(4)~安徳宮・モルガンお雪・南洋植物園

2020-10-27 21:03:06 | 日記
一の谷古戦場の名残を求めて坂を上りました。



リタイヤ後はこのあたりに家を構えて大好きな須磨の海を眺めながら日々豊かに過ごしたい・・・若かりし頃の夢でした。
しかし、まあ、この坂道の町で暮らすのは大変だと思い直しました。時々、観光ハウス「花月」でゆっくりお食事をしながら海を眺めるぐらいがちょうどいいと思います。車が無いと暮らしは大変そうです。



住宅地を抜けると「安徳宮」があります。幼帝にふさわしく小さく可愛らしい祠です。




ここは安徳帝内裏跡伝説地 とされていますがどうでしょうね。須磨浦大好きな私ですが、歴史の先生の影響もあって「逆落としの場所=鵯越説」をとります。安徳天皇様がこんな不便な山上にいらっしゃったとは考えにくいのです。



歴史の先生も「ここよりもっと東の海上の船の中にいらっしゃったのでは、だから壇ノ浦まで生き延びられたのでは」という説をお持ちです。
また東側にある兵庫・長田には源平合戦名残の血なまぐさい跡地、例えば「腕塚町」という町名等がたくさんあります。

安徳宮の前に「モルガンお雪」の石灯籠があります。



モルガンお雪こと加藤ユキは「日本のシンデレラ」といわれ、モルガン氏との結婚式は「玉の輿の日」と呼ばれていたそうです。彼女は一時期、このあたりにお母様とお住いだったそうで、石灯籠には母の名とと並んで「モルガンお雪」の寄進名が刻まれています。



神戸南洋植物園」、何てステキな響きでしょう。
1980年代までドーム型の大温室がありました。ガラス張りで天井の高いステキな温室を外から見たことがあります。とても憧れていました。



人間にとって青年期までの「出会いと憧れ」が、その後の人生に影響することは多いのかも知れません。
私は南国タイに住み、タイに関わり生きることを選択しました。廃園になってもなお、須磨の海辺の冬にも負けずにヤシの木等がが大きく茂っています。何十年の歳月を経てなお、記憶と重なるエキゾチックなムードが漂います。



日本史に残る戦場でありながら異国風、須磨は不思議な場所です。風光明媚で日本人にも外国人にも愛され続け、歴史の香りが豊かに潮風に漂います。ぜひお越しください。


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2 コメント

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Unknown (ranchi_nx)
2020-10-29 01:16:32
いつもコメントありがとうございます😊
私の方こそ知らないことばかりです💦人生は一生勉強なのに、勉強嫌いなんです😅
知らないことばっかりで年だけ取って亡くなっていくのだと思うと、人生虚しくなります。日本に生まれても、行ったこともない所ばかり、知らないことばかりで。hanayukiayさんのように学がないのですよ……😢
猫ちゃん、可愛いですね💚どこを見てるのかな?(=^・^=)
  
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Unknown (hanayukiay)
2020-10-30 10:52:15
ブログではウィキ頼りのことも多く、知らないことがまだまだたくさんあります。歳をとって一番分かることは「自分が何も知らない」ということなんだそうです。
京大出の友人おっちゃんが70歳ぐらいの時にしみじみ「俺は何もしらん」と言っていたことを思いだします。おっちゃんは辞書食べて単語覚えられるぐらいの秀才でした。
蘭々さんは音楽や食べ物から社会問題まで、私の知らないことを本当に良く知ってらっしゃいますよ。

蘭々さんは私より多分お若いと思いますので、こんな言葉は失礼にあたるかもしれませんが、生活の中で興味のあることすべてが勉強で、それ以外の嫌々する学習はもういいんじゃないかと思っています。

私の場合、好きなことが女性っぽくないのが、良いか悪いか・・・友人はおっちゃん比率が高いです。
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