朝から雨。
ここ数ヶ月で、「雨」って何回書いたやろ?
それくらいに今年は雨が多い。
昨日のニュースでは、日照量の関係で作物の事が心配だと言っていた。
それは花にも十分に影響がある。
これから花屋にとって、とても厳しい季節がやってくる。
こんばんわ。煙草の煙が服にまとわりついてたので、ファブリーズにお世話になってる花師です。
花の寿命は限られています。
人間や他の動物達と比べると、それはとても短い命のようですが、比べる事事体おかしなことで、花は十分にその生涯を生き抜いています。
でも・・・人間っておかしなもんで、今まで綺麗に咲いていた花に元気がなくなりだすと、花の生き方に首を傾げます。
「もうアカンようになったわ」と、しゃべらない花をいいことに、責任転換をあっさりとやってのけます。
花は話す事ができない。
だから花瓶の中の水が幾ら汚れていても、文句ひとつ言えずに生きるためにその水を吸い続ける。
空気中に漂う煙草の煙にも、文句ひとつ言えずに、黙って汚れた空気を吸い続ける。
花の朽ち果てる様子を見ずしても、朽ち果てた姿を見ただけで、どんな環境下で咲き続けていたのかよくわかる。
胸が痛い・・・
いつの頃からか、花を活ける環境を見ただけで、どれくらい花が持つか、どんな理由で花が朽ち果てるのかが見えてくるようになった。
ここはよく持って・・・1週間。
その予想は8割がた当たってしまう。
小まめに水を換えてくれるだけで、花はその生命を力いっぱい生き抜く。
生き抜くには、人間が少し手を貸してあげなくてはならない。
それが人間にとって、「心のゆとり」へと繋がるのだが・・・このご時世、忙しさについつい後回しにしなってしまうのは致し方ないのか?
花を活ける側として、どこまでフォローすればいいのか?
それにも限界がある。
自分自身で限界を決めるのは、とても辛いことなんやけど、ある程度のケアをしてもらう事を、お客さんに対して要求するのは酷なことなのか?
これからの課題というてしまえば・・・言葉が続かない。
どの時点での咲き方を提供するか?
お客様に任せるのではなく、こちら側が頃合を計算して活けることがプロとしての当たり前の仕事なのだろう。
う~ん・・・まだまだ精進が足りない。
こんな話しがある。
今流行の焼酎には色々な飲み方があるが、焼酎の美味さを1番引き出すのは常温の水で割るのがイイと聞く。
花で例えると・・・
ロックはまだまだ蕾の味で、口の中で硬さが残る
お湯割りにすると、口の中で広がりすぎて満開を感じる。
常温の水だと、丁度ええ塩梅に口の中で美味さが広がるという。
それぞれに好みに合わせて飲むのが1番なのだが、ウイスキーにも同じ事が当てはまる。
花はどうだろう?
結局の所、お客様がいる仕事ゆえ、十分に楽しんでもらうのが当たり前のこと。
蕾から咲き始め、散る間際まで楽しんでもらう。
花師としては・・・朽ち果てるその姿こそが、花として最も美しい姿やと思って疑わない。
花の寿命は短い。
儚いほどに短命である。
そんな生き急ぐことなく、極々自然に咲ききる姿が美しい。
花が枯れるってことに、寂しさや虚しさを感じる人は、きっと花の美しさに癒されている人だろう。
だからこそ、枯れ行く姿に心を痛めるのだろう。
それはそれで素晴らしく素敵なことなのだが、もう一歩踏み込んで見つめて欲しい。
枯れ行く・・・朽ち果てる最後の姿に、本当の美しさを感じて欲しい。
それは花だけでなく、人間も全く同じことだと思うから・・・
美しさの中に魅せるその儚さに、人は心を洗われる。
最後にお願いです。
どうか毎日、花瓶の水を換えてあげてください。
そうするだけで、花は美しさをより美しく魅せてくれますから。
水を簡単に換えれるように、形を作って活けてますから・・・ご心配なく。
花の美しさは、女性の美しさ。
歳を重ねるごとに・・・美しさにも磨きが掛かる。
草が化けて花になり、そして時を刻んで「昇華」する。
ここ数ヶ月で、「雨」って何回書いたやろ?
それくらいに今年は雨が多い。
昨日のニュースでは、日照量の関係で作物の事が心配だと言っていた。
それは花にも十分に影響がある。
これから花屋にとって、とても厳しい季節がやってくる。
こんばんわ。煙草の煙が服にまとわりついてたので、ファブリーズにお世話になってる花師です。
花の寿命は限られています。
人間や他の動物達と比べると、それはとても短い命のようですが、比べる事事体おかしなことで、花は十分にその生涯を生き抜いています。
でも・・・人間っておかしなもんで、今まで綺麗に咲いていた花に元気がなくなりだすと、花の生き方に首を傾げます。
「もうアカンようになったわ」と、しゃべらない花をいいことに、責任転換をあっさりとやってのけます。
花は話す事ができない。
だから花瓶の中の水が幾ら汚れていても、文句ひとつ言えずに生きるためにその水を吸い続ける。
空気中に漂う煙草の煙にも、文句ひとつ言えずに、黙って汚れた空気を吸い続ける。
花の朽ち果てる様子を見ずしても、朽ち果てた姿を見ただけで、どんな環境下で咲き続けていたのかよくわかる。
胸が痛い・・・
いつの頃からか、花を活ける環境を見ただけで、どれくらい花が持つか、どんな理由で花が朽ち果てるのかが見えてくるようになった。
ここはよく持って・・・1週間。
その予想は8割がた当たってしまう。
小まめに水を換えてくれるだけで、花はその生命を力いっぱい生き抜く。
生き抜くには、人間が少し手を貸してあげなくてはならない。
それが人間にとって、「心のゆとり」へと繋がるのだが・・・このご時世、忙しさについつい後回しにしなってしまうのは致し方ないのか?
花を活ける側として、どこまでフォローすればいいのか?
それにも限界がある。
自分自身で限界を決めるのは、とても辛いことなんやけど、ある程度のケアをしてもらう事を、お客さんに対して要求するのは酷なことなのか?
これからの課題というてしまえば・・・言葉が続かない。
どの時点での咲き方を提供するか?
お客様に任せるのではなく、こちら側が頃合を計算して活けることがプロとしての当たり前の仕事なのだろう。
う~ん・・・まだまだ精進が足りない。
こんな話しがある。
今流行の焼酎には色々な飲み方があるが、焼酎の美味さを1番引き出すのは常温の水で割るのがイイと聞く。
花で例えると・・・
ロックはまだまだ蕾の味で、口の中で硬さが残る
お湯割りにすると、口の中で広がりすぎて満開を感じる。
常温の水だと、丁度ええ塩梅に口の中で美味さが広がるという。
それぞれに好みに合わせて飲むのが1番なのだが、ウイスキーにも同じ事が当てはまる。
花はどうだろう?
結局の所、お客様がいる仕事ゆえ、十分に楽しんでもらうのが当たり前のこと。
蕾から咲き始め、散る間際まで楽しんでもらう。
花師としては・・・朽ち果てるその姿こそが、花として最も美しい姿やと思って疑わない。
花の寿命は短い。
儚いほどに短命である。
そんな生き急ぐことなく、極々自然に咲ききる姿が美しい。
花が枯れるってことに、寂しさや虚しさを感じる人は、きっと花の美しさに癒されている人だろう。
だからこそ、枯れ行く姿に心を痛めるのだろう。
それはそれで素晴らしく素敵なことなのだが、もう一歩踏み込んで見つめて欲しい。
枯れ行く・・・朽ち果てる最後の姿に、本当の美しさを感じて欲しい。
それは花だけでなく、人間も全く同じことだと思うから・・・
美しさの中に魅せるその儚さに、人は心を洗われる。
最後にお願いです。
どうか毎日、花瓶の水を換えてあげてください。
そうするだけで、花は美しさをより美しく魅せてくれますから。
水を簡単に換えれるように、形を作って活けてますから・・・ご心配なく。
花の美しさは、女性の美しさ。
歳を重ねるごとに・・・美しさにも磨きが掛かる。
草が化けて花になり、そして時を刻んで「昇華」する。
こんにちわ。花師です。
「人の夢」と書いて「儚い」
花もその儚さに美しさがある。
人もまたそれと同じですね。
感謝って・・・こちらこそ感謝です。
逆の発想もありますと思われませんか?
花に癒されていた人こそが最後の果てていく姿に本当の美しさを見出せるのではないでしょうか?
長年連れ添ったご夫婦のように・・・
『美しさの中に魅せるその儚さに、人は心を洗われる。』
儚いもの故に美しく、また魅了する。
花を扱うことを生業にする者として、儚い命でありながら縁あって私の手の中に来てくれた花たちに感謝と誠心誠意の心と魂込めて生けることを考えさせられました。
ありがとうございます。