ハナの花

そのときどきの出来事や見聞について記します。

散歩、今日見た鳥たち          2020.12.20

2020-12-20 14:20:18 | 日記
昨日は、天気が悪く散歩をしませんでした。今日はやや冷寒ですが、風がなく晴天でしたので、いつものコースを歩きました。明るい空です。
心もはれます。

スズメが電線にとまっていました。 ↓


カモがたくさんいました ↓








カワウとアオサギ、この2羽はよくいっしょにいます。 ↓

ほかに、ショウビタキやキセキレイもいました。カワセミは見かけませんでした。また、そのうち遇えるでしょう。

**ご覧くださりありがとうございました。

『論語』つれづれ5 「君子は和して同ぜず。小人は同じて和せず。」 2020.12.19

2020-12-19 09:29:35 | 論語
孔子の言葉です。「くんしはわしてどうぜず。しょうじんはどうじてわせず。」意味;〈君子は調和するが、それは何でも同じ考えや行動になるということではない。一方、小人は人に追随して同じ言動をとるが、しかしそれは調和しているということではない。〉

この言葉にある「同」と「和」について、吉川幸次郎(よしかわこうじろう、1904~1980)が、「左伝(さでん)」にある斉の景公(けいこう)と晏嬰(あんえい)の問答を紹介していますので、今日はそれを引用します。

〈狩猟から帰って来た景公が首相である晏嬰と、遄台(せんだい)でくつろいでいると、佞臣(ねいしん;へつらう臣下)の梁丘拠(りょうきゅうきょ)が、むこうからやって来た。景公は梁丘拠の方を指さしながら、「あの男は私と和する」と、晏嬰にいった。晏嬰は、「あの男のは同であって、和ではありません」といい、さらに説明して、「和」とは、たとえば吸い物が、水、火、醤油、塩、梅酢と、魚肉との調和であるごとくである。それに対し、「同」とは、水に水を足し、また琴の絃の同じところばかりをたたくようなものであって、何ら建設的でなく、生産的でない。あの梁丘拠は、あなたの意見が、如何ようであれ、すぐにそれに賛成する。だから同であって、和でない。(以下略)〉(吉川幸次郎『論語・下』朝日新聞出版)

吸い物の喩えはたいへん興味深いものでした。

**ご覧くださりありがとうございました。

散歩、いつもの径でいつものような光景が。   2020.12.18

2020-12-18 15:54:52 | 日記
今日も寒い日でしたが、いつもの散歩。コロナ禍で街中には行かずいつものように近所を歩きました。


川鵜が飛んでいました 

鴨さんたち、今日は8羽いましたが、
1羽は離れた所にいました。 ↓





これはどういう鳥かわかりません。 ↓

**ご覧いただきありがとうございました。

『論語』つれづれ4 「君子は諸を己に求む。小人は諸を人に求む。」 2020.12.16

2020-12-16 09:31:51 | 論語
 「くんしはこれをおのれにもとむ。しょうじんはこれをひとにもとむ。」孔子の言葉です。〈君子は物事の責任を自分に求めるが、小人は人のせいにする。〉という意味でしょう。

 『論語』には、君子と小人を対比させた文がいくつかあります。『論語』でいう君子は、〈学問を積み人格を磨いて社会に貢献し得る立派な人で、官僚や為政者になり得る人〉というのが私の解釈ですが、小人は、〈未熟な人、至らぬ人〉の意味かと思います。

 君子は、我が事として物事を受け止めるので、物事の原因が自己にないかと自省するのに比して、小人はむしろ他人に原因があると考えてしまうというものです。

 内心、恥ずかしさに冷や汗をかく日々です。 😰