ハナの花

そのときどきの出来事や見聞について記します。

『論語』つれづれ13 「一を聞きて以(もっ)て十を知る。」    2021.1.31

2021-01-31 08:40:59 | 論語
 孔子の門弟の子貢(しこう)の言葉です。今では〈一を聞いて十を知る〉と言いますね。
 孔子が子貢に向かっておっしゃいました、〈子貢よ、お前と顔回(がんかい)とはどちらがまさっているかね。〉と。すると子貢は、〈私はとても顔回とは比べものになりません。顔回は一を聞いて十を知る人物です。私は一を聞いてやっと二を知るに過ぎません。〉とお答えしました。すると、孔子は、〈そうだなあ、お前は顔回には及ばない。しかし、それはお前だけではない、私もお前同様、顔回には及ばないのだよ。〉とおっしゃいました。
 
 子貢と顔回はほぼ同年齢です。子貢が一歳年少だったとされています。子貢は、たいそう優秀な人でしたが、人を比べたり、自分の評価を気にしたりするところのある人だったので、孔子が何かの拍子に顔回との比較を持ち出したのかもしれません。
 顔回は、孔子の講義について質問したりすることもなく、ただひたすらよく聞いていたということです。孔門随一の好学の士でした。顔回は、惜しいことに孔子よりも先に亡くなってしまいます。そのとき、孔子は、〈天が自分を滅ぼした!〉と嘆いたと『論語』に書かれています。
 顔回は、好学であり、かつ、その理解力、聡明さはすばらしいものがあったのですが、また、人格的にも非常に優れていたので、孔子から高く評価されたのでした。孔子が、子貢に〈私もお前同様、顔回には及ばないのだよ。〉と言ったとき、子貢の言う理解力や聡明さのみではなく、人格的な面でもすばらしいと言ったのではないかと推察します。

 以下、原文の訓み下し(よみくだし)です。
☆子(し)、子貢に謂(い)ひて曰(いわ)く、「女(なんじ)と回(かい)と孰(いず)れか愈(まさ)れる。」 対(こた)へて曰く、「賜(し)や何ぞ敢(あ)へて回を望まん。回や一(いつ)を聞きて以(もっ)て十を知(し)る。賜や一(いつ)を聞きて以て二を知る。」と。 子曰く、「如(し)かざるなり。吾(われ)と女と如(し)かざるなり。」  *注;賜・・・・子貢の名。子貢は、姓は端木(たんぼく)、名は賜。字は(あざな)子貢。

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散歩、途中で出遇ったカワセミです       2021.1.30

2021-01-30 18:16:58 | 日記
今朝は冷え込みましたが、晴天、無風でよい散歩日和になりました。カワセミのメスは嘴の下が赤いと聞いていたのですが、今日そのメスに出遇い、うれしい思いをしました。







ちなみに、こちらは嘴の下が黒っぽいのでオスだと思われます。

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『論語』つれづれ12 「剛毅木訥は仁に近し。」 2021.1.24

2021-01-24 13:54:26 | 論語
孔子の言葉です。「剛毅木訥は仁に近し。」
読み 「ごうきぼくとつはじんにちかし。」
意味 〈剛毅木訥といった徳はそれ自体で仁とは言えないけれども、仁に近いことは間違いない。〉

 「剛毅木訥」は全体として熟語のようになっているとされます。一応それぞれの字の意味を私なりに記してみます。(古い注釈では、別の解釈をしているものがあります。
・剛・・・意志が強くひるまない。
・毅・・・つよい。いったん決めたらゆるがない。剛毅という熟語がある。
・木・・・素朴。飾り気がない。
・訥・・・話し上手ではない。うまくしゃべらない。朴訥という熟語がある。

 毅然としていて、お上手がなく、素朴でばらべらしゃべらないというのが、人格的によいと言っているようです。
 自己の立場をよくしようとして、何につけても愛想よくうまく立ちまわり、言わなくてもよいことをぺらぺらしゃべるのは、いただけません。
 これもまた、思えばわが身の反省すべきことであります。

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『論語』つれづれ11 「躬自ら厚くして、薄く人を責むれば、則ち怨に遠ざかる。」 2021.1.23

2021-01-23 18:20:22 | 論語
 孔子の言葉です。
「躬自ら厚くして、薄く人を責むれば、則ち怨に遠ざかる。」 
読み「みみずからあつくして、うすくひとをせむれば、すなわちうらみにとおざかる。」
意味〈己の責任はきびしく問い、人の責任はゆるやかに問うようにすると、必ずや怨みの気持ちから逃れられるのだ。〉
 
 孔子は、自己に厳しく向き合い、他者には寛大に対する人で、そうした姿勢は『論語』のあちらこちらからうかがえます。

 おそらく、孔子もまた自分が理解されないときには、内心〈怨み〉を抱くことがあったのでしょう。そうした自己を反省しつつ努力して、徐々にそこから脱していったのだと思います。

 孔子は、60歳で〈耳順(じじゅん)〉、すなわち〈60歳で他人の意見にも冷静に耳を傾けるようになった〉と言います。孔子でも淡々として客観的に人の言を受け取るには、時間がかかったのだと思い、またまた恥ずかしく思う次第です。

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