ハナの花

そのときどきの出来事や見聞について記します。

『論語』つれづれ24 「群居して終日、言義に及ばず。」    2021.8.30

2021-08-30 15:26:10 | 論語
子曰、「群居終日、言不及義、好行小恵。難矣哉。」
〇読み しいわく、「ぐんきょしてしゅうじつ、げんぎにおよばず、このみてしょうけいをおこなう。かたいかな。」
〇大意 先生がおっしゃった、「私の弟子たちは一日中群れを成して集まりながら正義の道に言及することもなく、ただ小知恵をはたらかそうとのみ力を入れている。こんなことでは世の中はよくなるまい、困ったことだ。」と。

 宮崎市定(みやざき・いちさだ1901-1995)先生の解釈を下に引用します。『現代語訳論語』(岩波現代文庫)。
《子曰く、寄り集って一日中、がやがやと暇をつぶし、言うことに一言も取り柄がなく、やることと言えばつまらぬ人気取りばかり。こんな政府ならばない方がましだ。》
※※宮崎先生のは痛烈な政治批評となっています。


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旅先の光景;夏目漱石のゆかり(1) 福岡県うきは市吉井町足跡句碑

2021-08-25 12:48:47 | 漱石ゆかりの地
 うきは市吉井町の白壁交流広場内にある漱石の句碑です。
 漱石、熊本五高時代、明治32年1月1日に五高の同僚と熊本を出発しました。
 宇佐八幡宮→四日市→耶馬溪→日田→吉井→久留米→熊本と回ったようです。吉井には舟で筑後川を下り1月5日に一泊したとされています。この句碑の説明で、泊まった宿についてはっきりしないという記述に賛嘆しました。
 この広場もまさに広場というにふさわしく、気持ちのよい風が吹いていました。
 句 〇新道は一直線の寒さかな
   〇なつかしむ衾(ふすま)に聞くや馬の鈴



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『論語』つれづれ23  子曰く、「驥はその力を称せず、その徳を称するなり。」 2021.8.10

2021-08-10 10:51:00 | 論語
〇読み しいわく、「きはそのちからをしょうせず、そのとくをしょうするなり。」
〇大意 先生がおっしゃった、「名馬の場合でも、人はその能力をほめるのではないんだね、その性質のよさをほめるものだよ。」

 〈驥〉は名馬のことで、冀州(今の河北省)が名馬の産地だったことから、名馬を〈驥〉と呼んだと言われます。
 ここでは、表面上は馬のことを言っていますが、孔子は人物のことを暗に言っているようです。馬だってただ早く遠く走ればよいというものではない、人に親しみ人とうまく仕事を仕遂げる性質を持っていなければ、賞賛されない、人だってそうだ、ただ知識や知恵があって仕事ができるだけでは不十分であって、人に親しみ人とうまく仕事ができてこそ賞賛に値する人物なのだ、孔子はこのように言いたかったのではないでしょうか。

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蘆原英了 シャンソンの本            2021.8.10

2021-08-10 09:52:06 | 
 自宅の食卓に置いてあったシャンソン関係の冊子に、蘆原英了(あしはら・えいりょう)の著書「巴里のシャンソン」と「シャンソンの手帖」が紹介されていました。たまたま、この2冊と、蘆原英了が解説を書いた「シャンソン・ド・パリ」(ディーター E.シュミット著、岡田朝雄訳)を持っていましたので、引っ張り出して見ました。

「巴里のシャンソン」カバー ↓ 

「巴里のシャンソン」表紙 ↓

「シャンソンの手帖」カバー・帯 ↓

「シャンソンの手帖」表紙 ↓

 私は、歌えませんがシャンソンを聴くのは好きです。そして、シャンソンとは何かといった基本的な概念、また歌手や曲などを日本に紹介した功労者の一人が蘆原英了だと思います。蘆原英了の文は、独特のカリスマ性があります。
 
 本には装幀を味わう楽しみがあります。
 「巴里のシャンソン」の装幀は野口久光と記してあります。カバーの画にもよく見ると右下に野口のサインの入っているのがわかります。野口久光は、映画「第三の男」など多くの映画ポスターで有名な人だとのことです。表紙もすてきな深いエンジ系の布で、左上に「SHANSON DE PARIS」と型押しした題名が入っています。
 「シャンソンの手帖」の装幀は、田村義也。カバーも表紙もお洒落です。

 蘆原英了は藤田嗣治の甥で、その藤田嗣治のいとこに作家、劇作家、評論家の小山内薫と、作家の岡田八千代兄妹がいます。また、岡田八千代の夫は画家の岡田三郎助です。
 蘆原英了には、藤田嗣治と小山内薫のことを書いた著書があります。 ↓

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