花笑 はなえみ

          呼吸を大切に 呼吸を忘れないで と願っています

寄付のきっかけは東北大震災と従妹の死

2014年03月03日 15時08分21秒 | ひとり言

私が住んでいる当市も東北大震災の被災地です。

東北大震災の当日は、白昼ではあったのですが、あたりでは一体何事が起こっているのか想像もつきませんでした。

その日は、かねてより予定していた蕪島を訪れるため海へ向かっていました。
そして、バスを降りた数秒後に大きな地震が発生したのです。
海辺まで徒歩5分(蕪島まで徒歩10分)という距離です。


東北大震災の翌日くらいに、妹の運転する車で海岸沿いを走ってみました。

大きな船がけっこうな陸地まで乗り上げられている光景というのは、結果だけを見たのではにわかに信じ難いところだと思います。
2011年のことですから、今年で3年経ちますね。


特に被害の大きかった岩手県、宮城県、福島県の方々は現在でも難儀な生活をなさっていることでしょう。

2011年にちなんで寄付を試みました。

昨年は、2011円×2口=4022円を寄付できました。

今朝『あしなが育英会』という団体から報告書が届きました。
寄付した団体のひとつです。
報告書、ちょっと時間があり拝見してみました。

仙台レインボーハウス建設への寄付、という特定のことに関する寄付をしたのですが、竣工の報告と一緒に見学会の案内も同封されていました。
ほんの少し何かの役に立てたという連絡をいただいたのかなと、そういう気持ちでうれしくなりました。


求職中の身では多くを寄付できませんが、東北大震災をきっかけに、世界中のほんの少し手をさしのべれば未来が開けそうなこどもたちへも届けられるよう努めたいという気持ちが湧いてきました。

多くのものを失って、辛いはず、悔しいはずですよね。
願わくば、このような体験をなさった若き方々にこそリーダーシップを身に付けていただき世界へ羽ばたいて欲しくおもうのです。


3月11日は従妹の誕生日、なおさら忘れることはできません。
生涯、両親とは一緒に暮らすことができなかったのに、お日さまのような、ひまわりのような従妹です。
震災から数ヵ月後ガンで他界しました。

いろいろな事情で早くから一人立ちを余儀なくされるこどもたちへエールを!
お役に立てるよう努めます。


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