花笑 はなえみ

          呼吸を大切に 呼吸を忘れないで と願っています

アンデルセンの人魚姫と提婆達多品の竜女

2016年07月18日 10時37分41秒 | 本棚
 法華経 現代語訳 三枝充悳 第三文明社
 第12章 提婆達多品参考(305ページ~311ページ)

 人魚姫を読んでいて、ふと法華経の提婆達多品を思い出しました。
 女性の身体は穢れていて、さらに5つの障害があって仏にはなれないという謂(いわ)れに対して、その場に集まっている菩薩や阿羅漢たちが問答を始めるのです。
 問答の最後に、竜女が仏になるという事実を釈迦牟尼仏が認め、場に居合わせた一同が受け入れるという内容です。


 野次馬的な見方ではありますが、この品の聞かせどころは、8歳になる竜王の娘が、多くの菩薩や阿羅漢の目の前で仏になる過程をみなが観察、共有するという場面だと思います。
 しかし、なんという衝撃的で奇想天外な発想でしょうか。
 本来は、その謂(いわ)れの根拠となる由来がしっかりしているものなのかもしれませんが、あっさりと表現されています。

 この国に辿り着くまでに、広大な砂漠を渡り、幾多の山を越え、大河を越え、大海を渡り、危難に会い、それでもここまで辿り着いた仏典の数々です。
 こんな未熟なわたしですが、こころが揺れないわけはありません。

 
 敬虔なクリスチャンだとは思いますが、アンデルセンは、仏教の経典に触れたことがあるのでしょうか?
 宮沢賢治は、法華経の信者とのことですが、キリスト教的な発想の作品もありますよね。
 世界は、つながっているんですね。
 そう感じることが、ときどきあります。

アンデルセンの人魚姫

2016年07月18日 09時46分11秒 | 本棚
 完訳 アンデルセン童話集 1 大畑末吉訳 岩波文庫
 1984年5月16日 改版第1刷発行 2003年6月6日 第31刷発行

 初版訳者序に、『この本はアンデルセンのEventyr go Historierの訳であります』と書いてあります。
 童話というわけでなく、本来は『お話と物語』だそうで、子供ばかりではなく、大人も喜んで読んだものだそうです。
 
 わたしが手にしているのは、完訳10巻中の1巻目です。
 この巻には、絵本化もされて日本に良く知られている物語が沢山あります。

 小クラウスと大クラウス、小さいイーダの花、親指姫、旅の道づれ、人魚姫、皇帝の新しい着物(はだかの王様で知られる)、野の白鳥、などが掲載されています。

 読めば読むほど、アンデルセンってどんな人物だったんだろうって思います。
 子供の頃ってどんな子だったんだろうとかね、思いますよ。
 
 この書物は、もちろん文学なんですが、とても哲学的であり、かなり詩的であり、そして宗教的であり、美しくもあり恐ろしくもあり、絵画的であり、音楽的であり、たとえようもなく品格に満ちています。
 訳も優れているからこそ、こんな感情が沸き起こってくるのでしょうね。代々の訳者の方々に感謝いたします。
 そして、こんな事業を継続させてきた出版関係者の方々にも感謝ですね。

 『人魚姫』の最後のあたりに、お気に入りのフレーズがあります。

 「人魚の娘には、不死の魂というものはありません。人間の愛を得なければ、決してそれを持つことはできないのです。ですから永遠の命をさずかろうと思うならば、ほかのものの力に、たよらなければならないのです。わたしたち空気の娘も、やはり不死の魂を持っていません。けれども、よい行いをすると、それがさずかるのです。わたしたちは、むし暑い、毒気で人が死ぬような熱い国へとんでいって、涼しい風を吹かせてあげるのです。また、花のかおりを空中にふりまいて、すがすがしいさわやかな気分を送ってあげるのです。こういうふうにして、三百年のあいだ、わたしたちにできるだけの、よいことをするようにつとめますと、ついに不死の魂をさずかって、人間の永遠の幸福にあずかることができるのです。可哀そうな人魚姫さん、あなたも、わたしたちと同じように、まごころをつくして、おつとめになりましたのね! そして、ずいぶん苦しんだり、しんぼうなさったりして、いま、空気の精の世界へのぼっていらっしゃったのですよ。これからよい行いをなされば、三百年ののちには、不死の魂があなたにもさずかりますよ。」
 人魚姫は、すきとおった両腕をお日様の方へ高く上げました。

 なにかしら、宮沢賢治の世界観と共通しているようなところがありそうな気がしてしようがありません。
 ほんとうに優れた方々というのは、そういう方々なのではないのでしょうか。

 国や言葉や、文化や宗教や、肌の色や目の色や、食べ物や飲み物や、子供の育て方、死者の弔い方や、表現方法や文字などが、みな異なったり違ったりしていても、大切な人間性の所は共通しているものでしょう、人間ならばね。
 そうあらねば争いは地上から去ることはないように思うのです。

 宮沢賢治さんが願った、思いをはせた世界ってどんな世界なんでしょうね。

 以前、旅した道の途中で、気に入り、写メ撮りました。
 そこに、石に、刻まれていた文言です。
 あとで調べたら、宮沢賢治/農民芸術概論綱要序論に書かれている文章の中にありました。

 われらは
 世界の
 まことの幸福を
 索ねよう

コミックス

2016年07月18日 08時00分13秒 | 本棚
何かのついでに古本屋に立ち寄ります。

最近は何かのついでではなく、あんな古本が置いてあればいいなと思いつつ、外出時のコースに組み込むことがあります。

この間、「Dr.コトー診療所」をおとな買いしたばかりなのに、また、「大使閣下の料理人」・・・おとな買いしました。

興味深く読ませていただきました。

ふたつのコミックスに共通するものがあるように思います。

そうですね、人間の深い所を描いているように思えるのです。
人間の願う「希望」・・・「偏見から向き合う姿勢へ」、「始まりは感覚や感情の違和感、そして相異から和解へ」とでも言うのかな・・そんな所に共感を覚えるのです。

それと、数ヶ月前から読み続けているコミックスもあります。
続刊が出ているので新刊も購入している「エリアの騎士」というコミックスです。
作者や編集者が意識しているかどうかは解りませんが、主人公が「ヒト」から「人間」への成長の過程、そんな描き方のように思えます。

人は大切な人を失いながらも、人は前へ進んでいくしかないのです。
少し切ないシーンや、とても愉快なシーンや、サッカーってどんなスポーツか知らないけれど、わくわく感が伝わってくる描き方、そして、やはり希望を感じさせる描き方、コミックスの力ってすごいなって思います。

しかし、家計がピンチですね。
おとな買いしすぎました。
それでも面白いから、です。