以下の文章は、2018年12月に書かれたもので 師走の今日 過去の12月の今日を 思っています
凍てつく朝
いつも走る
公園の水飲み水栓凍った
走りながら
何も考えないときもある
意識せず に考えてしまうこともある
今朝は いつのまにか
昨夜届いた訃報のことを思って
走っていた
学生時代の家庭教師先のお母さんが亡くなった
お父さんの方はその数年前に亡くなった
妻に訃報のこと、話したら
これで最後かも知れないから
お線香だけでもあげてきたらと
訃報の、はがきには 85歳と
あれ?とおもった
先週三回忌を終えたぼくの母親が生きていれば89歳だから
三歳か四歳違い
今更に驚く
もっとお若いかと
考えてみると
僕が二十歳、教えていたお兄ちゃんが高校三年だから
そんなに変わるはずもないと今更に
思った
そんな感覚のずれが
疎遠になる原因
年賀状のやり取りだけだが
元気だろうと
錯覚する
亡くなる前にお顔を見に行けば
良かった
と今更に
思う
走りながら
家庭教師に、通った道筋を思った
梅林を抜け
教会の隣を抜け
坂を下ると いつもにこやかな
顔があった
田舎から上京した僕には
東京の両親にも思えた
何時も2時間の勉強のあと
一緒に、いただく夕食が楽しかった
親子四人とプラス1
いつも、明るく優しさに満ち
そして
お父さんの話はいつも人生 の一歩を踏み出した僕には
新鮮だった
走りながら
走馬灯の様に蘇ってきた
繰り返し繰り返し廻る笑顔があった
今通夜に向かう電車中
出かける前に 昔の写真をみた
そこには
結婚したての家庭教師先の子供たち、そして僕
それぞれの連れ合いと赤ちゃん
三人
そしてお父さん、お母さんと
笑いが弾けていた
遠い遠い昔の写真
そして
今につうじる
通夜のお母さんのお顔は
小さく 美しかった
涙が落ちた
明日も走ろう
明日の水飲み水栓は
凍った水の形は
記憶として残る
そして また
形のない水に戻っていく
2018/12/17
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