
大阪水曜ほっと集談会、死ぬのは嫌な一世です。
午前中ある知事さんの公務中の突然死が報じられました。
私と同じ60代です。
ふと俳優の樹木希林さんの人間は、いつか死ぬのではない、いつでも死ぬ可能性がある存在であるのだという言葉が浮かんできました。
樹木希林さんの言葉は今までも数多くご紹介して参りましたが、
年齢を重ねるとともに共感することがますます増えております。
私自身兄弟を早くに亡くしていることもあり、
死ぬという現実が決して非日常だとは思わないのです。
むしろ最近は生きていること自体が奇跡で不思議であると思ったりします。
死について考えることは、楽しいことではありませんが、
私のような怠け者でも一日一日を大切にしたいという気持ちにさせてくれます。
本日は死に対する主観的事実と客観的事実を森田博士から学んでみたいと思います。
(一切なりゆき~樹木希林のことば~(株)文藝春秋より)
みんないずれ死ぬんだけど、
死ぬまでの間に、
残したくない気持ちを整理しておくといいですよね。
会っておくとか、話しておくとか。
私自身できるだけその時にできることをしておくように心がけています。
次にこうしよう、次に会ったときにこう言おうと思うことをその時にやっておくのです。
そう思っても後悔が残るのが私たちの人生ではないかと思います。

※今日の森田博士の言葉(自覚と悟りへの道P171)
ここに心臓病恐怖の人があるとします。
診察をした医者が心臓は大丈夫だという、
それは客観的な事実であります。
しかし本人はやはり心臓麻痺をおこすのではないかとこわい。
それは主観的事実であります。
このような場合、患者は心臓は大丈夫であるという客観的事実と、
自分は怖がるものであるという主観的事実とを認めなければなりません。
そうすると、いろんな治療法をあさり歩くということはなくなり、
こわいままに普通に仕事もし、外出もする、
という生活態度が出てくるはずであります。
それがあるがままということであります。
2025.4.15 一世