
大阪水曜ほっと集談会一世です。
おはようございます。
昨日は朝から子供食堂の活動に参加していました。
10名ほどのボランティアの中で責任者の方以外で男性は私ひとりでした。
力仕事をイメージしていましたが、いきなり調理補助の役割を与えられました。
タマネギやにんじんをスライスしたり、唐揚げの補助、ガスで炊いたご飯やスープの持ち運び、それから片付けと次から次へとやることが続きます。
テキパキと段取りよく準備をされる料理のプロのベテラン女性に混じり、
定年前のおじさんがオタオタする姿をイメージされる皆様の期待を裏切り、
これが結構溶け込んでいました。
12年間の単身赴任生活と、
日々の家事は無駄ではなかった!
さて今日のブログの本題は子供食堂のことではなくて幸せに関することです。
定年前になってようやくわかったことがあるのです。
それは幸せって、実は物からでも人から与えられるものではなく、
それを感じるとる感性ではないかと気づいたのです。
なのでいかなる困難な環境や試練をも幸せに転化できる可能性がひらかれているのです。
それから生まれながらに与えられた性格についてですが、
良いも悪いもないのです。
後付けで時代に合わないと人間が勝手に作りあげた小賢しい小細工なのです。
私たちが日々学んでいる森田療法の創始者である森田博士は、
晩年自覚という言葉を多用されています。
自覚とは高遠な悟りではなく、日々の小さな気づきだと思うのです。
森田博士が本当に伝えたかったことは、シンプルなことだと思うのです。
当時ネガティブで病気と思われていた神経質な性格や症状を、
自己内省が働き調和を重んじる、
極めて誠実で優秀な素晴らしい気質であることを、
世の中に知らしめたいという願いではなかったかと思うのです。

2025.6.8 一世