前々回の艸墓古墳の近い谷首古墳をご紹介します。
以前、安倍文殊院古墳をご紹介しましたが、安倍文殊院の境内の南側にあります。
このように緑生い茂る山肌にひっそりと口を開けています。
それでは中に入りましょう。
私の頭脳と同様ぼけてますね。
羨道の側壁は1段となっています。
そして、奥壁。
なんだか大量のオーブが(笑)
レンズが汚れていましたね。
鮮明に撮影してみると奥壁のシミがなんだか幽霊みたく見えなくもないですね。
天井石です。2個で構成されています。
非常に高い天井です。
コウモリの夫婦が住んでいましたか・・・・お騒がせして申し訳ない。
床面には小礫が敷かれています。
ここから凝灰岩の細片が発見されたようで、石棺が安置されていたものと考えられています。
玄室から入り口を撮りました。
左の袖石がずいぶん小さく、右側だけの片袖式といえなくもない作りになっています。
それから、まぐさ石が巨大です。
上を見ますと
二段になっていて、天井の高さが感じられますね。
どなたかが、ブログで谷首古墳にはコウモリもカマドウマもいませんと断言しておられましたが、天井にコウモリ夫婦がいますし、この写真の右隅にカマドウマの小さな集落が写っています。
あまり気にならない程度ですけどね。
この古墳は、寺川の左岸、多武峰から北に延びる丘陵の北端、阿部丘陵の西辺に位置します。標高100メートル程度の地点にある方形墳です。
東西約35メートル、南北約38メートル、高さ約8.2メートルで、墳頂部には八幡神社の本殿と拝殿があります。
石室は、玄室長約6メートル、幅約2,8メートル、高さ約4メートルと非常に高さがあります。
羨道長約7.8メートル、幅約1.7メートル、高さ約1.8メートルとなっています。
花崗岩の巨石を使用しています。
築造年代は、石舞台や赤坂天王山古墳との比較から6世紀末葉から7世紀初頭頃と考えられています。
以前、安倍文殊院古墳をご紹介しましたが、安倍文殊院の境内の南側にあります。
このように緑生い茂る山肌にひっそりと口を開けています。
それでは中に入りましょう。
私の頭脳と同様ぼけてますね。
羨道の側壁は1段となっています。
そして、奥壁。
なんだか大量のオーブが(笑)
レンズが汚れていましたね。
鮮明に撮影してみると奥壁のシミがなんだか幽霊みたく見えなくもないですね。
天井石です。2個で構成されています。
非常に高い天井です。
コウモリの夫婦が住んでいましたか・・・・お騒がせして申し訳ない。
床面には小礫が敷かれています。
ここから凝灰岩の細片が発見されたようで、石棺が安置されていたものと考えられています。
玄室から入り口を撮りました。
左の袖石がずいぶん小さく、右側だけの片袖式といえなくもない作りになっています。
それから、まぐさ石が巨大です。
上を見ますと
二段になっていて、天井の高さが感じられますね。
どなたかが、ブログで谷首古墳にはコウモリもカマドウマもいませんと断言しておられましたが、天井にコウモリ夫婦がいますし、この写真の右隅にカマドウマの小さな集落が写っています。
あまり気にならない程度ですけどね。
この古墳は、寺川の左岸、多武峰から北に延びる丘陵の北端、阿部丘陵の西辺に位置します。標高100メートル程度の地点にある方形墳です。
東西約35メートル、南北約38メートル、高さ約8.2メートルで、墳頂部には八幡神社の本殿と拝殿があります。
石室は、玄室長約6メートル、幅約2,8メートル、高さ約4メートルと非常に高さがあります。
羨道長約7.8メートル、幅約1.7メートル、高さ約1.8メートルとなっています。
花崗岩の巨石を使用しています。
築造年代は、石舞台や赤坂天王山古墳との比較から6世紀末葉から7世紀初頭頃と考えられています。