日本飛行機長岡地下工場跡
当企業は、1934年創業、戦時中は、練習機や偵察機、特攻機の部分部品を製造していた軍需工場だった。
九三式中間練習機生産、日飛12試水上初歩練習機試作、水陸両用小型飛行艇、日飛13試小型輸送機試作、九四式水上偵察機、特殊輸送機、秋水局地戦闘機等生産、九六式陸上攻撃機、零式小型水上偵察機の尾翼や燃料タンク、九九式艦上爆撃機、桜花の主翼等部分品を生産したとのことです。
戦争末期、本土空襲が激しくなって来た頃、各軍需工場も地下へ疎開した。
当該現場は、飛体等に使う鉄板、シートメタルの製造工場を建設していた様だ。
ちなみに、有名な中島飛行機とは、別会社である。
門が重厚で歴史を感じさせるが、当時の物か?
右側の鉄柵扉は、通用口だろう。
かなり立派な門だ。
軍関係の施設と言った雰囲気が出ている。
地下工場への出入り口
元々は、石丁場跡だった場所を開削しているので、周辺に採石した痕跡が残っている。
結構立派なトンネルだ。
岩の隙間に小屋が建っている風景が不思議だ。
流石に使用されているので綺麗な通路だ。
戦争末期の資材、人員不足からか、工事が中々進まなかった様だ。
通路の両側が倉庫になっている様だ、空間や横穴があるのだろう。
メインの通路から両側にムカデの足の様にトンネルが掘られていた様だ。
この通路は短く、入ってしばらく進むと直ぐに外に出て、現在の会社の出入り口がある。
隣にも出入り口があり、こちらの方が地下施設と言った雰囲気がある。
鉄柵があり、施錠されている、物々しい雰囲気があるが、ここも会社のボイラーや物置きとされている様だ。
先を観ると、通路がしっかりしていそうなので、意外と続いていそうだ。
・建設が中々進まないまま、倉庫に転用となり、終戦になった、未完成の工場跡の様だが、穴の現状から察すると、意外と掘り進んでいて、広いのかもしれない。
以前、外回りの仕事をしていた時、仕事で来たことがあり、この穴が気になり、関係者に聞いたところ、従業員用の出入り通路だとのことで、入口付近を少し見させてもらったが、これは地下壕ではないかと思い、興奮したことを覚えている。(笑)
通りがかった地元の方(85才位男性)の話しでは、陸軍が掘った穴と言っていたので、掘削は陸軍が行ったのかもしれない。
(注.会社の敷地内であり、従業員通路になっており、警備、カメラが入っています。)
2016/02/17