廃異不思議探検隊/(SEASON2)

Wast different wonder expedition.(SEASON2)

人間魚雷回天 多比特攻基地跡

2016-06-29 23:52:00 | 廃墟B


 沼津第15突撃隊江ノ浦本部多比回天基地

 回天は、潜水艦や潜水艇、潜航艇と言うより、魚雷であり、大型魚雷を人が搭乗出来る様に改造した物で、敵艦へ突っ込んで攻撃する特攻兵器である。
 一度出撃したら、攻撃出来様が出来なかろうが、生還出来ないそうだ。

 船越の山の巨大な岩盤に掘られた格納壕から海岸へ斜路が引かれていた。




 印象的に石の切られている場所があり、何かを期待してしまう。
 とりあえず茂みの中へ入ってみよう。




 在った。




 意外と大きい。
 回天格納壕だ。
 20~30メートルはあるだろう。




 左隣にも格納壕がある。

 人々の記憶が風化していく様に雑草に埋もれてゆきながら、静かに語りかけていた。




 壕内は意外と綺麗な状態だ。
 ここも30m程度あるだろう。
 回天は大型の魚雷だった。




 一番右端にある回天格納壕

 ここは、上部の採石が絶妙で、基地の雰囲気がある。




 ここも同じく30m位だろう。

 では隣の場所にある岩盤も確認に行ってみよう。




 裏手の岩盤

 現在は埋め戻されてしまっているが、十年位前まで、回天の格納壕が二つ在ったらしい。




 運良くカメラが入る程度の隙間が残っていたので、カメラを突っ込んで撮影してみる。

 天井が主に写ってしまったが、下方に穴が続いている、結構良さそうな穴だった様だ。(笑)


 通行車両の人が「アイツ、こんな崖撮ったり、地面撮ったりして、ニコニコしてるぞ、何やってんだ??」と言う表情をしながら、私と目が合い、ニタッと笑い通り過ぎて行った。(笑)


 山が海岸へ突き出した岬には、回天と特攻艇震洋の格納壕があり、当時は斜路が引かれていた。



 震洋格納壕




 震洋の壕にしては、珍しく立派な作りだ、反対側も開いている。
 反対側も海岸なので、両方から出撃出来る様にしたのだろう。
 長さがあるので、何隻か格納していたのだろう。




 回天格納壕

 かなり埋もれている。




 深い、海に潜水し易くする為に掘り下げた様だ。
 流石に大きい。

 ウキが幾つも放置されている。
 真っ暗で、水が溜まっていて不気味だ。




 壕の前に船揚げ場がある、当時からのものではないだろうが、こんな感じだったのだろうか。
2015/06/20

静浦ドック(軍港)

2016-06-22 00:30:00 | 廃墟B
 沼津海軍第15突撃隊江ノ浦本部、静浦ドック

 大東亜戦争末期、江ノ浦に静浦ドック(海軍の港)を開港し、特殊潜航艇の修理、メンテナンス、造船、係留、荷役作業等の基地とし、ドック名を「護国五三四一工場」とした。

 格納壕等が掘られ、特殊潜航艇が配備、浜へ斜路が引かれた。

 当時は、山が今より海側まで迫り出しており、壕が幾つかあったが、国道の建設で、山が寸断され、壕も切れ、露出した穴はコンクリート等で塞がれたが、一部見ることが出来る。




 色々な物が保管されていたと言う壕の入口




 近隣住人の方「この壕は、山を刳り抜いた結構広い壕でした、静浦ドックだったので、船に関係した色々な物が保管してありました。隣にもう一つ出入り口がありました。道路建設で岬を切り開いたので、穴も切れました、切り口がしばらく開いていましたが、悪戯で入った人達に放火されたので、塞がれました。時々海龍が置かれていた壕だと言って、取材に来る方がいますが、この壕には海龍は置かれていませんでした、物の保管庫です。海龍は、口野からもっと南の方の様です。結局、基地は建設しましたが、終戦になって、出撃しなくて済んだんです。」

 他にも80才以上の方数人から「山の中を刳り抜いた割と広い穴だった。」と教えて頂いた。




 右並びにもう一つ出入り口がある。

 形が判かる。

 「以前放火された時にこの出入り口から煙がモクモク出て来て大変でした。ブロックと金網で塞がれました。」との事だった。

 この保管壕は、出入り口が二つあり、入って右方(国道側)へ続き、山中に広がっていた様で、結構広かった様だ。
 道路両側にコンクリートで塞いだ跡が観られる。
 大型の壕だった様なので、保管だけではなく、潜航艇の整備や修理等も行っていたのではないだろうか。




 壕が一つ残っているので、観させてもらう。




 車庫にちょうど良い大きさだ。

 両脇に溝が切ってある。

 震洋の格納壕か?

 現在は、道路が通り、山が切れているので、穴も短くなってしまっているが、元々はもっと長かったのだろう。
 震洋格納壕や補給壕辺りだろう。




 魚雷格納壕




 当時、魚雷のエンジンをアイドリングしていたとの事。




 魚雷格納壕







 魚雷格納壕

 基地は私有地にあるので、地主さんに断りながら観て行くのだが、その際に当時の事を聴取出来た。

 K氏(83)「これらのトンネル掘りは、父や私も手伝った、父は建設関係の仕事をしていた(石材関係)今宅地になっているが、当時は山で、海まで突き出ていた岬だった、それを父が削ったんだ。
 穴を兵隊が掘っていた時、私は13才ぐらいだった。
 少年兵が穴を掘り始めたが、掘り方が分からず、やみくもにツルハシで掘っていた、それを見ていた私は”あれじゃ一日に何センチしか掘れない”と思った。進まないから上官にぶん殴られていた、可哀想でね”おとうさんあれじゃ掘れない、教えてあげてほしい”と頼んだ。
 父は道具を作ってやり、兵隊に与え、教えた。村民も協力した。
 私は、笛を吹いて合図を出したりした。
 伊豆石は柔らかいから、昭和初期は皆家の土台に使った。軟岩は白で、伊豆の南から散歩しながら堆積して来て、大平や清水町側の硬岩とぶつかったんだ。黒い色をしている。
 割るコツさえ掴めば、ツルハシとノミで容易にパカッと割れる。スジがあるので、そこを狙う、知らないでやったら掘れない。
 穴は、武器や色々な物が入っていた、保管庫の様だった。それから『魚雷の様な潜水艦があった。幅1mぐらいで、長さが20mぐらいの一人乗りで、小さいやつだった。海龍や回天とかそんな洒落た名前は付いてなかったな、あれはたぶん世に言われている人間魚雷と言うやつだったんだろう。最近下田で海竜が発見されたと騒いでいるが、ここだってある、終戦になり、例の魚雷を村の皆で、引っぱって、江ノ浦に捨てた気憶がある。』
 それから、ベニヤ板で作った特攻ボートがあった、ベニヤ板だよ?物資不足だったし燃料もない。アメリカとやったって、絶対に負ける、国力差があり過ぎる、上は馬鹿だった、仕鰍ッなきゃ良かった、でもあん時は国全体がそう言う雰囲気だった、天皇万歳、大日本帝国人と教育された、良かった頃、日本人は浮「ものなしで闊歩していた感はあった。
 もっと話したいがこのぐらいにしておきます。」

 我々は、また来ますと言って別れた、この後も情報提供を続けて頂いている。




 これらの穴は、30m程度あり、意外と長い。

 魚雷格納壕って、結構立派なんだねー。

 暗闇の奥は水没しており、水滴の音がピチャン、ピチャンと響き、異様な雰囲気がある。




 壕内には、魚雷を安定させる為だったのだろう茶色く錆びた大きな釘が等間隔に残っている。
 戦後70年の時を感じさせる。




 魚雷格納壕




 この穴は、他の穴と比べ、異様で、哀れな雰囲気がある。

 奥は水没しているので、進めない、いやこれ以上行きたくない。

 地主さんにムカデがいるので、やめた方がいいと言われたのだが、出た後、足を虫に刺された様で痛痒かった。

 もう一つ魚雷格納壕があるが、殆ど塞がれている、他に燃料保管壕があった様なので、近隣住人に聴いたところ、大分前に工事などで消失したそうだ。

 新道の建設や防護壁整備で消失してしまった壕も結構ある。

 K氏より「小さい潜水艦があった、人間魚雷ではないか」と言う話しや「海龍が配備された。」「人間魚雷の修理をドックで行った。」等と言う話しが拾えた。
2015/09/05

「汐留ロコドル甲子園」

2016-06-14 22:59:00 | 日記・近況など
皆様へ

お時間がございますときに読んでいただけましたら幸いです。

ヒーローズアカデミーのH&A.が昨年決勝進出しました「汐留ロコドル甲子園」が今年も開催され、全国50組のご当地アイドルの中に入りました。
静岡県では、H&A.のみです。
今回の予選は、インターネット投票により決まり、東京で開催の準決勝に20組
出場がきまります。

明日15日水曜日の夜中(6月16日0時)から投票が始まります。
16日から26日の10日間、熱い戦いとなります。

お忙しい中本当に恐縮ですが、ぜひ皆様のお力をお借りしたく掲載致しました。
1日1票の投票を宜しくお願いします(1アドレス1日に1票です)
まだ投票サイトは出ておりませんが、下記HPアドレスから入ります。

http://locodol.tv/

転送、拡散など、どうぞご協力宜しくお願いいたします。

H&A.ブログ
http://herosha.hamazo.tv/

(株)HERO'S Academy

2016-06-12 22:54:00 | 廃墟B
続き>>
 特攻基地から二百メートル程下りた場所に特攻艇震洋の格納壕跡がャcンと一つ残っている。
 私有地なので、道に鎖が鰍ッてあり、萩原さんに断って入らせてもらった。
 「特攻基地関係の穴だよ、特攻ボートを隠して置く穴、ベニヤ板のね(笑)(板張りのボート)」とおっしゃっていた。




 雑草が生い茂っているが、下からこの崖まで上がって来る道が残っている。
 道の土手が切り出した石で丁寧に組まれていた。

 左側に穴が開いている。

 ここに上がって来る前に地面がぬかるんだ場所があり、そこを跨ごうとした際、結構体格の良い赤い蟹が何匹か素早く石の下に潜った、撮影しようとしたが、石の下に潜ってしまい出て来なかった。

 萩原さん「猪がその蟹をバリバリ食べるよ」
 私「赤くて立派な蟹ですね、良い出汁が摂れそうですね」
 萩原さん「う~ん、猪が蟹を食べようとすると、石の下に潜るから、それを捕ろうと石組をみんな崩してしまうんだよね~。」
とのことだった。
 所変われば、こんなご苦労もあるのですね。




 良い雰囲気の穴だ。
 これは確かに典型的な震洋の格納壕だ。




 中は崩れていなく保存状態が良い。
 左の壁に凹みがある。




 神棚があったのかもしれない。




 入口は、尖った岩盤が崩落している..

 その先に石組があり、上に木が生え、成長している。




 丁寧に組んである。

 軍事利用された穴は、入口に態と邪魔な様に石組がされているので、入る前に壕だと察しが着く。




 格納壕が一つだけャcンとあるのも妙なので、周辺を少し探してみたが、他に見当たらない。

 そう言えば周辺住人の方が「他にも穴があったが、崩壊し始めたので埋め戻した。」と言っていたので、それらの穴も格納壕だったのかもしれない。


*特攻基地は殆ど水際に配置されていたのだが、この基地は海から離れた山間部にあるのが不思議だった。
 それから、特攻隊なのに、攻めて来られたら脱出する想定で、脱出用のトンネルを掘っていたと言うのも不思議だった。
 もしかしたら、上の立場の人達が居た基地だったのかもしれない。。
 <<戻る

2016-06-08 00:28:00 | 廃墟B
続き>>


 地主さんの説明によると、このトンネルは、アメリカ軍が特攻基地まで侵攻して来てしまった際に脱出するトンネルだったと言う事だ。




 入口付近は土質で、先は岩盤に変わる。

 出口が見える。

 中央に向けて地面が下がって行き、出口へ向けまた上がっている十五メートルほどの通路トンネルだ。




 あっと言う間に到着




 入って来た方は、洞窟状防空壕の様で、少し不気味な雰囲気だったが、こちら側は、隧道の綺麗な雰囲気だ。




 地主さんが「人一人が通るほどの大きさで、綺麗なトンネルだよ」と言っていたとおり、岩盤が美しい、虫もごみもなく、気持ち良い風が吹き抜けて来る。




 出た方は、丁寧に掘られていたが、入って来た方は、ボコボコしている。
 こちら側は土質で、柔らかいので、掘り辛かったのだろう。


 そして、一旦、谷に下りて、しばらく進む


 急に強い異臭が漂って来た。




 周辺を見渡すと、中型の生き物の遺体があった。

 多数の蝿が群がり、ブンブンと羽音を発てている。

 後から来た同行者に「何かの遺体がある、これ見て」と教えた。
 同行者が「ゎっ、死体..臭いなぁ..目の所が空洞になってる。」と言った。それを聞いて、急に気持ち悪くなったが、息を止めて一枚、カシャッと撮った。




 そして、二つ目のトンネルに到着

 これは、立派なトンネルだ。道路隧道の様だ。




 地主さんが「二つ目の方は、真っ直ぐ続いている、綺麗なトンネルだよ。だが、掘削途中で終戦になって、掘り鰍ッで終わっている。」と言われていたとおり、本当に真っ直ぐ掘ってあり、とても綺麗だ。




 掘削中、終戦になり、ここで掘るのを止めている。

 地主さん「北江間長塚側へ貫通する予定だった様だ。結構距離があると思うんだが、まあ必死だったからね。」




 ほんとに塵一つない美しいトンネルだ、地主さんが常に聡怩オてるとしても(笑)綺麗なトンネルだ。

 地主さん「上方にももう一つトンネルがあった、そこも終戦で掘り鰍ッだった。最近崩れてしまった。」

 ちょっと見に行ったが、完全に埋もれていた。




 これだけの施設がある基地なので、意外と大きい班が詰めていたと思われる。
 もしくは、当基地の人間だけが使うのではなく、側の"沼津技研"の作業員も使う予定だったのかもしれない!




 地主、萩原さん

 ちょっと永ちゃん似の方ですね(笑)

 「母親がそのトンネルを掘る手伝いをさせられていた、中国人が掘った土砂を母親達が”もっこ担ぎ”させられた(運んだ)。軍の監督の下、少年兵、中国人、石材職人、村人等が従事していた。少年兵は掘り方が分からないから、進まない、そうすると上司からこん棒や窒ナ殴られた、並ばせてビンタされた。食糧難だったんで、魚獲ったり畑のもん盗んだ。穴を掘ったのは中国人だったと母は言っていた。」
 <<戻る 進む>>