2010/03
今回、探検に行こうとしている物件は、かれこれ三年位前にタレ込みがあったものです。
タレ込み内容は「太宰治が滞在した家で、小説”斜陽日記”の舞台となった場所。ところが管理されていなく荒れ放題、撤去される前に撮影しておく価値があると思われる。」と言う内容だった。
私は、取材の準備に取り鰍ゥったのだが「市が物件を保存する動きを見せている。」と言う事が分かったので「管理されて綺麗になるのだったら、私は撮る必要はない。」と言う事で、そのまま忘れていた。
時が過ぎ、ふと当物件の事を思い出した。「あれから何の音沙汰もないが、ちゃんと保存されたのだろうか?」と思い、行ってみる事にした。
途中、梅林で有名な場所や曽我兄弟ゆかりのお寺などがあり、散策しながら歩いた。
周辺の風景も昔ながらと言った感じで、癒されるところだ。
曽我兄弟の像
戦後、所有者も住む人も変わり、1998年から空き家(廃墟の様相)になってしまっているそうです。
これまで、木々が鬱蒼としてしまっていて、建物が見えない状態だった様ですが、市が管理する動きが出た際、伐採して建物が見える様になったそうです。
木造二階建てで、アジアにある寺院風な建築
敷地面積は、約100㎡
建築時期は、昭和初期
実は、私達が当地へ訪れた時は、既に更地になっていて、上記物件写真4枚は、有志から頂いたものです。
残念ながら屋内の画像はありませんので、観る事は出来ません。
小説で、太宰の愛人であった太田静子が住んでいたのが当大雄山荘で、太田静子の日記が小説の元となっているそうです。
小説「斜陽日記」の舞台は、伊豆の長岡になっているそうですが、小説で当場所まで来る列車の経路や荘からの景色、梅の木の事などを総合的に考察すると長岡ではなく、当地が舞台だったのではないかと言われています。
私達が現地に到着してみると、門が撤去された様な場所があり「まさか!」と思い、よく観てみると
更地になっていて、ガッカリ。
「うそ~!Σ( ̄。 ̄ノ)ノここだよね?えーー。」
「解体されちゃってますねー!(>_<)」
基礎とかまどと石塔が残っているだけでした。
夕焼けが、沁みる(T_T)
思い立った時に行かないと、解体されてしまうんですね。w
「肝試しとかで入った事がありそうな人に屋内の様子が聞ければいいなー。」
「そうですね、一人や二人はいるでしょう!」
「ちょっと聞き込みをしてみよう!」
27才位男性「あぁ太宰治が滞在したとか、ここを舞台に小説を書いたとか聞いた事はありますが、それもどうだか分かりません。別荘だった様ですが、建物も屋内も普通の古民家と言った感じで、大した事はなく、ショボかったです。数年前に火事で焼けてしまいました。」
60才位男性「詳しい事は知らないが、あの家に太宰治が寄って、この地を舞台に物を書いたと言う話はある。それから解体ではなく、二~三年前に焼失しました。原因は不明です。一時期、市が管理すると言う話しもありましたが、殆ど動きがないまま、焼失してしまいました。建物は、今観ればただの廃屋と言う感じですが、50年前は、それなりに大きくて洒落た建築だったのでしょう。市は、本当にここが斜陽の舞台なのか定かじゃないし、修繕費を鰍ッてまで維持するメリットがなかったのでしょう?」
*後日判明
地元有志と太宰ファンが保存活動を起こし、4千人が署名した懇願書を市へ提出、市は所有者と交渉したが、了承が得られずにいた。
2009年12月26日、午前04:20、近隣の男性が燃えている事に気づき、通報、約二時間に渡り炎上し、全焼した。
「こう言った、物件に纏わる歴史に遭遇するので、探検は不思議ですよね。それではまた次週お会い致しましょう。さようなら。」
大雄山荘跡の側にある城前寺
現存時の写真/B級バカンス(バカンス麺)
現状写真/キャプテンハヤト
同行者/小倉
今回、探検に行こうとしている物件は、かれこれ三年位前にタレ込みがあったものです。
タレ込み内容は「太宰治が滞在した家で、小説”斜陽日記”の舞台となった場所。ところが管理されていなく荒れ放題、撤去される前に撮影しておく価値があると思われる。」と言う内容だった。
私は、取材の準備に取り鰍ゥったのだが「市が物件を保存する動きを見せている。」と言う事が分かったので「管理されて綺麗になるのだったら、私は撮る必要はない。」と言う事で、そのまま忘れていた。
時が過ぎ、ふと当物件の事を思い出した。「あれから何の音沙汰もないが、ちゃんと保存されたのだろうか?」と思い、行ってみる事にした。
途中、梅林で有名な場所や曽我兄弟ゆかりのお寺などがあり、散策しながら歩いた。
周辺の風景も昔ながらと言った感じで、癒されるところだ。
曽我兄弟の像
戦後、所有者も住む人も変わり、1998年から空き家(廃墟の様相)になってしまっているそうです。
これまで、木々が鬱蒼としてしまっていて、建物が見えない状態だった様ですが、市が管理する動きが出た際、伐採して建物が見える様になったそうです。
木造二階建てで、アジアにある寺院風な建築
敷地面積は、約100㎡
建築時期は、昭和初期
実は、私達が当地へ訪れた時は、既に更地になっていて、上記物件写真4枚は、有志から頂いたものです。
残念ながら屋内の画像はありませんので、観る事は出来ません。
小説で、太宰の愛人であった太田静子が住んでいたのが当大雄山荘で、太田静子の日記が小説の元となっているそうです。
小説「斜陽日記」の舞台は、伊豆の長岡になっているそうですが、小説で当場所まで来る列車の経路や荘からの景色、梅の木の事などを総合的に考察すると長岡ではなく、当地が舞台だったのではないかと言われています。
私達が現地に到着してみると、門が撤去された様な場所があり「まさか!」と思い、よく観てみると
更地になっていて、ガッカリ。
「うそ~!Σ( ̄。 ̄ノ)ノここだよね?えーー。」
「解体されちゃってますねー!(>_<)」
基礎とかまどと石塔が残っているだけでした。
夕焼けが、沁みる(T_T)
思い立った時に行かないと、解体されてしまうんですね。w
「肝試しとかで入った事がありそうな人に屋内の様子が聞ければいいなー。」
「そうですね、一人や二人はいるでしょう!」
「ちょっと聞き込みをしてみよう!」
27才位男性「あぁ太宰治が滞在したとか、ここを舞台に小説を書いたとか聞いた事はありますが、それもどうだか分かりません。別荘だった様ですが、建物も屋内も普通の古民家と言った感じで、大した事はなく、ショボかったです。数年前に火事で焼けてしまいました。」
60才位男性「詳しい事は知らないが、あの家に太宰治が寄って、この地を舞台に物を書いたと言う話はある。それから解体ではなく、二~三年前に焼失しました。原因は不明です。一時期、市が管理すると言う話しもありましたが、殆ど動きがないまま、焼失してしまいました。建物は、今観ればただの廃屋と言う感じですが、50年前は、それなりに大きくて洒落た建築だったのでしょう。市は、本当にここが斜陽の舞台なのか定かじゃないし、修繕費を鰍ッてまで維持するメリットがなかったのでしょう?」
*後日判明
地元有志と太宰ファンが保存活動を起こし、4千人が署名した懇願書を市へ提出、市は所有者と交渉したが、了承が得られずにいた。
2009年12月26日、午前04:20、近隣の男性が燃えている事に気づき、通報、約二時間に渡り炎上し、全焼した。
「こう言った、物件に纏わる歴史に遭遇するので、探検は不思議ですよね。それではまた次週お会い致しましょう。さようなら。」
大雄山荘跡の側にある城前寺
現存時の写真/B級バカンス(バカンス麺)
現状写真/キャプテンハヤト
同行者/小倉