日本百名山・北海道紀行
はじまり・出発 2012年8月15日(水)~8月16日(木)
大洗から苫小牧へフェリーで渡り、自家用車で取平町のとよぬか山荘へ。
1965年(昭和45年)11月に屋久島の宮之浦岳へ新婚旅行で登山をして、それが百名山を意識した最初の山となった。その後生活に追われて20年の空白の時期を経て、1990年(平成2年)に登山を妻とともに再開して百名山をめざして、月に一度の登山を3年続けたが、妻が山に行かなくなった。百名山の思いだけが残された。その後思い出したようにはひとりで登って、47年の歳月が流れたが、百名山も91座を数え、残すは北海道の山のみとなっていた。
もはや山は諦めようかと考えていたが、せめて百名山だけは達成したいと思っていたが、北海道へ行くには腰が重かった。
しかし、ウジウジしていても始まらない。もう67歳だし、思い切って行ってしまえと覚悟した。
2012年の5月ごろからプランを考えた。大洗からフェリーで苫小牧に渡り、北海道を自分の愛車で回ることにした。経費を最小限にすることを前提にする。フェリーの料金は行きは8月15日から安くなり、帰りは9月からさらに安くなるので、出発を15日に決めて、計画を立てた。北海道に住む小学校の同級生に連絡をとり、寄らせてもらうことにする。
フェリーの予約は2ヶ月前からということだ。私はその時、インドに一ヶ月出かけているので、フェリーの予約だけは妻に頼んだ。
北海道の百名山9座を一気に登るなかで、もっとも日程的に難しいのが幌尻岳とトムラウシであった。とくに幌尻岳は登山口の林道で専用のバスを利用するには地元の山岳会の運営する「とよぬか山荘」に宿泊・予約をしないといけない。これはネットで調べられるので便利だ。
スケジュール的には、最初に幌尻岳を組み込んだ。それで幌尻山荘の予約の手続きをして、「とよぬか山荘」に電話して、とった日付が8月17日だった。あわせてバスの便も予約し、さらに幌尻山荘の宿泊も予約する。この手続きをしておけばまずは安心だ。予約が取れれば、今ではゲートの前まで、バスで運んでくれる。午前3時のバスを予約する。ゲートに着くころには明るくなるという。この予約をとるのも一苦労だった。なぜかというとツアーの団体が入るからだ。
こうして、北海道チャレンジ登山は実行されることになった。
いきなり幌尻岳を持ってきたのは、まだ元気なうちに行ってしまえという思いだった。でも最後まで渡渉する履物に悩んだ。それは後で報告する。
宿泊は、テントも考えたが、移動が多いので車のなかで寝て、国土交通省のヒット政策である道の駅を利用することにした。食事はコンビニを利用し、お風呂は日帰り温泉を探す。車に備えたものは充電器だ。携帯やパソコンの電源となるものをカー用品の店で買い求めた。これが出発前の準備であった。
インドから7月末に帰ってきて、北海道行きに備えた。
2011年の11月に脳出血で2週間入院していた。それから半年ほどでインドのラダックに出かけていた。そして帰国してからひと月ほどで、この北海道⒈9日である。よくやると我ながら思う。
商船三井のフェリーの予約は8月15日発、9月2日苫小牧発をとった。帰りは一日余裕をもたせた。
2012年8月15日 大洗発
フェリーは始めての利用である。わたしは初物に弱い。大洗のフェリー乗り場で手続きを、おっかなびっくり手続きを済ませて無事乗ることができてほっとしている。乗船用の駐車場で待機する。合図とともに車が船に乗り込んでいくが、「さんふらわあさっぽろ」の船内は大きい。先にコンテナーを詰んだオオガタトラックが入り、コンテナーだけを固定している。その後に乗用車が入る。満車であったが。車止めをする係の動きはてきぱきと見事なものだ。車をおいて手荷物だけもって乗客階へいく。船の長旅は初めてでワクワクする。エコノミーの部屋は山小屋とおなじ。間仕切りのない大部屋である。マットと毛布がある。清潔だしのんびりできる。荷物をおいて、出航までデッキや船内を探索する。余裕があればデラックスルームなんぞを予約してみたいものだ。暮れゆく光景のなか、船は静かに動き出した。
慣れると快適だ。ゆれるというか、波が静かでも絶えずローリングしている感じがする。
食事は、港の近くのファミマでゲット。無事全山終えたら、帰りの船で豪華にレストランの食事を取ろう。船には大きなお風呂があり、快適。湯船の湯が船の動きと同じように揺れている。心地よい緊張感を抱きながら催眠剤を飲んで、山小屋同様9時に寝る。
8月16日 苫小牧~平取~阿寒湖
波も穏やかで天気は雲が多い。苫小牧につくころにはどうなるだろうか。ぐっすり寝た。
午後2時には苫小牧到着。波も穏やかで楽だった。午後2時30分に下船する。クルマのナビで平取町を探して、幌尻岳を探す。
広い苫小牧の道路を抜けて、静内方面への料金所のない高速道路を走り、新冠町から平取町へ、さらに山道を越えていくと豊糠に出る。とよぬか山荘は廃校になった小さな校舎を改装したものなのだ。昔は集落があったのだろう。とよぬか山荘の庭、以前は校庭だった場所が駐車場になっている。登山からもどったような男性が車の脇にいた。
夕方の5時頃だった。受付の男性に予約のあることを告げて今晩の宿泊を依頼する。
「明日はバスが出ません」
「えっ、どうして?」
「昨日大雨で、川が増水して、今日は遭難騒ぎになって、・・・明日も増水で足止めなんです。」
「外に人がいましたよ」
「あの人、今日救助されて戻ってきたんです。」
「どうしよう。予定を変更してもいいですか?いつならいいですか?」
「そうですね、明日も雨だし、20日の日なら・・・」とノートを見る。
「じゃ、すみませんが予定変更で、20日に宿泊で、21日に午前3時のバスを予約して、幌尻山荘の予約も替えてもらっていいですか?」
「いいですよ。ではこちらで変更しておきますから」
「ではお願いします」と言って、下駄箱のある玄関をでて、駐車場にもどる。
先ほどの男性がいたので話を聞くと、今朝下山してきたけれど、途中で急に水かさがまして沢筋を歩けなくなったという。その人よりも前にでたグループはヘリコプターで救助されたが、彼は山側の道のないところを救助隊の人に案内されて降りてきたのだという。地元の人が助けに来たようだ。彼がエスケープしてきた山の道など、よほどでないかぎりわからないと言う。到着第一日目から遭難騒ぎに出くわしたのだ。
急遽予定を変更しなければならない。18,19,20日とどこか山を登ってふたたびもどる。天気は道東が良さそうなので、これから阿寒湖まで走ることにした。もどる道でキタキツネにであう。
新冠から高速で道東の阿寒まで行くことにする。
最初に登る山を雄阿寒岳にする。阿寒湖は以前、妻と北海道のツアーできた。その時に見たアイヌの施設は立派な観光施設になって、劇場も出来ていた。10年で様変わりだ。街の中を走ってセブンイレブンの前の駐車場で、夜明かしも考えたが、このアイヌ村の駐車場で北海道の最初の夜を過ごすことにした。
とよぬか山荘
キタキツネ