はぐれの雑記帳

極めて個人的な日めくり雑記帳・ボケ防止用ブログです

北アルプス大縦走 5

2021年04月29日 | 山靴の歌

812(土曜日) 野口五郎小屋へ(四日目)

8月12日

5:15高天原小屋  6:10-15水晶池  6:20-30水晶池分岐  8:25-9:10岩苔乗越  9:58-10:30水晶小屋           11:20-25 2700mのピーク  11:50-12:15 東沢乗越  14:00真砂分岐 14:55野口五郎岳  15:10野口五郎小屋

朝4時には周りの客がガサゴソと動き出すので目を覚ます。まだ薄暗い中で出発の準備を始めている。朝食は4時半ごろから食べられる。私も1階の食堂で食事をとり、5時15分に小屋を出た。
「よく眠れたかい?」
「ええ、ぐっすり」屈託ない返事が返ってきた。小屋の前で2人の写真を撮ってもらう。どうみても男の子に間違えられる雰囲気だ。もう夏の5時は十分に明るい。昨日の道を右に分けて、まっすぐにワリモ乗越に向けて歩き出す。樹林の中の道を50分ほど行くと水晶池と書かれている小さな木標がある。左の細い踏み跡の道がある。
「行って見よう」とYさんを誘う。5分ほどのところに静かな池が現れた。わりと大きい。水面に水晶岳が写っている。山頂部分は陽があたって明るく、池の周囲の森がの上に水晶から赤牛への稜線が浮くように見える。池に映る水晶岳はどっしりと感じで、尖った頂ではない。池の静寂のさの中で、去年横山さんと登った水晶岳を改めて見る。

水晶の頂きすでに陽の射していまだ暗い池に映れる

水晶池と周りの森はまだ暗し水晶岳は陽のなかにあり

この山は別名黒岳と呼ばれているが、本来の名前が黒岳で、水晶小屋のあるところが赤岳と言って、それと対を為すようにつけられていたのだろうが、今では水晶岳という素敵な名前が一般的になったのだ。山の名前としても素晴らしい名だと思う。
昭和16年の「日本アルプスの旅」には水晶小屋と「赤岳」の記載があるが「黒岳」の表記がない。深田久弥は「黒岳」と呼び、山頂の累々とした岩=水晶を指して六方石山という古名を紹介している。黒岳の別名が水晶岳で、この名前は魅力的で、この名を本命にしたいと彼は書いている。今ではそうなった。
5分ほど水辺で写真を撮り、再び登山道に戻る。後発の人たちがやってきて、池へ立ち寄っていく。ここで10分ほど休憩して、我々はワリモ乗越への道をゆく。1時間ほど登ると樹林帯を越えて、黒部の源流の一体に出る。岩苔乗越へまっすぐ突き上げるように道はつづき、水源の小川が流れ、岩が散在し、明るいお花畑があちらこちらにあり、鷲羽岳への稜線が青空の下に線を描く。振り返ると越中沢岳のアップダウンを強いられた山稜が大きく見えてくる。この山はガスの中でまったくその山容を知る事が出来なかったが、ワリモへの道から眺めてみると、小さいピークの鳶山が右にあり、沢岳とのコルを置いてあの岩だらけの道で高度を上げて越中澤だけのピークがあるが、そこからまたスゴの頭へ割と大きなV字のスゴ乗越がある。その全部の稜線を見ると、よくもまぁ、と思うけど、それは前半のことで、さらにスゴの小屋から間山に登り、そこから北薬師には一旦下っているのだ。そのあたりのことは天気もわるかったので詳細に覚えていなくて、ただ北薬師への登りが長かったことと、そこからの吊尾根の長かったことしか残っていない。だが改めて遠望すると、薬師は大きい。岩苔乗越への道は、岩苔小谷の沢の源流域を登り、乗越の下は左右にお花畑が広がっている。のどかな風景が広がる。

二日前越中澤岳のガスの中その稜線をくっきりと知る

薬師岳やはりデカいな大きいな金作カールもみごとだわ

右左お花畑の中をゆく岩苔の道空気がうまい

岩苔の乗越来れば気は軽くま向う鷲羽よこんにちは

祖父岳の右手広がる雲の平庭に抱える薬師岳かな

「彼氏いるんでしょ?」と唐突の質問をしたら、
「はい」と素直に答えた。
「山行かないの?」と聞くと、
「藪漕ぎが好きなんです」
「渋いね」
「行く山が違うので、中々一緒に行くことがないんです」
「そうなんだ。難しいね」
「ええ」と登りながらの会話。大学の先輩のようだけど、あまりそれ以上は聞かないようにした。
風景の美しさとは別に、滑らかな登りのように見える道も、登るとかなり距離があり、斜度もあり、稜線が近づいてこない。二人してゆっくりと登っていくしかない。ただ晴天に恵まれて気分は爽快だ。小さな水の流れを何本も越えながら、やっと岩苔乗越に着いたのは8時25分だった。
乗越には三俣山荘から登ってきた人たちでにぎわっている。ここから形のいい鷲羽岳が正面にあり、その先に西鎌尾根と槍ヶ岳が見えて、北アルプスのヘソにいるように思える。眼下には雲の平が広がっており、祖父岳を通って雲の平に通じる道が分かれている。

昨年に友と歩いた裏銀座槍を眺めて夏さかりなり

黒部の源流域は岩苔乗越の南面、祖父岳と鷲羽岳、ワリモ岳にはさまれたところの幾筋の水流がそれである。いつか歩いてみたいと思った。中年のグループが声をかけてきた。
「いいわね、親子で山に登って」
「えっ」
「息子さん?」
「あっ、違います。この子女の子ですよ」
「えっ、だって、あらごめんなさいね、てっきり・・」
「そう見えるでしょう、私も間違えたんですよ」
「親子じゃないの?」
「親子ならうれしいですけどね、太郎平で出会ったんですよ。昨日は高天原で、今日は彼女は槍ヶ岳へ縦走して、私は野口五郎の小屋へ向かうので、ここでお別れです」
「あら、そうなんですか・・・」と驚いた様子。
二人が仲良く登ってきたので、そう見えたのだろう。
Yさんは、ここで別れた。
「ありがとうございました。気を付けて」
「あなたもね」
彼女の連絡先は手帳に書いてもらった。幾枚かの写真を送るために。
「若い人はいいわね」とは先ほどの中年の女性。
「そうですね。ほんとに自分の子供ならうれしんですけどね。いい子でしょ?」

槍へ行く女学生の姿追いわが子なればと思いつ手を振る

そんな他愛もない会話をして岩苔乗越で45分ほど休んだ。
ここから水晶小屋へ道をとる。夏の稜線歩きは風があると気持ちがいいが、ないとカンカン照りになって大変だ。ワリモ乗越を越えて水晶小屋に10時前に着く。この稜線は以前年配の横山さんと一緒に歩いている。その時は水晶岳を往復したのだ。その時の水晶小屋と様子は少しも変わっていない。平屋の小さい小屋だ。設備もよくないが戦前からある小屋なのだ。

去年きた水晶小屋の懐かしく一人休めば影法師が濃い

小屋の前で休んでいたら、大阪から来た3人の中年グループが来た。高天原に泊まっていた人たちだ。結局この人たちとおしゃべりして30分の休憩となった。

小屋から3人と一緒に歩き出す。ご主人と奥さんとお友達だという。奥さんは昭和12年生まれだという。「足が遅いの」とこぼしながら歩いている。
「ストック使わないのですか?使った方がいいですよ」と話す。
東沢乗越への下りは、赤茶けた崩落の激しい岩稜で苦労するので、
「このストック使ってみてください」と言って、2本を奥さんに渡す。
ストックの使い方や、岩場での歩き方など、あれこれ講釈しながら東沢乗越へ。
「あら、やっぱりストック使うと安定するわ、楽だわ」と奥さん。
「これからは使ってみてください」とストックメーカーの回し者を演ずる。
途中の2700mのピークまで50分。ここからさらに乗越まで25分。おしゃべりしながら歩くので、気分的には楽であった。
東沢の乗越に11時50分に着く。ここで25分ほど休んだ。今日は野口五郎の小屋までなので、わりとのんびりである。乗越から真砂岳へ登る稜線は砂礫の道で山頂を踏まずに巻いていく。湯俣への分岐に午後2時前に着く。ここで3人とは別れる。
「後程、小屋でお会いしましょう。先に行きます」と挨拶して一人で歩き出す。3人は真砂の分岐で仲間を待つと言う。

山に来て人の出会いの楽しさよ一合一会山青々し

真砂岳も2862mあり、高度は高いのだが険しさがないので高さを感じない。
雲が出てきているが快適だ。小一時間歩いて3時前に野口五郎岳に到着。ここから眺める槍ヶ岳は気分がいい。野口五郎岳も2982mあり、八ヶ岳の赤岳と同じくらいの高さがあるのに、稜線上のコブのようで損をしている。

槍ヶ岳猛々しくも華麗なり野口五郎の位置さらによし

水晶岳の緑のカール間近にて野口五郎の頂き飽きず

雲間より野口五郎の小屋だけが陽に照らされている

この稜線は白い砂礫の道が続いていて歩きやすい。野口五郎から烏帽子小屋までは3時間ほどだが、無理せずここで泊ることにする。山頂の眼下に小屋が見える。山頂から15分ほど下って野口五郎小屋に着く。
この小屋には無線電話があるので、妻に電話をする。今日で4日が過ぎている。心配させないためにも元気だと伝えたが、「そう、気を付けてね」とそっけない。まあ、いつものことだ。
夜は大阪の人たちのグループと話が盛り上がった。小屋はその日満員になり、一つの布団に二人という状況だった。たまたま高天原から登ってきた人の隣が空いたので、そちらに移動した。少し余裕があり、いびきにも悩まされずに眠れた。

妻の声ただ聞くだけでそれでよし夕食前の山のひととき

様々な人生ありと思いいる山にそまりしなれそめ聞けば

お互いに老い行く先を乗り越える体が大事と笑いあう

五十五はまだ若き歳なり六十を過ぎたる歳でみな山登る

 

 

 

 



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