吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

玄海灘を越えて青井戸二十

2005年06月27日 15時01分03秒 | 玄界灘を越えて
玄界灘を越えて青井戸 二十

 壱岐島は佐渡とおなじく流人の島で知られるが捕鯨の根拠地でもあり、田畑も対馬と異なって豊かである。
 宗湛はここでも重要人物の扱いをうけた。
 宗湛の財力の基礎は三代目の祖、寿貞が明で精練術をまなび、帰国して銅や金鉱の開発が成功して巨万の富を得、宗湛の誕生した頃、博多を本拠地として活躍、寿貞が明から持ち帰った茶入は博多文林として天下の名茶入れとなった。宗湛は本能寺の変においてもあやふく難を逃れている。財を比較すれば対馬全体の財をはるかに凌駕する力を持っていた。彼が茶人(千利休派)として上洛、大徳寺で剃髪して以来、大阪城の茶会に、宗湛号をもって参加している。それから秀吉との交流も深め、のちに有名な『宗湛日記』なる茶会記はこの時から始まった。考えてみればオレは点柱の仏の功徳で倭国の大茶人、一、二を争う豪商のものとなったのである。
 おなじ仲間はあるいは、欽玄の手で田舎の市場で味噌や麦、唐辛子などと二束三文の値で交換され、それもいい方で、窯のなかで地獄の炎につつまれたままのびてしまったのや、途中でバラバラになってしまったものもいる。そんな運命はどこで決まるのだろうか。 宗湛は一人きりの時、オレを眺めて瞑想を繰り返しながらある時、…そうだ!蓬莱としよう、胴の釉変は神仙像にみえよう!…と筆をとり、オレの屋根裏に蓬莱の文字を書きいれた。
 オレは初めて名前をつけてもらったので屋根をぶるぶる震わせてよろこんだ。
…なんと言うお茶碗でござりましょう!?
 やせて眼の鋭い島主がいっぷく終えて訊ねた。
…初めて見る茶碗で井戸にしては全体が青みがかって高台のきりかたが素直で美しいし、釉変で胴模様は蓬莱の神仙とみて銘は『蓬莱』青井戸と…。
 もったいねえ話ョ。点柱の祭壇に『神仙位…』なんとかの札があったがあの銘とは身がひきしまる思いヨ…点柱様、テェダニカムサムニダ!オレは深く頭を傾けた。




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