サランヘの風景 一
教壇のまえに立って恥ずかしそうにぴょこんとおじぎして頬を赤くした金山徹のつぎはぎだらけのコール天ズボンの、風間信介はふと昼食時間になると教室をぬけでて校庭の隅でひとりぼっちになって鉄棒遊びをして飢えをまぎらわしている欠食児童を脳裏に浮かべ、金山もそんな生徒かも…と思った。それまでも転校してきた何人かの生徒が突然席を空にしていつのまにかでてこなくなることゃ、学校を休んで荷車の後をおして働く生徒もときどき街でみかけたので、金山もそんな境遇にちがいないと思った。
昭和の初期、北海道一の経済都市の小樽では各地からやってくる季節労働者や、出面取りと呼ぶその日暮らしの人足の子供にそんな境遇の子がいた。そんな環境から全道で一番早く学校給食もはじまったが、児童の栄養より、欠食児童の救済が目的だった。
しかし金山徹は服装こそ貧しかったがどことなく表情に気品があって、澄んだ美しい眼と、キリッとした眉ときちっとむすんだ口元に信介は内心ハッとした思いだった。
「金山徹君だ、吃りだが算術の秀才だ!…」と五年三組担任の札幌師範をでたばかりの坊主頭のN先生が皆に紹介した。
信介は大阪から転校してきて、関西弁のなまりが消えず、小樽はべをつけるさかいなんや田舎くそうて、言葉もでぇへんさかい…と作文を書いて皆の前で朗読させられたことがあり、転校生のかたみの狭い雰囲気を思ってなんとなく金山に同情めいた気持ちになった。 その日、下校時間に校門をでた金山が第一大通りの坂道をくだってゆく後を追った。信介とおなじ通学路である。ときどきけんけん跳びしながら金山は入船二丁目の十字路で信介にむかってぺこんとお辞儀して駄菓子屋のかどから姿をけした。それから何日かして小樽湾を見下ろす天狗山に初冠雪があり、学校の教室のストーブにも石炭がくべられ、休み時間になると皆がストーブのまわりに集まった。
「カ、カ、カ、ラスがカカァ、カァゴッコ(吃り)の糞カラス!」と喧嘩ばかりしていばっていた古谷という沖仲士の子が金山の吃りをまねて馬鹿にした。
信介はなんで吃りの真似すんのや!このアホンダラ!と喉まででかかったが我慢した。 その日、帰り道で信介は金山話しかけた。
「金山君、いつかあの古谷をはりたおすから…」と慰めた。
「カ、カ、カ、ザマ、お、お、れゴ、ゴッコダバすかたねぇ…」と視線を落として言った。 そんな出来事があって数日がたったある日、
自由画の時間に信介が描いた八角壺をよく描けている、このうわぐすりの色の変化は素晴らしい…とほめられた。大阪にいた頃、友達の家でみた青い八角壺に飴玉が仰山はいっていてともだちのおんちゃんが手にいっぱいにぎらせてくれた。その壺の美しさを思い出し、クレパス画で描いたのだ。先生はそれを黒板にはった。すると後ろの席で古谷が…八角壺ははんかくせぇとおなじだべさ、糞壺だべとつぶやく声を耳にした。
休み時間の小使さんの打ち鳴らす鐘で、廊下へでた途端、掃除用の箒が眼にはいった。
教壇のまえに立って恥ずかしそうにぴょこんとおじぎして頬を赤くした金山徹のつぎはぎだらけのコール天ズボンの、風間信介はふと昼食時間になると教室をぬけでて校庭の隅でひとりぼっちになって鉄棒遊びをして飢えをまぎらわしている欠食児童を脳裏に浮かべ、金山もそんな生徒かも…と思った。それまでも転校してきた何人かの生徒が突然席を空にしていつのまにかでてこなくなることゃ、学校を休んで荷車の後をおして働く生徒もときどき街でみかけたので、金山もそんな境遇にちがいないと思った。
昭和の初期、北海道一の経済都市の小樽では各地からやってくる季節労働者や、出面取りと呼ぶその日暮らしの人足の子供にそんな境遇の子がいた。そんな環境から全道で一番早く学校給食もはじまったが、児童の栄養より、欠食児童の救済が目的だった。
しかし金山徹は服装こそ貧しかったがどことなく表情に気品があって、澄んだ美しい眼と、キリッとした眉ときちっとむすんだ口元に信介は内心ハッとした思いだった。
「金山徹君だ、吃りだが算術の秀才だ!…」と五年三組担任の札幌師範をでたばかりの坊主頭のN先生が皆に紹介した。
信介は大阪から転校してきて、関西弁のなまりが消えず、小樽はべをつけるさかいなんや田舎くそうて、言葉もでぇへんさかい…と作文を書いて皆の前で朗読させられたことがあり、転校生のかたみの狭い雰囲気を思ってなんとなく金山に同情めいた気持ちになった。 その日、下校時間に校門をでた金山が第一大通りの坂道をくだってゆく後を追った。信介とおなじ通学路である。ときどきけんけん跳びしながら金山は入船二丁目の十字路で信介にむかってぺこんとお辞儀して駄菓子屋のかどから姿をけした。それから何日かして小樽湾を見下ろす天狗山に初冠雪があり、学校の教室のストーブにも石炭がくべられ、休み時間になると皆がストーブのまわりに集まった。
「カ、カ、カ、ラスがカカァ、カァゴッコ(吃り)の糞カラス!」と喧嘩ばかりしていばっていた古谷という沖仲士の子が金山の吃りをまねて馬鹿にした。
信介はなんで吃りの真似すんのや!このアホンダラ!と喉まででかかったが我慢した。 その日、帰り道で信介は金山話しかけた。
「金山君、いつかあの古谷をはりたおすから…」と慰めた。
「カ、カ、カ、ザマ、お、お、れゴ、ゴッコダバすかたねぇ…」と視線を落として言った。 そんな出来事があって数日がたったある日、
自由画の時間に信介が描いた八角壺をよく描けている、このうわぐすりの色の変化は素晴らしい…とほめられた。大阪にいた頃、友達の家でみた青い八角壺に飴玉が仰山はいっていてともだちのおんちゃんが手にいっぱいにぎらせてくれた。その壺の美しさを思い出し、クレパス画で描いたのだ。先生はそれを黒板にはった。すると後ろの席で古谷が…八角壺ははんかくせぇとおなじだべさ、糞壺だべとつぶやく声を耳にした。
休み時間の小使さんの打ち鳴らす鐘で、廊下へでた途端、掃除用の箒が眼にはいった。