吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

玄界灘を越えて青井戸二十四

2005年06月28日 17時34分24秒 | 玄界灘を越えて
玄界灘を越えて青井戸  二十四

 無心の境地とは点柱の境地だヨ!ロクロを回すときも無心でナムアミタプルを唱えて首をふりふり手で土の胴を絞り上げる。
 点柱は仏の肩から胴にながれる柔らかな慈悲深い線を思い浮かべてロクロを蹴つたんだ。
 そして出来たこのオレの胴から腰にかけての線はたまらねぇ美が備わった。
 千利休は天才か銭慾に囚われたただの人か、オレにはさっぱり分からねぇが、ともあれ、なんで高麗茶碗は気が遠くなるような値をつけられるんだろう。
 茶に使う茶碗は故郷のドブロク碗でもいいじゃないかと言いたいヨ。
 何万石もの禄高の殿様が茶を喫するのに禅語の軸、茶碗、中国渡りの茶入、利休銘の竹花生と茶杓、中国宋の青磁水差し、名人の手になる香合などを使うのはそれらだけで庶民にははるかかなたの高嶺の花ヨ!。孫子の代まで食ってお釣が死ぬまで数えきれねぇって馬鹿な話はオレには分からねぇヨ。
 だがお前はそんな小言を言ってみたところで所詮、天下の豪商、神谷宗湛屋敷に大切にしまわれているではないか。
 申し訳ないと思ったら、いつもわび意識で体を染めていなればならないよ!。
 倭国の茶人逹の神経はまさに研ぎすまされた名刀みたいだ。
 井戸と言えば、竹節高台で兜巾(高台削りで尖った部分)があり、見込みにゴトク(重ね焼きで茶碗がくっつかないよう耐火土を置く)目跡、釉は枇杷色、高台まわりに梅花皮(カイラギ=釉粒)、そしてロクロ線が胴に…そんな約束の上、大井戸、小井戸、古井戸、青井戸、井戸脇などかってに決まり事を作っている。
 格式ある茶会には格調高い茶碗の歴史、由来はなくてはらないものかなぁ!オレはこれから黙って茶に集う高貴な人々の偽らない心境を見守って行くつもりである。



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