吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

昭和初期 大阪から小樽 一

2006年10月24日 07時40分23秒 | 玄界灘を越えて
昭和初期 大阪から小樽  一                           ビー玉の謎  一
 小樽に転校して四年が過ぎ、小学六年生になって上級中学校に進学準備に入った頃、小学校へ入る前後に過ごした故郷の土佐、そして大阪時代の思い出の風景に父の面影を自覚したのはたったの三回しかない。自覚と言うより記憶と言った方が正しい。 
 四才の春、東京から大阪への旅は父母と一緒のはずだったが列車内での父の記憶は雲の彼方である。
 四才の記憶は東京上空に飛来したツェッペリン飛行船が真っ青の空にぽっかりうかんでいる光景しかない。父はあるいはなんらかの事情で母と別居して小樽で織物問屋の支配人に出世していた弟を頼って東京からひとりで小樽に旅立ったのだろうか…しかし大阪の父の記憶があるのはどうしたことか?父が大きな桶に生きてるタコを手つかみで入れた光景…これはきっと近くの堺に釣りにでかけた時の獲物かも…もうひとつは前にも記したように急な腹痛を起こしてぼくの腹をさすってくれた父の顔とそばに銅の金だらいが光っていた。そして木の絵の描きかたを教えてくれたこと…塀にとまって獲物をねらう蜘蛛…ぼくの一番嫌な、そして恐るべき虫…につかまえた蠅をあたえている父の顔…これはまちがいなく大阪時代に父と過ごした風景だった。
 これらの記憶はすべて五才頃の記憶である。コンタニウメキチと言う吃りの朝鮮人の秀才とは兄弟のように仲良しで阿倍野ケ原の自然の天地をわがもの顔で遊びふけたのもわずか一年くらいだった。
 しかしこの一年はぼくにとっては数年にも思われる充実した日々であった。

 ついに白いバスが十三間通りの彼方から土けむりを巻上げてやってきた。
 五、六人ほどの男と女の客がおりた。
 母が言った眼鏡をかけ、鼻のしたにチョビ髭の背のこんまいおんちゃんが大きな手荷物を道端において手をふった。
 ぼくの手も自然に上がった。
 …むかえにきてもろうておおきに!もう二年生になったんかャ!…
 にこにこして父は言った。
 …この子は友達か?…
 …そうや!ウメちゃんや!ぼくのにいちゃんみたいな秀才やでェ!…
 …ごくろうさんやな!…
 ぼくとウメちゃんは先にたって歩きだした。

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