その1では、じわじわと日本の全体が米軍基地化しつつある状況に触れました。今回は自衛隊の中で何が起こっているか・・です。
自衛隊のイラクからの撤退が開始されました。学校の体育館を建てたり、道普請をしたり、水を作って給水したりと、平和的な活動に終始したようですが、それならば武装した自衛官より民間人技術者やNPOの方が良いだろうに・・とは、当初から言われていたことです。自衛隊も、イギリス・オーストラリア軍に守られていた・・といいますし。
そんな「平和的」な自衛隊の中は実は戦場・・のようです。毎年オモテに表れるだけで約100人近い隊員が自殺しています。オモテといったのは、勤務中の自殺しか集計されていないからです。勤務時間外の自殺や勤務時間中の行方不明・・などはカウントされていません。それでも自殺率が日本の平均的水準よりよりはるかに高いことは言うまでもありません。
その原因は想像されるように「訓練が厳しくて・・」というようなものではありません。人間関係です。上司による部下への暴力。仲間からの疎外。つまり職場でのいじめです。
ほかの社会なら、他のストレス解消という手もあります。しかし自衛隊は閉鎖社会、さらに海上自衛隊の護衛艦の中ともなると、何ヶ月も毎日毎日繰り返される・・ということになります。
非核市民宣言運動・ヨコスカのニュース「たより」から、横須賀総監部に所属する「たちかぜ」に乗り組んでいた若き隊員の自殺を紹介します。
2004年10月27日10時23分。21歳の海上自衛隊員が京急立会川駅ホームから飛び込み、自ら命を絶ちました。横須賀を母港とする護衛艦隊旗艦「たちかぜ」所属の一等海士でした。ご両親、ご家族は、なぜこのようなことになったのかまったく理解できませんでした。しかし所持品のノートに、上官のS二等海曹を告発する遺書が発見されたのです。
横須賀地方警務隊(自衛隊内の警察機関)の調査が始まり、「たちかぜ」における常軌を逸した暴行・恐喝事件の一端が浮かび上がりました。主犯として逮捕され、地検に起訴されたS二等海曹は、若い隊員たちをエアガンで撃ちまくり、アダルトビデオを高額で買わせ、手製ナイフをちらつかせる恐怖の存在として君臨していました。それをうすうす知っていた一部の幹部たちは、しかし、7年半という長期在籍のS二曹に、まともに対処することができなかったのです。(以上、引用を終わります。)
1999年には佐世保総監部所属の護衛艦「さわぎり」の中で自殺事件がありました。その前年には、同艦から海上に落ちたか(落とされたか)・・隊員の行方不明も発生しています。
2002年には「うみぎり」という護衛艦の中で「いじめ」を苦にした放火事件が発生しています。陰湿ないじめと激しい暴力を受け続けた22歳の海士長が犯人として逮捕されたあとも、第2、第3の放火事件が続きました。
これら具体的に情報があるものは氷山の一角。昨今の親殺し、子殺し、ストーカー事件などは、こと細かに報道されますが、自衛隊内のこれら事件に注目し、日本の国を守る・・と血気盛んに自衛隊員を志願した若者たちに何が起こったか、何が起こっているか・・それを抉り出そうとしているマスコミは皆無です。
自衛隊の上層部は、部隊内で平和なのに死んで行く隊員たちの気持ちをわかっているとはとても思えません。
今ではイラク派遣への重圧から万引きをした隊員、イラクから引き上げてきてから自殺した3人の隊員という報道はあります。でも彼らが何を考え、何を必要としていたのか・・考えようという報道は、どこにも見えません。
大量にイラクに送られ大量に死んでいったアメリカの若者たちの命への軽視と、この「わが国での命の軽視」は相通じるものがあります。アメリカでは使い捨ての突撃隊としてしか見られていないでしょうが、まだ突撃もさせていない日本で同感覚とすれば、恐ろしい気がします。
そんな背景の上で、「日米安保再定義」「日本における米軍基地再編」「防衛庁の防衛省格上げ」「自衛隊の・・軍への格上げ」などなどが動いているのです。
うーむ、今日も重い。
※「さわぎり」事件につきましては、週刊金曜日2000年6月23日号の拙稿『隠蔽される事実 自衛艦「さわぎり」で何が起きた』を読んでみて下さい。これが一番まとまっています。
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