2022/8/18付ブログ「休止10年後の宇高国道フェリー・高松港のりば(その2)」の続きです。
>なお、宇高国道フェリーの宇野港側ののりばも解体撤去されず残されています。近日中にこのブログで現状を公開予定です。
宇野港の東側の桟橋(瀬戸内国際芸術祭の代表的な作品の1つである「宇野のチヌ」があります)側から見たかつての宇高国道フェリーののりばです。
フェリーターミナルの上部にある巨大な看板の白い面には、かつて「高松行きのりば 宇高国道フェリー」の電照式看板が取り付けられていました。
http://www.utaka.co.jp/noriba_u.html
2012年の終航以降は点灯されなくなったまま存置され、2019年の瀬戸内国際芸術祭ではこの看板の下部にLED照明の文字盤を取り付けたアート作品として活用されましたが、8月に襲来した台風10号の被害を受けて一部が壊れ、電照式看板部分はすべて撤去されました。
<8/30追記>
このアート作品に関する記事が、朝日新聞のサイトに掲載され続けていたので紹介します。台風の被害を受けたアート作品は修復されました(2019年の会期終了後は撤去)。
https://www.asahi.com/articles/ASMBT72S8MBTPPZB00N.html
反対側はペンキ書きの看板となっており、こちらは2022年8月時点も消されず残っています。
続いて、のりば跡地の北側の様子。手前はフェリーに乗船する車両の待機スペースですが、最盛期28分間隔と頻発していたこともあり、高松港同様に狭くなっています。
フェリーターミナルの玄関。他の用途には転用されず廃墟になっています。
ちなみに、フェリー休止の頃まで岡山駅からフェリーターミナルの前まで直通する路線バスが運行されており、宇高国道フェリーの宣伝にもなっていました。
玄関を入って内部には、(ガラス反射で見にくいですが)「51年間ありがとうございました」の看板が設置されたままです。左下は宇高国道フェリーのマークです。
可動橋もすっかり廃墟になりました。2019年8月の台風10号では隣接する浮桟橋が壊れ沈没しましたが、こちらは被害を免れ、撤去されずに現在に至っています。
可動橋の主。向こうに見えるハゲ山の島は直島です(北部には三菱マテリアルの精錬所があり、その排煙の影響)。