ちび猫のつぶやき

宇宙人の独断と偏見なのですが、警鐘を鳴らす訳ではなく希望の光を照らす訳でもなく、ただ足下の事を皆で見ていたいだけなのです

67.ちび猫が見付けた『サル山と神秘主義』の自由議論(1)

2014-03-06 | 精神病理
第0067号


*****(制作終了)*****


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第0061号【ちび猫が見付けた『普遍性』の自由議論(2)】参照


第0080号【ちび猫が見付けた『サル山と神秘主義』の自由議論(2)】へ続く







平成26年度版







*人類の脅威の“単純な構図”【11月18日・火】


よく人類は地球に巣くう『シロアリ』に例えられていて、地球が『シロアリの巣』のように{人間によって}ボロボロにされていると言われるが、

人間が{地球を覆(オオ)いつくす程(ホド)に}大量生産で作る『特定のモノ』が、急速に《イレギュラー・劣化》を起こしやすい『非自然』なモノだから、地球がドンドン『シロアリの巣』のようになってしまうという訳ではなくて、

人間が築く【特定の全体】という≪既得権益に目の暗(クラ)んだ人間たちによる【部分解禁談合】が横行する事により、【全面解禁】が科学の名を冠した強引な手段によって隠蔽(インペイ)された、【多様な全体としての更新機能】が停止した{活性の無い}世界≫が、{人間が作るモノだけに限らない}【多様な全体】の部分である『特定のモノ』に対して、急速・大量に《イレギュラー・劣化》を起こしてしまい易い環境であるものだから、地球が急速・大量に《イレギュラー・劣化》を起こしたモノによって埋め尽くされて、地表がいつの間にか『シロアリの巣』のようになってしまうというだけの“単純な構図”なのです。


すなわち、『ウイルス・細菌』による『パンデミック』などの脅威(キョウイ)とは、{遺伝子操作技術などを用いた}農業・畜産や医療・衛生によって、{地球を覆(オオ)いつくす程の}農耕地や人間の生活環境などが、『非自然』な『特定のモノ』となってしまい、地球全体が急速な《イレギュラー・劣化》を起こしてしまう事によって発生し、ドンドン高まるという訳ではなくて、

現代人が農業・畜産や医療・衛生の現場に限らずあらゆる場面で多用する『殺菌・消毒』が、微生物群の【全体としての構成】を破壊し、微生物群が全体として持っていた【多様な全体としての更新機能】を停止させてしまい、≪【多様な全体としての更新機能】の部分を担(ニナ)っていた特定の個体であったハズの『ウイルス・細菌』の、『殺菌・消毒』の中での、個体単独での薬品耐性の獲得による、単独種での異常繁殖≫を無自覚なまま見過ごしている事によって{その脅威が}発生するのであり、、人間が広範囲に渡って『殺菌・消毒』の努力をすればするほど、{その脅威が}高まってしまうというだけの“単純な構図” が、その脅威の実体なのです。


また、『核エネルギー』の開発・利用に伴(トモ)なう『放射能汚染』や『放射性廃棄物』などの脅威とは、新規の建設が続く『核施設』で作られる『濃縮ウラン』や、その過程で排出される放射性廃棄物の『濃縮貯蔵』が加速度的に増え続け、それに伴(トモナ)って地球全体が急速な《イレギュラー・劣化》を起こしてしまいやすくなって行く事によって発生し、日々ドンドン高まっているという訳ではなくて、

物理学で本来はその基軸として{100年前から}扱われるべきであったハズの【E=mc²】が、『核エネルギー利用』だけに{核エネルギーを特別視してその価値を独占して来た『一握りの権力者』や『特定の科学者』によって}限定されて【部分解禁】されていて、地球上の{知識人や庶民などの}そのほとんどの人間が【E=mc²】を無視した『既存の物理学』で『エネルギー』を認識してしまうものだから、≪【質量消失の連鎖】の範疇(ハンチュウ)の既存の『エネルギー』とは異なった、『放射線』という【放射エネルギー】が持つ、どの『エネルギー場面』にでも伴なう“一般性”≫が理解できず、≪『ウラン濃縮』や『放射性廃棄物の濃縮』を目指してしまう事によって、【既存エネルギー量】から『核エネルギー技術』が乖離(カイリ)してしまうという、【放射エネルギー】を【既存エネルギー量】に取り込む視点が欠如(ケツジョ)した、現状での『核エネルギー技術』の“方向性”の問題≫を自覚するコトもできずに、「技術の進歩による核エネルギーの安全性の議論」や「放射性廃棄物を濃縮貯蔵して置く事の安全性の議論」という的ハズレな議論がまかり通っていて、その間に現状での核開発の“方向性”が放置されてしまう事によって{その脅威が}発生するのであり、さらには『知識人』やその煽動(センドウ)に踊らされた『市民活動家』などによる『反核運動』によって『核反応』や『放射線』について{危険視以外で}自由に考えることさえもタブーだとされればされるほど、{その脅威が}高まってしまうというだけの“単純な構図” が、その脅威の実体なのです。


さらに言えば、『お金』を巡って人間の欲望が暴走する{人類を共倒れの殺し合いなどに駆り立てたりする}脅威も、『お金』の絡(カラ)んだ人間関係が人間の誰おも非情な存在へと変貌させてしまう事によって発生し、年月とともに{『お金』を巡る様々な破局が誰にでも訪れて}ドンドン高まっていくという訳ではなくて、

{活性していないハズの世界を自分の都合に合わせて更新する罪を自分に代わって他人に犯させる}他力本願を達成させようと{一般庶民の}誰もがせめぎ合う{『唯一神教』の影響を色濃く受けた}この現世の縛りの中で、そのための免罪符であり、そのための価値が付けられた『お金』に誰もがすがり付き、{盲目的に}誰もが必死に集めているだけなのですが、その価値も放って置くと誰からも認識されなくなってしまうモノでもあるので、{特定の}誰かしらによってお金が≪【部分解禁】による付加価値の発生≫に使われ続けていなくてはならず、それ故(ユエ)に『ユダヤ思考』を継承する『特定の者たち』による【部分解禁談合】が{一般庶民から『ユダヤ思考』に基づいて合理的に『お金』が吸い上げられて}昔から行われて来ていて、その『ユダヤ思考』を継承する『特定の者たち』の入れ替えを巡っての{一般庶民を巻き込んだ}争いが必然的に起こる事によって{その脅威が}発生するのであり、誰も彼もが『ユダヤ思考』を継承しようと目論(モクロ)み、『特定の者たち』に食い込もうと頑張れば頑張るほど、{その脅威が}高まってしまうというだけの“単純な構図”が、その脅威の実体なのです。


そして、このような脅威の“単純な構図”を隠蔽(インペイ)してきた血生臭い【部分解禁談合】について、怯(ヒル)むコトなく考える事の出来る“君子”に、【ちび猫】は賛同するモノであります。





*【負の物事】よりも【負の過程】の方が重要【11月12日・水】


今までは、人類の文明が高度になるにしたがい、【多様な全体としての更新機能】の部分である個体の【多様な個体の更新機能】が【部分解禁】される事により、{多様な全体とは異なった}非自然な【特定の全体】の世界が構築されて、≪動植物の生命を脅かす{突然変異した}ウイルス・細菌の異常発生や、自然環境を破壊する{対策が困難な}放射能汚染が{予期せず・思惑と違って}起こってしまうなどのような≫生命や自然を脅かす{自然への吸収が困難な}物事の【イレギュラー・劣化】の発生が、【多様な個体の更新機能】の暴走によって大量に起こるという、《負の物事の蓄積・拡散》の事態を問題視して来たが、

実際には、【特定の全体】の世界に於(オ)いて、【多様な個体の更新機能】の暴走が急増して、物事の【イレギュラー・劣化】が発生する過程ばかりが{誰も関わりになりたくなくて}過度に起こってしまうという、《負の過程の特出・拡大》の事態の方が、問題としてはより重要でありまして、

人類は文明化によって、物事が【イレギュラー・劣化】して形成される【負の物事】を、副産物として{予期せず・思惑と違って}発生させてしまったのではなくて、物事が【イレギュラー・劣化】してしまう【負の過程】を、{誰もが【多様な全体としての更新機能】に関わりにならないよう逃げてしまって}必然的に発生させてしまっていると考えるコトによって、物事の【イレギュラー・劣化】への対処を正しく導き出すコトが出来ると思うのです。


そして、このような物事の真実を隠蔽(インペイ)してきた文明社会について、怯(ヒル)むコトなく考える事の出来る“君子”に、【ちび猫】は賛同するモノであります。





*不条理な『ゲットー』の理不尽な看守【9月29日・月】


日本だけでも毎年3万人程の人間が『自殺』していて、その何倍・何十倍もの人間が社会から『ドロップアウト』している日本社会の歪んだ現実が目前にあり、さらにはその何十倍・何百倍もの人間が『自殺』や『ドロップアウト』に至るギリギリのところで喘(アエ)いでいるであろう日本人の実像も容易(タヤス)く想像出来ますし、

地球上の大多数の人間が、【多様性の部分解禁】の魔性に取り憑かれて、その【部分解禁談合】がもたらす『既得権益』に目が暗(クラ)んでしまい、≪『進化論』の【部分解禁】による、単独個々の微生物(ウイルス)が{全体から離れてしまっての}特定の更新機能を部分的に暴走してしまう『パンでミック』の危機≫や、≪『E=mc²』の【部分解禁】による、単独個々の放射性物質(核物質)が{全体から離れてしまっての}特定の物理機能を部分的に暴走してしまう『放射能汚染』の危機≫や、≪『人間の善良さ』の【部分解禁】による、単独個々の成人(社会人)が{全体から離れてしまっての}特定の安定機能を部分的に暴走してしまう『紛争やテロ』の危機≫などが野放図に放置されていて、

地球上を見渡すと、さながら人間(人類)を殺すのが目的の『ゲットー』のようであり、そこに居るだけでとても気持ちの悪くなる状況が、日本をはじめとする世界中で起こっているのです。


そんな世にあって、『ゲットー』の理不尽(リフジン)な看守(カンシュ)だらけのような不条理な人間社会の現実に直面しつつも、物事を《一つの大きな全体》として認識する【多様性の全面解禁】について怯(ヒル)むコトなく考えられる“君子”に、【ちび猫】は賛同するモノであります。





*多様性を騙る部分解禁談合【9月17日・水】


最近は「広い世界を見て触れるコトによって、人は世界が多様である事を知る」という{【部分解禁】の}発想をもっともらしく言う人が少なくなく、それは人間にとって大切な事だと{【部分解禁談合】をゴリ押しするように}豪語する人も珍(メズラ)しくなくなり、

そうやって、【個々の多様な更新機能】の【部分解禁】にみんなの目を向けさせ、【多様な全体としての更新機能】の【全面解禁】を巧みに隠蔽して、自分達の既得権益に目の暗(クラ)んだ【部分解禁談合】を{抑制(自制)が人類存亡のカギとなるとする『観念論』を駆使して}繰り返す権力者や科学者が幅を利かせていて、

さらには、【完成した世界の世界観】と【マスゲーム的時間論理】に基づいた【科学的合理性】に{《リセットを繰り返しながらのデータ集積》を絶対の原則とする『唯物論』に拘(コダワ)って}固執し、「多様性を利用するから多様性の弊害も惹(ヒ)き起こされるのだ」という考えに執着して、個々の多様性を【部分解禁】している『遺伝子操作』や『核エネルギー利用』などを『パンドラの箱』だと言って敵対する、《【更新機能】の【解禁】》それ自体に『問答無用』で否定的な知識人や市民活動家もドンドン増えている状況にあって、

『殺人微生物・ウイルス(突然変異)』や『放射能(核)』などの脅威との終わりの見えない『戦い』に直面して、≪世界には生命への害(攻撃)をエスカレートさせる『悪』が恒(ツネ)に存在し、人類だけがそれに対抗する『力』として文明(科学)を『神』から与えられた≫とする{物事の多様性を個々に分解して『敵』・『身方』に振り分けた}図式を人間であれば誰もが作ってしまって、

【未完成な世界の世界観】と【ロール紙的時間論理】に基づいた《【個々の多様な更新機能】が一つの全体として集る事による【多様な全体としての更新機能】の始動・発揮》に目が向けられず、人類は『パンデミックの危機』や『放射能汚染の危機』や『テロの危機』から逃れられずにいるのです。


そんな世にあって、既得権益に目の暗んだ権力者や科学者たちによる{【個々の多様な更新機能】を【部分解禁】させただけの}【部分解禁談合】行為に加担せず、【完成した世界の世界観】を満喫(マンキツ)している知識人や市民活動家たちによる『問答無用』な《【更新機能】の【解禁】》への敵対行為にも賛同せず、誰とも違う《【個々の多様な更新機能】が一つの全体として集る事による【多様な全体としての更新機能】の始動・発揮》を、{怯(ヒル)むコトなく}継続・発展させていく“君子”に、【ちび猫】は賛同するモノであります。





*閉じた世界の世にあって【7月30日・水】


【完成した世界】という世界観の『マスゲーム的な時間論理』の中で、現代人は閉鎖的に一つの『原理原則』を利用しながら『人の営み』を築き、{空間の前後とは逆に}時間が前から後へと{閉じた世界の中で状況の変化を残して}進んでいると一律に認識していて、

たとえば、{マスのような}一枚の紙に文字を書くと、「前は白かった紙が、文字を書く作業の後には、文字が紙の中に残る」というようなゲームの進行のような時間認識を、常識としてしまうものなのですが、

実際の【未完成な世界】の『ロール紙的な時間論理』の中では、{トイレットペーパーのような}ロール紙に文字が書かれていき、「いくら文字を書いても、文字の書かれた部分が後に残り、その前には白い部分が延々と続く」というような時間経過が起こっていて、

この『ロール紙的な時間論理』を示すのが、【ダーウィン】や【アインシュタイン】の『進化論』や『E=mc²』であり、『マスゲーム的な時間論理』を信奉(シンポウ)していたハズの科学者や既得権益者が『ロール紙的な時間論理』を【部分解禁】したのが、『遺伝子操作』や『核エネルギー利用』や『ブランドの確立』であり、それにより拡大したリスクが『パンデミック』や『放射能汚染』や『テロ』であり、それらのリスク軽減のために{それが悪循環の始まりだとは気付かず、これこそが人類の英知だと言わんばかりに}管理・自制を掲(カカ)げた行為が『殺菌・消毒』や『【E=mc²】の非一般化』や『知的財産権の保全』であり、そして『マスゲーム的な時間論理』の絶対的な信奉者である知識人と自称する者達による更(サラ)なる悪循環行為が『【殺菌・消毒】の普及』や『反核運動』や『【知的財産権意識】の徹底』であります。


この危機の原因に大半の現代人が気付けないのは、時間の概念に於(オ)いて{【完成した世界】という閉鎖的な世界観により}時間進行が前から後へと流れている事に{単なる言葉のルールだと思い込んで}誰も何の疑問を持たず、【未完成の世界】に於ける時間の前への進行により形成させる『多様性が作り出す【更新機能】』から{近代科学や既得権益の論理の都合(ツゴウ)に合わないからと言って}目を逸(ソ)らしていて、【完成した世界】という閉鎖した世界観に{周囲に同調しながら}皆(ミンナ)で浸って安心してしまうからなのですが、

そんな世にあって、『進化論』や『E=mc²』が示す『ロール紙的な時間論理』を{あえて}理解し、【未完成の世界】に於ける時間の前への進行による『多様性が作り出す【更新機能】』の形成に{面倒であっても}目を向け、誰とも違う事を言っているとしてもその考え方を{怯(ヒル)むコトなく}継続・発展させていく“君子”に、【ちび猫】は賛同するモノであります。





*世界を遊園地に例えると【6月25日・水】


仮の例え話しなのだが、

遊園地内の沢山あるアトラクションが、その設定によってそれぞれがその種類やレベルが様々に更新できるモノだとしても、

利用者側である知識人や原理主義者や唯物論者たちは、遊園地を『完成したモノ』だと捉(トラ)えていて、設定が更新されるコトや、更新されてしまうという事に対して強い拒否反応を示していて、

管理者側である科学者や特権階級の者や観念論者たちは、設定が更新できるコトの中から最小限の部分的な解禁をしては、特殊な価値の有る事とするコトで、自分達の既得権益とし、さらには利用者が余計な事や多くを要求しないようにと、「新しい事を始める時に、『メタな視点』から全体を見て“自制”を働かせるコトが、トラブルや事故の防止のために必要不可欠な事である」と言っているのであり、

そして、【小保方 晴子】さんの『STAP細胞』を巡る騒動とは、≪遊園地内のアトラクションの、“非公認”の《設定が更新される条件》に無自覚で踏み込んでしまい、有用なアトラクションが新しく作り出せたと勇んで発表したコトに対して、知識人や原理主義者や唯物論者たちから、「元々の遊園地の何所を探しても、新しいアトラクションなど無く、近代科学の大前提となる[再現の繰り返し]が可能な『完成した世界の原則』を無視した非科学的な不正行為でしかない」と非難され、科学者や特権階級の者や観念論者たちからは、自分達の既得権益の安定確保を揺るがしかねないと危惧され、「新しい事を始める時に欠かせない、『メタな視点』から全体を見て“自制”を働かせるコトが無視されていて、新型の原子爆弾を造ってはしゃいでいる様なモノだ」と非難されている≫という事であります。


それに対して、【ダーウィン】の『進化論』や【アインシュタイン】の『E=mc²』が、全面的な非難を受けるコトもなく、部分的な形であるにせよ現代に於(オ)いて広く受け入れられているのは、

【ダーウィン】や【アインシュタイン】が、『進化論』や『E=mc²』によって「世界は更新されるモノであり、近代科学の大前提となっている『完成した世界の原則』とは、人間自身が『人間の営み』を縛っている事による幻覚である」と言おうとしたのにも拘(カカワ)らず、

科学者や特権階級の者や観念論者たちは、『進化論』や『E=mc²』の事を「《動き続けているアトラクション》や《隠し小部屋》の様なモノ」だと言って、『完成した世界の原則』とのつじつま合わせをしてしまい、『遺伝子操作』や『核エネルギー開発』のような【部分解禁】で自分達の既得権益を守っているからであり、

知識人や原理主義者や唯物論者たちに至っては、≪遊園地のアトラクションが更新されて人気が出ると、『安全軽視』と言って騒ぎ立て、妨害活動をしては捕まってしまう≫というのと同じレベルのコトをしているからある。





*【ちび猫】は諦めません【6月21日・土】


人間がその周囲に築いてしまう〔特定の世界〕が、『唯一神教』の枠組みによって形成されて来ていて、そんな〔特定の世界〕の中で、『近代科学の縛り』が長年に渡って構築されて来たのだが、

近年は、既得権益を守ろうとして『近代科学の縛り』の【部分解禁】に特殊な価値を付加する科学者や特権階級の者たちと、『近代科学の縛り』の【部分解禁】を諸悪の根源となる『パンドラの箱』だと言い立てるキリスト教圏の知識者やイスラム圏の原理主義者たちとの対立が、激化してきていて、

キリスト教世界とイスラム世界を含む大多数の現代人は、『近代科学の縛り』の範疇(ハンチュウ)の『人間の営み』の中で、「『近代科学の縛り』の【部分解禁】による、核エネルギーの利用による放射能汚染や、感染症のパンデミック」や、「知識者や原理主義者たちによる、【部分解禁】を“自制”するための科学者の『メタな視点』の発想への、【部分解禁】を認めない『正義』の実力行使」の恐怖が、人間世界を覆いつくし、

この様な事態に於(オ)いて哲学は、【世界の更新機能】によりドンドンぶれて行く世界の在り様に翻弄(ホンロウ)され、『神による世界の創造が完了した世界』を前提にした『唯物論』と『観念論』を巡る迷宮に陥(オチイ)ったままで、人間社会の混迷に拍車を掛けている有り様である。


たしかに、『近代科学の縛り』の範疇の『人間の営み』の中で人類が【リセットを繰り返しながらのデータの集積】に拘(コダワ)り、今のイスラム世界やキリスト教世界の文明が築かれて来て、【世界の更新機能】によりぶれて行く世界の在り様に人間が対処しきれなくなっていて、

「【ダーウィン】の『進化論』を【部分解禁】した『遺伝子操作』の技術革進」や、「【アインシュタイン】の『E=mc²』を【部分解禁】した『核エネルギー』の技術革進」などで既得権益を守る科学者や特権階級の者たちに対し、そんな『近代科学の縛り』の【部分解禁】を人間の手に余る『パンドラの箱』と言い立てて、キリスト教圏の知識人やイスラム圏の原理主義者たちが激しく反発していて、

そんな事態を前に哲学者たちが、「『唯一神教』の枠組みによって構築される『近代科学の縛り』が人間の周囲に築いた〔特定の世界〕を、唯一絶対のモノだとする『唯物論』」と、「『近代科学の縛り』の【部分解禁】が人類にとって本来は有害でありながらも、人間が『メタな視点』から“自制”を持って用いる事で、有用に利用できるようになるのであり、人の思いの在り様によって人間の周囲に築かれる〔特定の世界〕も変わっていくモノだとする『観念論』」との間で揺れ動きながら、迷宮の中をさまよっているような有り様では、人類の未来に希望は無いかのようだが、

【ちび猫】は決して諦(アキラ)めず、「『生きた水』という『古代の水』と、【薬品耐性水】という『未来の水』の有用性」と、「『E=mc²』を物理現象の普遍的基軸とした物理学の再構成の有効性」を武器に、ぶれて行く世界の【世界の更新機能】の啓蒙に努めていくつもりです。


【小保方 晴子】さんのSTAP細胞は、たぶん【世界の更新機能】によりぶれて行く世界を認識した上での『近代科学の縛り』の【部分解禁】をはるかに凌(シノ)いだ研究によって発見できたモノであるため、【リセットを繰り返しながらのデータの集積】を絶対とする『近代科学の縛り』に拘(コダワ)る知識者たちからの反発を招き、さらには、『メタな視点』からの“自制”という『近代科学の縛り』の【部分解禁】に於ける科学界の暗黙のルールを逸脱(イツダツ)した{暴走に等しい}脱線行為にあたるとする科学者たちからの告発までも招いてしまったのでしょうが、

そんなコトを人間が何時までも続けているようだから、「感染症のパンデミックの脅威や、核エネルギー開発による放射能汚染の脅威」や、「原理主義者たちによるテロの脅威」が高まりこそすれ、無くなる事はないのかもしれませんが、【ちび猫】は諦めません。





*【小保方 晴子】さんを応援しよう【4月23日・水】


今の日本社会では、STAP(スタップ)細胞を巡って、【小保方 晴子】という“個人”の研究者が、現代の『魔女裁判』によって理不尽に裁かれるという{典型的な『サル山』の騒動と言える}事態が現在進行形で起こっているのですが、

それについて【ちび猫】なりの視点から分析して、日本人の無様(ブザマ)な『すったもんだ』の実状を明らかにし、【小保方 晴子】さんへエールを送りますので、それが今の日本(日本人)への問題提起に繋(ツナ)がる事を願う次第であります。


STAP細胞を巡る議論とは、「面子(メンツ)を掛けた{研究による発見や開発を巡っての}先陣争いによる研究者同士の足の引っ張り合い」などというレベルのモノではなくて、【小保方 晴子】さんという特定の研究者と、その研究へのあからさまな差別行為であり、

評論家の態度は、STAP細胞の真偽や可能性を無視して、〔研究の実態〕や〔論文の構成〕の稚拙(チセツ)さをあげつらい、名声を焦(アセ)った愚か者のフライングだと断罪して、マスコミを通して【小保方 晴子】さんへの制裁(セイサイ)を呼びかけるという、『傍若無人』なモノであり、

マスコミの報道は、各研究者や評論家たちの勝手な主張を、面白おかしく無責任に垂れ流すだけの、醜いモノであり、

一般民衆に至っては、完全に『野次馬』となってしまい、STAP細胞の事よりも、【小保方 晴子】さんが[吊るされ]、[さらされる]のを見て、「『出る杭』が打たれただけの事、それ見た事か」と『ほくそ笑む』始末であります。


そして、これらの騒動によって、【小保方 晴子】さんの「研究を合理的に進めて行きたい」という【合理性を追求する活力】や、「難病苦しむ人を救いたい」という【他人の為に働く活力】が無残に潰(ツブ)され、

STAP細胞に関する貴重な[研究]や、有益な[論文]を握り潰すコトに何の躊躇(チュウチョ)もしない他の研究者や、「日本社会のルールを教えてやるんだ」と言わんばかりに、弱みにつけ込んで売名行為に走る評論家たちによって、

「危険回避に欠かせず、神様の恩恵とされ、選ばれた人間の証となる」とされる【火事場の馬鹿力の活力】に高いウエイトの置かれた、日本社会特有の『サル山』の序列闘争が、STAP細胞を巡る議論という形で、今の日本で起こっているのです。

すなわち、【小保方 晴子】さんのような「難病苦しむ人を救いたい」という【他人の為に働く活力】を発揮する存在などや、【小保方 晴子】さんが追求した「研究を合理的に進めて行きたい」という【合理性を追求する活力】が発揮された研究などのようなモノが、旧態依然のままの今の日本社会の中にあっては、「危険回避に欠かせず、神様の恩恵とされ、選ばれた人間の証となる」とされる【火事場の馬鹿力の活力】を振りかざす他の研究者や評論家たちの『踏み台』として、日本に於いて長年不当に利用されつづけていて、

それが当然の事だと、『サル山』の住人に成り下がってしまっている日本人達は、誰も彼もが何の疑問も抱かずに、信じ込んで生きていて、

STAP細胞を巡る議論と称される日本社会特有の『サル山』の序列闘争が、他の研究者や評論家たちによって繰り広げられ、大衆は【小保方 晴子】さんが[吊るされ]、[さらされる]のを遠巻きに見てほくそ笑むばかりの中で、

「難病苦しむ人を救いたい」という【他人の為に働く活力】と、「研究を合理的に進めて行きたい」という【合理性を追求する活力】の両方を発揮する、【小保方 晴子】さんという個人のずば抜けた研究力や、STAP細胞の発見という画期的な研究成果が、あからさまに評価されず、露骨(ロコツ)に無視されてしまい、

そんな現代の『魔女裁判』によって不当に追い詰められた【小保方 晴子】さんが、やむなく謝罪し、減免をこい、研究の続行を懇願(コンガン)するという、『本末転倒』な事が当然の事のように起こっているのが、今の日本なのです。





*『火事場の馬鹿力』信仰【4月19日・土】


16世紀後半に来日したポルトガル人やスペイン人を、{『中華思想』の中国人が南方の異民族への蔑称(ベッショウ)として『南蛮』という言葉を使っていたのに倣(ナラ)って}日本人が『南蛮人』と呼んでいたと言われているのですが、

そこには『中華思想』カブレな{権力者階級に『右へ倣え』の一般庶民の}日本人の精神構造が顕著(ケンチョ)に表れていて、自分達を〔高貴な民族〕で〔高尚な文化〕を持っている【高尚な『サル山』のサル】なのだと{盲目的に}自認し、他民族を【野蛮な『さる山』のさる】だと{文句も言わずに誰もが}差別していた事が窺(ウカガ)え、

そして日本人の精神構造は今も同じで、自分達の[文化]や[ルール]を【高尚な『サル山』】を形成する為の「欠かす事の出来ない高度なモノ」であると{一般庶民の誰もが、権力者階級の言いなりに}自認し、それ以外のモノを【野蛮な『さる山』】の蛮行と{一様、一律に}見下していて、

そんな〔強権的〕に作られる〔受動的〕な日本社会では、部分的な【人間本来の力】でしかない{やりたいと思っているハズの〔合理性の追究〕や〔他人への想い〕を余計なモノと決め付けて止めてしまって、決められた目的を達成させる“力”だけを発揮しようとする}危険回避の『火事場の馬鹿力』しか評価されず、そればかりが発揮されてしまう為に、『神秘主義』の「この“活性”した世界の真理と素直に向き合おうとする発想」や、その真実を理解しての「本質の領域での継続的働き掛けの実施」が発動されるコトも無くて、

ただ、{様々な分野で日本人を縛(シバ)る}硬直した枠組みの範疇(ハンチュウ)で、チョットした進歩を起こしては、{本質の領域に於いては何も変わっていないのに}奇跡的だと言って、みんなで大喜びしているのです。


【人間本来の力】には、〔合理性の追究〕と〔他人への想い〕と〔危険回避〕の三つがあり、それが個人や全体でバランスよく発揮されるコトによって、人間は{能動的に}健やかに生きられ、人間社会は{自然発生的に}健全に形成されるのですが、

日本文化に於いては、〔危険回避〕の『火事場の馬鹿力』こそが、神の恩恵であり、それを発揮するコトこそが神の導きに適(カナ)う事であるとされ、

{目上の者に『右へ倣え』の}多くの日本人は、そんな日本文化を{盲目的に}大真面目で信じ込んでしまい、

{『さる山』とは違うのだ(!)と思い込んで}自分達の〔ローカル文化〕な『サル山』を形成しようとして、その『火事場の馬鹿力』を引き出そうとする〔非人道的ルール〕を{個人の為と思って}厳守し、『火事場の馬鹿力』の発揮レベルだけで{全体の為と考えて}人と人との間に序列を形成してしまって、

さらには、〔合理性の追究〕の『学習意欲』や、〔他人への想い〕の『他人の為に働く活力』を[逃げ]や[怠(ナマ)け]と決め付けて、

その行為に利用価値が有ると見ても、目下の者に{ささやかな評価で釣って}やらせて置くようなモノだという認識が、日本社会ではまかり通っているものだから、

{色々な場所で、様々な状況で作られながらも}日本人の作るたいていの『サル山』は、{目上の者に『右へ倣え』の大義を盾にして}何時まで経(タ)っても硬直したままで、{個人に於いても、全体に於いても、【人間本来の力】のバランスが悪くて}自由に『神秘主義』に至れず、受動的な個人行動による不自然な人間社会の形成がもたらす、{内部抗争の}内紛や、{テリトリーの奪い合いの}衝突の危機から、どうしても逃れられないのであります。





*『他人の為に働く』という事【3月29日・土】


人間と言う生き物は、餌付(エヅ)けなどによって猿の群れが人の手によって管理されている『さる山』のようなモノを想像しながら、

そこに「創造主である『神様』が完成させた唯一無二の存在としての〔この世界〕」という閉鎖的な世界観をダブらせ、そして[宗教的]・[哲学的]に人間用にアレンジした『サル山』をイメージし、

それを人間社会の【枠組み】として仮説的に(一次的に)掲(カカ)げて、様々な分野での進歩の足がかりにして来ていたが、

その劇的な進歩ゆえに、そこに気を取られ過ぎてしまった人間は、昔から【枠組み】の次の段階を考えられず、先に進む事が出来ずにいたのです。


そして、その【枠組み】としての『サル山』の範疇(ハンチュウ)で「身近な人との、『サル山的序列』での序列競争」や、「様々な勢力間で起こる、『サル山的グループ』ごとの勢力争い」を経験する中で、《サル山的争い》の[競争]や[抗争]などの〔争い〕にいやおう無く人間は晒(サラ)され、

『市場競争経済』の下でこそ、人間がその“真価”を発揮させて、人間が人間社会を上手く形成させるコトが出来る事の、正当な根源となっている、人間本来の【高い力】である《『他人の為に働く』という活力》を、人間は『サル山』での〔争い〕の中でドンドン無くして、何をするにも[無気力]・[冷淡]になってしまい、

他人への攻撃が自分に戻(モド)って来る[不安]や[焦燥感]に耐えられなくなると、人間は「『他人の為に働く』という事は誰かの喰いモノにされる事だ」と考え始め、何かをしようとすると直ぐに『被害妄想』に駆(カ)られて、何時も苛立ってしまうのであります。


そして現代人に至っても、「《サル山的レベル》での受身的な頑張り(集中力)や消費意欲(慈善意識)」ばかりを抱いて、人として大切な「人間本来の《『他人の為に働く』という活力》による高いレベルでの自主的な頑張り(集中力)や消費意欲(慈善意識)」を捨てて来ているのに、

「『人類』は試行錯誤を繰り返しながら、段階的に、より良い方向に進歩している」のだと、独善的な『パラダイム論』の幻覚に取り憑(ツ)かれてしまい、

《『他人の為に働く』という活力》を本来の形で回復させるコトが、まったく出来ずにいるのであります。



そしてさらには、《『神様』が創造した『サル山』》というような、硬直した人間社会の【枠組み】の中で、人間の人間らしい可能性から目が逸(ソ)らされ、『他人の為に働く』という事に秘められた人間本来の【高い力】が封印されてしまった状況下で、人間を暴走するがままに任(マカ)せて争わせてしまう『市場競争経済』が、「現状での運用に不備が有るのではないか」と疑問が投げかけられる事はあっても、最終的にはその運用が無策なままで強行されてしまい、

自然科学の問題に限らず社会科学の諸問題などに於(オ)いてさえ、「対立関係を形成する〔複数の国〕や〔複数の民族〕や〔複数の民族〕や[右派]と[左派]や[強硬派]と[穏健派]などが入れ替わり立ち替わっての、《リセットを繰り返しながらのデータの集積》と《リセットを繰り返しながら集められたデータの批判的ツギハギ》による[競争]や[対立]の〔争い〕が、調整力を発揮してリスクを軽減してくれる」という幻想が、問題が混迷する現実から人間の目を背(ソム)けさせ、諸問題に対して[直接的]・[有効的]に働き掛ける「継続補充的な《継続実施の継続》を踏(フ)まえながらの、色々なモノたちが様々なステージで頑張る《市民陶芸展状態の形成》の構図の追求」を忘れさせてしまって、何時まで経(タ)っても諸問題に於いて危険なハズの対立構造が無策なまま肯定されてしまい、

自然本来の“活性”した〔この世界〕の在り様とは違う「《唯一神教の『原理主義』の世界観》の“硬直”した不自然さ」を公表できる自由な場も無く、『神秘主義』の世界観の下での「現状の〔科学世界観〕の不自然さを修正する科学革新」の機会も無いまま、「先端科学技術や論理科学に於ける〔末端世界〕で先手を争う技術革進の『先陣争い』」にばかり科学技術者が執着(シュウチャク)してしまって、≪自然の【微生物群】の有効性の、『EM菌』などで部分解禁しただけの実質的封印による、『殺菌・消毒』の繰り返しの放置と、科学技術者の現実逃避と資本家の投資でしかない『遺伝子操作』の[研究]・[実施]が招きよせている、『パンデミック』のリスクの高まり≫や、≪普遍性としての【E=mc²】の有効性の『核エネルギー利用』などで部分解禁しただけの実質的封印による、“硬直”した〔物理世界観〕に基づく『既存の物理学』の反芻教育(ハンスウキョウイク)の放置と、論理科学者の売名行為と国家の意地の張り合いでしかない『量子力学』の[思索]・[実験]では抑(オサ)えきれない、『放射能汚染』のリスクの高まり≫が無策なまま続いているというのに、

現代社会では、誰も異を唱(トナ)えられない有様なのです。


『他人の為に働く』という{人間本来の}意識を安心して発揮できる環境が在ってこそ、『市場競争経済』はその“真価”を発揮し、人間は〔人間社会〕を正しく構築し、科学者は『神秘主義』の世界観の下での『科学革新』に取り組めるのです。





*『サル山組織』の実態(歴史)【3月19日・水】


『イスラム帝国』が世界の中心であった時代には、イスラム神秘主義の『スーフィズム』が公認され、尊敬を集めた『ダルヴィーシュ』たちが治安を守り、多神教の神々がイスラムの信仰の中に取り込まれていたので、{ヨーロッパや北アフリカなどへと向かった一部を除く}大半の『ジプシー』も長年『イスラム帝国』の領内に留まっていたのですが、

ヨーロッパに於(オ)いてキリスト教神秘主義の文化が花開き、ロマン主義(1780年~1830年)が高まり、続いて産業革命が始まると、『ロシア帝国』の南下により衰弱してイスラム原理主義が台頭してきた『イスラム帝国』を逃れて、『ジプシー』たちが{先行してやって来ていた一部の『ジプシー』が長年を要して受け入れられ始めていた}ヨーロッパへと大挙(タイキョ)してやって来る『カルデラリの大侵攻(1864年~1880年頃)』を始めたものだから、

安定と繁栄を手に入れたばかりのヨーロッパの社会が一気に不安定となり、第一次世界大戦(1914年~1918年)と第二次世界大戦(1939年~1945年)が立て続けに起こってしまい、ドイツの『ナチス』が、ヨーロッパの不安定化の古くからの原因である『ユダヤ人』と、近年の不安定化の主要原因となっている『ジプシー』を排除するべく『アーリア人』崇拝(スウハイ)を広めて、第二次世界大戦の戦時下で、『ユダヤ人』を虐殺した『ホロコースト』と、『ジプシー』を虐殺した『ポライモス』を断行してしまったのですが、

戦後から現代に至って尚(ナオ)も、人々は二度の世界大戦を惹(ヒ)き起こした『神秘主義』を、災いを呼ぶものと恐れ、唯一神教の『原理主義』に傾倒してしまい、[権力]や[権威]を有する唯一の【存在】を中心にした社会的序列の精神的枠組みに囚われた『サル山組織』の一般住人が集まる『サル山』が〔人間世界〕に乱立してしまって、捧げモノとしての縄張りを巡る争いが絶えず、本当の意味での一般住人の安らぎは遠のくばかりなのです。





*『サル山組織』の実態(要約)【3月19日・水】


『サル山組織』の一般住人である人間が、{唯一神教の『原理主義』の基にもなっている}社会的序列の精神的枠組みに囚(トラ)われて、その『番人』に徹しながら自分の地位を上げて行こうとするのは、

その序列の枠組みが安定している事によって、[権力]や[権威]を有する唯一の【存在】が機嫌を良くしてくれて、それにより社会が安定し、そうすれば自分達一般住民も繁栄を享受する事が出来ると信じているからであり、

それによって、人類は〔科学革新〕や〔個人の尊厳〕といった大事なモノを手放し、拒絶しながら歴史を刻んで来ていて、

今に至っても、現代人は『生きた水』や【薬品耐性水】を嫌悪し、『E=mc²』を危険視し、『ジプシー』や『アメリカインディアン』を蔑(サゲ)み、日本人は『中国人』や『韓国人』を嘲(アザケ)るのです。





*『サル山組織』の実態【3月18日・火】


何時の時代もそうなのですが、『サル山組織』の一般住人である人間は、社会的序列の精神的枠組みから逃れられないものだから、[権力]や[権威]を有する唯一の【存在】のご機嫌を損ねないようにしようと、『輝く石』を捧げモノにするべく絶えず齷齪(アクセク)して、『神秘主義』の賜物(タマモノ)である〔科学革新〕や〔個人の尊厳〕までも捧げてしまっていて、

学術研究に励(ハゲ)む人間は、本来の〔科学革新〕の有効性を見失い、「社会の為の技術革進」に陥(オチイ)ってしまって、どれ程の学術研究の成果を上げたと思えたとしても、{そうであればそうあるほど}本来の〔科学革新〕の有用利用からドンドンそれてしまい、

経済活動に励む人間は、誰もが持っている〔個人の尊厳〕の有効性を見失い、「社会の為のお金の使用」に囚(トラ)われてしまって、どれ程のお金を持っていたとしても、{そうであればそうあるほど}誰もが持っている〔個人の尊厳〕の有用利用からドンドンそれてしまうものですから、

『パラダイムシフトのシフトチェンジ』という言葉を多用して〔技術革進〕を繰り返すばかりで、『科学革命』である〔科学革新〕をまったく起こせないばかりか、〔科学革新〕の行為に対して社会の安定を揺るがすモノとして罰を求めてしまい、

社会道徳という言葉を多用してお金の使用に制限を掛けるばかりで、〔個人の尊厳〕のためのお金の使用をしようとしないばかりか、〔個人の尊厳〕のためのお金の使用に対して社会の安定を揺るがすモノとして罰を求めてしまうのです。


その結果、『生きた水』や【薬品耐性水】は[雑菌]や[バイ菌]呼ばわりされ、『E=mc²』は〔パンドラの箱〕呼ばわりされて、一般には拒絶されてしまいますし、

欧米地域に於(オ)いてお金にあざとい『ジプシー』が「産まれながらの詐欺師」と蔑(サゲス)まれ、北アメリカ大陸に於いて超個人主義な『アメリカインディアン』が「非社会的で残忍な嘘(ウソ)つき」と嫌悪され、東アジアに於いてお金を合理的に扱う『中国人』が「民度が低い」と嘲(アザケ)られてしまっているのです。





*『サル山組織』の住人と弱者【3月12日・水】


人類が人間用にアレンジしただけの『サル山組織』の住人は、人には必ず有るであろう『出来ない事の範疇(ハンチュウ)』が他人に知られるのを、『人間失格』の烙印(ラクイン)を押されるぐらいに怖がっていて。

そのため、その『出来ない事の範疇』を隠(カク)したい一念から、『神様』が活性していて『天』の存在が人間に近くて『為せば成る』の世界観によって人間を自由にしてしまう『神秘主義』に拒絶反応を示し。

必然的に、硬直した世界観によって人や社会が縛(シバ)られる秩序を文明によるモノだと定義する『原理主義』に傾倒してしまった事による、〔この世界〕の真実をまったく無視してしまった歪(ユガ)んだ思考や言動を、[趣向]だとか[思想]だとか[信条]だとか言い張って拘(コダワ)りを演出しつつも、『サル山組織』から自由に飛び出すコトも出来ずに、結局は『サル山組織』に加担していて。

そして、そんな『サル山組織』の住人達の、その歪んだ連鎖のシワ寄せが、どこの組織や社会でも決まって弱者への理不尽(リフジン)な締(シ)め付けという形で現れるものだから、日本では[保護者]や[学校]や[会社]や[社会]に絶望しての自殺者が後を絶たず、イスラム世界では[国連]や[統治国]や[キリスト教支配]に絶望しての自爆テロが後を絶たないのである。





*『神秘主義』と『サル山』【3月6日・木】


『神秘主義』に於(オ)ける〔この世界〕とは、≪創造主である『神様』が完成させた唯一無二の存在≫ではなくて、≪『神様』が創造を継続していて今も続いている“活性”した存在≫でありますから、≪実体のあるモノや全体に、継続して働きかけをしながら、【市民陶芸展状態】を形成する事で、〔この世界〕の“活性”に適応した《【自然更新】を実施する『科学革新』》が可能となる≫のであって、≪『進歩派』が〔末端世界〕でのデータの集積をし、『懐古派』がデータをツギハギして恐怖を煽(アオ)りながら、《倫理的調和の取れた『技術革進』》を進行させていく≫というのは、〔この世界〕の萎縮(イシュク)でしかないですし、

〔人間世界〕に於いても、≪『神様』の創造した『原理原則』を《唯一神教の『原理主義』》から誰もが知る事が出来、人がそれを守るコトで個人には恩恵があり、社会に反映されるコトで社会には繁栄が約束される≫とか、≪『天』の『道理』を《論語に書かれた『儒教』》から誰もが学ぶ事が出来、人がそれを守るコトで個人は報われ、社会に反映されるコトで社会が安定する≫というコトではなく、≪『神様』や『天』とは、【個人コーチ】のような〔近い存在〕であり、“活性”した存在である≫というコトでありますから、『神様』や『天』とは、≪他から知ったり学んだりする必要のある〔遠い存在〕≫であったり、≪「聖職者や目上の者に従うコトで真理に適(カナ)う」などのような“硬直”した事を求める存在≫であったりはしないハズなのです。


しかしそうは言うものの、現代の≪《倫理的調和の取れた『技術革進』》に自信を抱き、《唯一神教の『原理主義』》や《論語に書かれた『儒教』》に安心し、自分達の足元で何が起こっているのかには関心を持たないまま閉塞感ばかりが膨れ上がり続けていても、権力者階級は『サル山』のボスを巡る『序列闘争』の如(ゴト)き足の引っ張り合いに明け暮れていて、庶民にいたっては『サル山』の多くの『サル』が『序列闘争』の巻き添えを恐れて逃げ惑(マド)いながらお零(コボ)れを拾(ヒロ)うが如く『触らぬ神に祟(タタ)り無し』の姿勢でただコソコソしているだけの平和な『サル山』のような状況≫を鑑(カンガ)みると、現代人が『技術革進』や『原理主義』や『儒教』を安易な気持ちで選択したという訳でもなく、《サル山の序列闘争》の延長線上の【サル山的組織主義】に大多数の現代人が必死にすがり付き、『技術革進』や『原理主義』や『儒教』を現代人が苦労して向かい入れたモノだと言えますし、

さらに言えば、現代人の多くが必死にすがり付いた《サル山の序列闘争》の延長線上の【サル山的組織主義】を正当化しよとして、『技術革進』や『原理主義』や『儒教』を積極的に受け入れたものの、〔この世界〕や〔人間世界〕が『神秘主義』であった為に、[現代人の思考・行動]や[現代社会]が{現実からかけ離れた}歪んだモノになってしまったのだと考えられるのです。


そしてそのために、個人的には『神秘主義』の方がシックリいくという現代人もそう少なくはなかったり、『神秘主義』を決して捨てない『ジプシー』や『アメリカインディアン』などの民族やイスラム教の『スーフィー』が居たりするものの、人類全体としては『神秘主義』を反社会的だと決め付けてしまう【サル山的組織主義】が圧倒的に大勢を占めいて、単なる『憂さ晴らし』などとは違う神聖な意図を持った【神秘主義狩り】が公然と行われてしまうのですが、

しかしそれがどうやら民族差別や宗教弾圧や学校や職場でのイジメの実体でもあるものだから、地球上のいたる所での人間によるイジメや差別が無くならず、〔この世界〕や〔人間世界〕の『神秘主義』が[現代人の思考・行動]や[現代社会]に浸透していくコトがなかなか出来ないのです。


しかしそうは言っても、《サル山の序列闘争》の延長線上の【サル山的組織主義】を否定してしまっては、事は何も進まないので、

『技術革進』や『原理主義』や『儒教』に代わって、『神秘主義』で人間たちの【サル山的組織主義】を支えて行こうと考えるのです。





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