ちび猫のつぶやき

宇宙人の独断と偏見なのですが、警鐘を鳴らす訳ではなく希望の光を照らす訳でもなく、ただ足下の事を皆で見ていたいだけなのです

66.ちび猫が見付けた『ジプシー・インディアン』の自由議論(2)

2014-03-04 | 1000年“後ろ”の時代のお話し
第0066号


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平成30年度版







*甘えに見えていた≪ハンスト犬≫的な行為の見直し。【12月9日・日】

1000年“後ろ”の、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。


≪《自給自足》だからと独善を続けて来た人類≫


1000年“後ろ”の時代までは。

人間の{人間が都合の良いように作る}世界観には収まらない{その時々の『他のモノ』の【多様性】に基づいて物事が様々に成り立っていて、その【多様性】の変化に応じて物事の【更新】が続いている}不合理な世界での{【更新する無限に多様な大全体】を踏まえた}問題解決にとって必要な{【大全体】の構成員である}『他のモノ』との支援関係(【更新】する【多様性】との協力関係)の構築の事が{『甘え:発達障害』と『進歩:独善的合理性』によって共演される『人の世』で《自給自足》されるだけの『人の営み』では得られない事が踏まえられ、『他のモノ』による【多様性の更新】によって得られるチャンスが生じる事が踏まえられて}なされている、

{ケガによる障害などを{個性などのように装ったりして}隠し通す野生動物のように}『散歩の充実』や『スキンシップの充実』を目指している事が分からないように{食事面での不満を主張しているかのような素振りで}偽装している≪ハンスト犬≫的な行為(ネット世界を例にした時の、『幸せな想い』の追求者である『保守主義者』や『クレーマー』や『ハッカー』などによる、「ネット世界の健全な発展の障害になっている」と問題視されながら{『他のモノ』との支援関係から隔絶された『人の世』に自分の居場所が見いだせず、『甘え』と『進歩』の《自給自足》に限定されていた『人の営み』が窮屈に感じられて}言い訳をしない頑固な行為)というモノが、

{犬にやるドッグフードをハイテク化させる}延命処置主義と{犬にやるのは人間メシと同じモノでいいとする}尊厳死主義の双方からの{単なる『甘え』だと決めつけて『非難』する}≪憂さ晴らし行為≫の対象にさせられ、

『幸せな想い』の追求である≪ハンスト犬≫的な行為の真の意図の{『口と水着の部分を守る精神性』の包容力を持っての}探求がなされないでいるのに、

{ノーベル賞によって、{ドッグフードを拒むような≪ハンスト犬≫的な行為に『甘え』だとして攻撃的になる}延命処置主義者が技術面での功労者と称えられ、{人間メシを拒むような≪ハンスト犬≫的な行為に『甘え』だとして攻撃的になる}尊厳死主義者が文化面での功労者と称えられて}人類の進歩のバランサーを担っているとしてノーベル財団が称えられていて、

『他のモノ』との{【多様性】と【更新】を形成する【大全体】の非構成員(非協力関係)である事による}非支援関係状態である事からもたらされる様々な破綻の原因究明や対処策の遅れが{延々と}続いてしまったのです。


しかし、1000年“後ろ”の時代からは。

{『ジプシー』や『アメリカインディアン』などの一部を除く}人類という存在による『甘え:発達障害』と『進歩:独善的合理性』の《自給自足》が必然的に至る破綻(本当は『ドッグフード』も『人間メシ』も不味いのに、その≪憂さ晴らし行為≫として≪ハンスト犬≫的な行為は甘えだという『非難』だけが{ガス抜きのように}起こり、{人類の目指す方向が『延命処置主義:様々な分野の科学技術による{人類の存在が延命されるコトへの}貢献を優位とする』と『尊厳死主義:文学や経済や平和などの文化面による{人類の尊厳が守られるコトへの}貢献を優位とする』に二分割されている“問題”には「双方がノーベル賞などによって表彰され、バランスが取れていればそれで良い」として目が向かず}“問題”の解決が遠のいてしまう)の真相究明が目指され、

そんな{発達障害を患い、『甘え』と『進歩』の《自給自足》から抜け出せないでいる}人類との比較対象となる存在として『ジプシー』や『アメリカインディアン』などに注目が集まり、

そして{合理性に背を向けた}特異に見える文化だけではなく{正統な遺伝子である}強い血にも{発達障害の人類に回復の可能性をもたらすとして}大きな期待が集まったのです。


そして、1000年“前(先)”の今では。

すでに{後天的にも先天的にも修正を目指して来た}人類は{【大全体】の仕組みが人の営みに取り入れられた『生きた水』(その製造設備やノウハウ)などが、その{経済力や技術力などの}豊かさに比例して、{争いや自然災害や感染症が多発して}荒廃の続く地域などの世界中へと、{高い所から低い所へと水が流れて行くような}自然な流れとして{国家や宗教や企業などの}様々な組織から配分されていく、国際的システムの確立によって}【更新する無限に多様な大全体】からあてにされ、

そしてそんな{【大全体】に欠かせない}存在としての{『甘え:発達障害』のない}人類の在り方というものが{『進歩:独善的合理性』を『アスキーアート:ブロック積み(パラダイム論)とは違う{『生物の進化』や『物事の科学的状況』や『人間社会』や『人の精神』などは《小全体と小全体の競争》の結果ではなく、必要な協力関係の形成のパッチワークで{【大全体】として}構成されていて、それぞれがまた{無限に、様々に}パッチワークされ{続け}てこの世界が{【更新する無限に多様な大全体】として}作られ{続け}ているものであるとする}多重構造の世界観』の『ピース』として幾重(イクエ)にも{様々に意義を持って、不合理な世界を抱擁するように}更新させながら}追求されていて、

そして何時でも誰もが【大全体】の構成員である『他のモノ』からの{単純な『甘え』と『進歩』の《自給自足》では得られなかった}支援が様々に受けられ(【更新】する【多様性】からの協力が得られ)ているのです。







*『ジプシー』や『ハッカー』が人類に大全体での居場所を与える。【10月14日・日】

1000年“後ろ”の、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。


≪チーム人類の団体戦勝利が人類を癌化して、大全体での居場所を奪っていたのです≫

1000年“後ろ”の時代までは。{チーム人類(小全体)が団体戦で勝利している:変化する地球環境に対応する為の種(個々の小全体)の役割分担を無視した}勝ち抜き戦をしているような『種の誕生と滅亡の図(進化論)』や、{みんなに認知された特定の土台の上に進歩が積み上げられる:個々別な進歩のその時やその場面での役割というものを評価しない}組み体操をしているような『パラダイム論(科学革命の構造)』や、{競争原理や市場原理により勝利が継続する:大全体に於ける構成員としての個々別の更新能力が使い捨てられる}癌的(敗者の否定)行為により勝利者が決められているのが自然の摂理だとする『悪の自然誌(攻撃)』などが{ノーベル賞が授与されるなどして}権威付けされていて。各分野での進歩が、{無自覚なまま}制限を受けて、{その過程が反面教師になる程に}大きく歪み。そればかりか、人の精神も{無意識のうちに}様々な強制を受けて強迫観念に陥り、そこからの{無自覚なままでの}逃避衝動(憂さ晴らし)によって、人の心が不安感や焦燥感や、悪意や敵意などに取り込まれてしまっていたのです。


しかし、1000年“後ろ”の時代からは。{無限の多様性という可能性を秘めた}様々な小全体がその時々に応じて協力し{更新しながら}補い合っているという『大全体の概念』や、{強制に捉(トラ)われず、試練にあくせくしないで}自分の自由に想う『幸せな想い(「良い想いが、良い人格を形成させる」という大ウソに気付く:憂さ晴らしが必要になるような想いからの解放)』や、{特定の倫理道徳に拘(コダワ)った無理をせず、{盲目的に頑張ってしまうコトによる}被害妄想に陥(オチイ)らないで}他者の想いに耳を傾ける『口と水着の部分を守る精神性(虐待やセクハラの常態化に被害者側の立場で疑問を抱く:常識という妄想から現実に目を向ける)』に目を向け始めて。


そして、1000年“前(先)”の今では。{産まれながらの犯罪者とまで言われていた}その異質な“血”と、{他者との関係(指示命令の有効性)に縛られて個々別な自由を自粛してしまう『発達障害』な文明人とは違って、個々別なアプローチ(協力や調整もしない)で目的に向かう『アリ的お一人様』な}独特の“神秘主義”を守って来た『ジプシー(アメリカインディアンなど)』が、人類の{大全体での人類の居場所を作り出す}救世主として重視され。さらには、法規によって禁止され、{ネット社会に手を出す}善良な市民を食い物にし、{ネット社会からもたらされる}社会や経済の活動(発展)を停滞させてきた『ハッカー(行為)』も、チーム人類の{団体戦勝利による弊害や消耗を阻み、大全体の構成員として欠かせない多様性や更新能力を温存させる}監視者として重視されているのです。







*『ロマ・ジプシー』の『濃い血』が必要になる時。【8月8日・水】

1000年“後ろ”の、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。


≪共有を大切な事として『悪貨は良貨を駆逐する』が体現されていた人の世≫(一部修正)

1000年“後ろ”の時代までは。パラダイム論にあるように、パラダイム変換が{組み体操の意識が強く、「みんなが共有するモノでなくては、パラダイム変換とは呼べないのだから、共有が大切なのだ」と勝手に脚色してしまい、その特定の枠組から個人ではなかなか抜け出せず、例え抜け出しても評価される事はなく}なかなか起こらなくて、その為に人類の{個人個人による個々別(多様性)の総和としての}進歩が停滞していて。大全体で{素早く}更新する世界の中で、人間は部分解禁での{無理やりな}更新で対応(対処)をしようとしていて、人の世の更新が{世界の中でドンドンと}取り残されていっているのです。

しかし、1000年“後ろ”の時代からは。ノーベル財団によって、{本当は}反面教師にすべき事を対象に、ノーベル賞の授与が行われている事(共有に拘らない専門家たちの極秘事項)が、{専門知識の解説(共有からの逸脱が但し書きされたモノ)の普及に伴って}一般にも露呈(ロテイ)し。ノーベル賞の反面教師としての取り扱いが、どんどん{世界中で}周知されていって。

そして、1000年“前(先)”の今では。『幸せな想い』の自由(一人一人を個々別に進歩させるモノ)が解放され、『配分経済』による自由(人の世を更新させるモノ)が確立されていて。そしてその更(サラ)なる向上(進歩と更新の継続)の為として、『悪貨は良貨を駆逐する』のようには{共有を大切な事とするノーベル財団が権威とされていた時代の暴挙の中で}駆逐されるコトがなかった{人類の中でも特に共有の少ない民族でありながら、保護地区に収まりきれず、堂々と社会福祉政策を食い物にしていた}『ロマ・ジプシー』の『濃い血』が、{一人一人が『アリ的お一人様』として個々別に進歩し、人間が『ガレキの山』という{素早く更新する}世界の中で更新を追いつかせるのに、どうしても欠かせないモノである事から}重要視されているのです。







*『悪貨は良貨を駆逐する』から『民族の血』を守った“強さ”。【7月15日・日】

1000年“後ろ”の、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。


≪一つの完全体であった真人類のカケラが共通する大切な事を土台とした近代化≫

1000年“後ろ”の時代までは。『ロマ・ジプシー』は、近代化(産業化:共通部分(大切な事)が土台(枠組)となって可能になった科学技術の産物:真の人類が発動する準備段階とされるモノ)が世界的に普及していた{偽善的なノーベル財団が独善的にノーベル賞を授与する事によって、個々の個々別な自由が抑制されていた}時代にあって、{近代化の中心地であった}ヨーロッパ周辺やアメリカに広く分布し、{ナチス・ドイツの『ポライモス』に代表されるように差別や迫害が過激化した{二度の}世界大戦の時代に、{『ロマ』より早く{15世紀初めに}ヨーロッパに移動して来て、{同化政策に拒み、人々の善意を食い物にしながらも}地域にある程度根付いていた}『ジプシー』のコミュニティーが崩壊してしまい、{19世紀終わりの頃の}『カルデラリの大侵攻』によって大量移動して来ていた{社会福祉制度を食い物にして世界大戦の原因となった}『ロマ』の受け皿などは全く無くなってしまって、大戦が終結してからは『ロマ・ジプシー』の{部族ごとの}保護地区が{部族間や白人との余計な争いを避ける為に}点在している状況ではあるのですが}その存在は薄まる事なく独特の個性を発揮し続け、{自分たちは良貨だと確信し、無自覚なまま『悪貨は良貨を駆逐する』のことわざ通りに『ロマ・ジプシー』を{同化によって}駆逐してしまい、多くのヨーロッパ人がその{駆逐した『ロマ・ジプシー』の}血を受け継いでいる事を『ヨーロッパの誇り』と呼ぶ事もあったが}同化を拒絶し続けて駆逐されなかった『ロマ・ジプシー』の{一つの完全体であったモノ(真人類)のカケラである{という想いを共有する}人間が、その共通部分(一般に『大切な事』されるモノ:『パラダイム論』に於ける『枠組』で核となっているモノ:ノーベル財団がノーベル賞によってその形成に努めたモノ)で繋(ツナ)がろうとして形成した『社会制度:指示命令系統に基づいた秩序』や『人の良心:組み体操の思考』を、躊躇(チュウチョ)なく食い物にしてしまう}精神文化(神秘主義)の“強さ”は際立(キワダ)っていて、保護地区が整備されたヨーロッパから{安定よりも自由を求めた}『ロマ』が大量移動して来たアメリカでは{保護地区は『アメリカインディアン』の為に整備されていて、『ジプシー』は西部開拓時代に《駅馬車》や《騎兵隊》や《カウボーイ》を下支えして市民生活を営んでいたので}特に「『異人類』が大量に紛れ込んで来て、『真人類』のカケラとしての共通部分(大切な事)の発見・利用(『社会福祉制度』や『人々の善意』の拡充による平穏や、多くの分野でのパラダイム変換的進歩)がさらに困難になってしまった」として『ロマ』が脅威とされていたのです。

しかし、1000年“後ろ”の時代からは。「自分たちが{『真人類』のカケラである人間を共通部分(大切な事)で結び付ける近代化を行っているからと言って}悪貨である事を自覚せずに、諸悪の根源を『ロマ・ジプシー』などの存在(そういう民族や宗教:良貨である文明社会(文明人)を食い荒らす為に悪貨と断定された者たち)に擦(ナス)り付けていて、{悪貨に駆逐されやすい文明社会(文明人:良貨)に嘆(ナゲ)き、その未来を憂(ウレ)いて}『指示命令系統』や『組み体操の思考』は大切な事(共通部分)だと決めつけてしまい、{『異人類』が紛れ込むという}危機意識を暴走させては{無自覚な憂さ晴らしの為でしかない大義名分を振りかざして}争いの種をバラ撒(マ)いていた」という事に文明人がようやく気付き始めて。

そして、1000年“先”の今では。「品種改良が繰り返されて来た{依存体質が特徴の}一般の犬とは違って、『秋田犬』などは狼の血を残す{自己意識の強い}気高い気質で、それこそが本物である」という事が周知され、「文明化とは『真人類』の共通部分(大切な事)の発見・利用であり、文明人とは『異人類』の部分が排除された存在である」とするノーベル賞を反面教師に、『ロマ・ジプシー』の精神文化(神秘主義)の“強さ”を{一人一人が個々別に}見習っていて、社会は{それでこその:更新する無限に多様な大全体での:アスキーアート的世界観での}安定と繁栄を続けているのです。







*砂糖を食い荒らさないように、人は虚弱化されていた。【5月3日・木】

1000年“後ろ”の、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。


≪砂糖にむらがるアリである『ジプシー』や『インディアン』たち≫


1000年“後ろ”までの時代では。自分たちが虚弱化している事に無自覚なまま、「文化レベル(民度)の向上を拒む『ジプシー:特定の全体にとってではなく個々人(大全体の構成員となる自由な担い手)にとって有用な事を優先させられる個人主義』が、福祉制度を{砂糖にむらがるアリのように}食い荒らす」と恐れ、嫌い。「上下関係によって統制されるという{近代社会の根幹となる}高度な制度を拒む『アメリカインディアン:代表者にではなく個々人に神の威信が宿るのだと考えられる神秘主義』は、{代表者が交わした時の}契約制度に於ける信頼関係を{一人々々が利己的に}踏みにじる」と恐れ、嫌っていたが。

{だれにとっても美味しい砂糖(制度の不公正や、人の心の怠惰や、科学や芸術による高度な品物や、性交や出産・育児による危機意識の低下など)の有効活用や保護・温存・安定化の為の利用制限を大義名分に}人が{罪悪感を共有(「隠し事が公然と行われている」という状況で「公然と行われているが本当は隠し事なのだ」と言われるコトによって秘密を共有)してしまう『スリ込み』によって}無自覚なまま『檻(オリ)』に縛られ、人々がどんどん虚弱化して、『ジプシー』や『アメリカインディアン』による『アリ的お一人様』の行為(強い存在)に対抗する手立てを失っていただけであり。

それは、『共産主義』の{『資本主義』を相手にした}衰退や『イスラム教』の{『キリスト教』を相手にした}劣勢の原因と同じで、{『配分経済』では配分(砂糖)にむらがり少しでも多くを得る為に{アリのように個々人で利己的な}人々が配分の成果を{自分こそが配分を受けるのに相応(フサワ)しいと}競い合うコトが重要であるのに}『共産主義』では配分(砂糖)を安定化させる為に人々の競争意識を削ぎ落し{更(サラ)には}体制への不満を禁じてしまって{問題の多い社会体制ではあったが人々が頑張れる機会の多かった『資本主義』と比較して}生産能力が低下してしまい、

{宗教が『神秘主義』であれば教会(寺院:教団:モスク)の権威の下で信者に教義が付与されるコトも無く宗教解釈が自由(砂糖)であるのに}『イスラム教』では権力者やお金持が教団の責任者となって{施(ホドコ)しのような}経済支援や口利(クチキ)きなどと引き換えに{それらを得るのが目的の願掛け宗教として}信仰が守られていて{問題のあった『カトリック』から問題が更に増えた『プロテスタント』ではあっても派生した『キリスト教』と比較して}信仰に{宗教解釈の出来る}自由(砂糖)が少なかった(だから『イスラム原理主義』の台頭が止まらず{特定の全体の為を目的とする}テロのような{個々人による利己的な追求とは対極の}非生産的なコトが無くならなかった)のでした。


1000年“後ろ”からの時代では。人々が『時間認識に於ける前後の反転修正』や『ブロック積みではないアスキーアートの世界観』を駆使し、科学産業の産物(砂糖)の機能に{人の手が加えられた後の、もう手の加えられない『ブロック積み』の完成品に対してのように}依存してしまう{『檻』に縛られて人々が虚弱化してしまうような}事もなく、産物(砂糖)を{前向きに}自由に手を加えてバラして、{知識と技能を用いて}アスキーアートのように{新しい}別のモノを作っていくコトが目指され。

さらには、{『倫理道徳の試練』から解放される}『幸せな想い(砂糖)』を駆使し、イジメやパワハラやモラハラやセクハラなどでの{想い(砂糖)の乱用を防ごうとしての}粛清(シュクセイ)に熱心な『市民運動』の縛りを{『個人主義』と『神秘主義』で}断ち切って、『アリ的お一人様』での{砂糖にむらがるアリのような}非近代的な{個々人での利己的な「教育を受ける事や労働を提供する事の優越性の主張と、譲歩(褒賞)の要求」や「性交や出産・育児の優越性の主張と、褒賞(譲歩)の要求」などの}想い(砂糖)による精神の安定を獲得するコトが目指されたのでした。


そして、1000年“前(先)”である今では。{砂糖にむらがるアリとしての}『アリ的お一人様』な強い人間性(自由に砂糖を求める)が『個人主義』と『神秘主義』から導き出され、そんな人々を前提にしたコトによる{虚弱化の為に恐れ、嫌っていた『ジプシー』や『アメリカインディアン』たちと一緒でも困らない}強い制度(制限なく砂糖が得られる)が確立され、{破綻を必然としていた}『人の営み』や『人の心』は大全体の構成員としての強い立場(沢山の砂糖に囲まれている)を{制限されずに}自由に得て、繁栄と安定を手に入れていたのです。







平成29年度版







*『血と魂の注入』について(原案)。【9月24日・日】

1000年“後ろ”の、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。


≪発達障害に陥った人類の回復≫

1000年“後ろ”までの時代では。{人類が発達障害に陥っていく}1000年の時間の中で、『ジプシー』たちの[血(DNA)]と[魂(伝承)]が、{差別と偏見の中で}保存されて来ていて。

1000年“後ろ”からの時代では。発達障害に陥った人類への、『ジプシー』たちの『血と魂の注入』が、ついに始まり。

1000年“先”の今では。「時間の前後認識の逆転を生み出した『ブロック積みの世界観』の{破綻で思考停止してしまう}閉塞感の中で、『延命処置(破綻とリセットを繰り返しての進歩:パラダイム論の進歩)』と『尊厳死(土台からの作り直し:パラダイム変換)』が争い続けた、{『ジプシー』たちを拒絶した}発達障害の人類史」の反省に基づいた、{権力や会社企業などの小全体への受動的な有効性の発動が築いて来た}文明社会からの、{個人による能動的な有用性の発揮に支えられた}アリ社会的な【“大”全体】への回復が進み。破綻からの『その続き』を、{【耐性水】作りや、『幸せな想い』の想い合いや、『ロール紙の世界観』での『後出しジャンケン』の追求などで}誰もが起こしているのです。







*「生まれながらの犯罪者」と呼ばれる誇り(概要)。【2月4日・土】

1000年“後ろ”の、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。


≪不思議な時代の徒花(アダバナ)であった、華麗な『文明社会』≫

1000年“後ろ”の時代までは、{【“大”全体】の構成員である}一般庶民から{【“大”全体】の活動を支える}『お金』が権力者やエリート(経済ギャンブルの胴元)へと{名目上は}流出してしまう{一般庶民が{『“ロール紙”の世界観』に於いて必要となる}【“大”全体】から切り離されて、個人が{『“盤ゲーム”の世界観』で進む}文明を創作していく上で使い捨てにされる}コトの為に、【部分解禁】にともなう「ササヤカな進歩と、{精神的不安定さや環境破壊の危険や戦争による殺し合いなどの}破綻の繰り返し」が続いていて。その維持と促進の為として、{人間の“想い”の自由を強迫観念で縛ってしまう}『古典的な倫理』や{人間から『お金』の共有意識を隠蔽してしまう}『近代的な道徳』が{せっせと}作られ、{『経済ギャンブルの胴元』である『ノーベル財団』が関わる}『ノーベル賞』によって「一般庶民の目から《【更新する無限に多様な“大”全体】に基づいた『一般理論的思考の世界観』》を隠蔽してしまう{『完全理論的思考の世界観』では{悪魔的な}『異空間』と考え、『特殊理論的思考の世界観』では{利用可能な}『亜空間』と認識する、『特殊世界』の有無や意義や可能性をめぐる}活動や研究」などが{【部分解禁】にともなう[進歩]と[破綻]の繰り返しを{必然なモノとして}肯定してしまう『パラダイム論』や、社会の[進歩]に人間の精神が[破綻]していく事が{巧妙に正当化されて}正論化されてしまう『悪の自然誌』などが絶対のベースとなって}意図的に表彰されていたのですが。そういった{自然に反した}事に馴染めず、{『生まれながらの犯罪者』や『野蛮人』や『怠け者民族』などと呼ばれながらも}誇りを持って迎合しなかったのが、『ロマ・ジプシー』や『アメリカインディアン』や『アボリジニ』などであり。一方的な{善意の押し売りの}差別や迫害に合い、大量虐殺の対象になる{正義の名の下の}事件もあったのです。

しかし、1000年“先”の今では、{真の人類を追いやり、殺戮や自然破壊を繰り返して、『砂上の楼閣(徒花)』をせっせと築いた}華麗な『文明社会』も、不思議な時代の『御伽噺(オトギバナシ)』になってしまっているのですがね。







平成28年度版







*『ロマ・ジプシー』の自由な思想を拒絶する宗教(概要)。【11月12日・土】

1000年前としての、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。


≪『アメリカインディアン』の自由な存在を危険視する権力≫

人間世界に平和や繁栄を招く「前向きな正(善)の精神」の《自分》という部分があり、{その}人間世界に争いや破綻を招く「後向きな負(悪)の精神」の『自分』というモノがあり、{そのように}人間世界の出来事が{白黒の極論に}2分割されて、{そして}《自分》という部分を助けて『自分』というモノを抑止するという{一見すると必要不可欠な}名目で“力”を振るっていた権力でありますが、その{思想を広めた}協力者であり{正当性を提供した}庇護者であったのが、『唯一神教』に代表される{『古典的倫理(自由を手放したコトよって発生する、力としての正義)』や『近代的道徳(共有意識の無い、借り物の金銭感覚)』などの強迫観念で人々を縛って来た}宗教であったのです。

そして、{その協同体制の下で}大多数の人間が《自分》という部分を肯定する{【“大”全体】概念の欠落した}【部分解禁】を{無自覚なまま}犯してしまい、『自分』というモノを否定する{『多様性のステップアップ』の為の『多様性のべース拡大』を台無しにしてしまう}『多様性のベース縮小』を強行(ゴリ押し)してしまうコトによって、人間の精神と人間世界を切り崩す(食い潰す)コトによる{破綻が待ち構えている}進歩という{見せかけの}モノが、{根本的解決から目を逸らした『パラダイム変換』が様々な分野で認知されて}長年繰り返されて来ていたのです。


1000年前には、

「人間{一人一人}の《自分》という{正(善)と定義された}部分の増長(ゾウチョウ)による『自分』という{負(悪)と定義された}モノの抑制(ヨクセイ)によって、{そのとばっちりを受ける形で}人間世界が{戦争や破壊が絶えないまま}閉塞しているというのに、それを打開するモノとして{『ロマ・ジプシー』や『アメリカインディアン』などの、『特異』とレッテルが貼られた『“大”きな価値観』に基づいた『“大”きな意識力』を持った存在を、危険視して排除するコトしかしない}利権を独占管理するだけの{宗教の『金魚のフン』のような}既存の権力が承認されていて、{『ロマ・ジプシー』や『アメリカインディアン』などが持つ、『“大”きな世界観』に裏打ちされた『“大”きな認識力』を発揮する思想を、非人間的なモノとして拒絶するコトしかしない}主犯格の『唯一神教』に代表される{『古典的倫理』で人から『想い』の自由を奪い、『近代的道徳』で人から『お金』の自由を奪った}既存の宗教に期待が集まるというのは『本末転倒』である」

という事がまだ認知されていなくて、人間世界は見せかけの破綻(閉塞)に陥り、人々は恐怖し、権力や宗教に救いを求めるという悪循環に陥っていたのです。







*『ジプシー・ロマ』を否定して来た顛末(概要)。【10月22日・土】

1000年前としての、「ススケタ所でススケテいた人間」のお話しです。


≪『ジプシー・ロマ』を否定する茶番劇の転末≫

1600年前のヨーロッパへと{部分的な移動によって}やって来ていた『ジプシー・ロマ』の一部がアメリカにもやって来ていて、{『先天的な犯罪者』と差別しながらも}馬具・馬術に秀でた彼らの力を借りて{ヨーロッパに於いて富国強兵の礎(イシズエ)となった騎馬の発達が支えられたように、アメリカ大陸に於いてはカウボーイ文化の発展や駅馬車の発達がもたらされて}アメリカ合衆国は建国できた訳であり。その400年後には『カルデラリの大侵攻』と言われる本格的な『ジプシー・ロマ』の移動が始まり、{ナチスによる「ユダヤ人狩りのホロコースト」と「ジプシー狩りのポライモス」の影響もあって}さらに200年後のアメリカ合衆国は{イスラエルを除く}ユダヤ人だけではなく『ジプシー・ロマ』の最大の人口を抱える国ともなっていて、{アメリカ合衆国が舞台の中心となって}唯一神教のユダヤ人が核となっての資本主義経済が{『お金』の循環が《【無限】に近い事によって【更新】を起こす【多様性】》を失い、《【“大”全体】の【部分解禁】》である集中による効果の引き出しが限界にきて}行き詰まってしまった為に、それまでは『福祉制度の寄生虫』のように言われていた『ジプシー・ロマ』の{『お金』の循環的分配に抵抗感を抱かない}経済観念に{もう暫(シバラ)くしてから}脚光が浴びるようになる訳なのです。

しかし、1000年以前の〔人間世界〕に於いては、『ジプシー・ロマ』の{世界史の上での}功績や{唯一神教による破綻(滅び)を回復させる}可能性にはまったく目が向けられないまま、『先天的な犯罪者』とか『福祉制度の寄生虫』とか、さらには「その移動が、ヨーロッパ諸国(キリスト教社会)に『経済の混乱』と『倫理の破綻』を招いて、2度の世界大戦の原因を作った」とまで言われていて。人々(一般市民・労働者)は『ジプシー・ロマ』が体現していた【更新する無限に多様な“大”全体】の概念に気付くコトが出来ず、{大多数の}人間は『古典的倫理』や唯一神教に影響された『近代的道徳』による呪縛(強迫観念)によって精神を病んでしまい、〔人間世界〕は唯一神教に導かれるまま{絵に書かれたような}破綻(滅び)へと{盲目的に}進んでいて、誰もがこの茶番劇から抜け出せずにいたのです。







*『ジプシー』や『アメリカインディアン』からのコンタクト。【9月13日・火】

これは 1000年前としてのお話しです。


≪《“大”全体の構成員を形成する少数民族》の意義≫

昔々のある時期から、《“大”全体の構成員を形成する少数民族》である『ジプシー』や『アメリカインディアン』たちが、《多様性のベース》の“拡大”に目覚めた〔唯一神教の世界〕とのコンタクトを始めて、『ジプシー』や『アメリカインディアン』をその多様性に加えるコトの出来た〔唯一神教の世界〕は、{それをきっかけに}ようやく戦争やテロの脅威から逃れるコトが出来たのです。

それ以前は、〔唯一神教の世界〕では《多様性のベース》の“切り崩し”が行われていたにもかかわらず、《“大”全体の構成員を形成する少数民族》であった『ジプシー』や『アメリカインディアン』たちは《多様性のベース》の“拡大”をしていて、『ジプシー』や『アメリカインディアン』たちが切り崩されるコトはなく、〔唯一神教の世界〕から{進歩のために排除すべき}不用品というレッテルを貼られた『ジプシー』や『アメリカインディアン』は、〔唯一神教の世界〕から排除の攻撃を{一方的に}受けていたのです。







*1000年前の《非先進性の少数民族》の意義。【7月16日・土】

これは 1000年前としてのお話しです。


1000年前の、『唯一神教』が主導していた〔人の世界〕というのは、≪『ジプシー』や『アメリカインディアン』などの、文明とは一線を画した{『唯一神教』が正統性の根拠とする先進性(部分解禁)を受け入れない}《非先進性の少数民族》というモノが、それを含めた“全て”で人類であり、存在意義が無くて厄介者でしかないような単なる少数民族ではなく。その文化も、「人間が人類として{【部分解禁】が行われる前の}大自然(“大”全体)の一員であった時の名残(マゴリ)を{強く}色濃く残す貴重なモノ」であったにも拘(カカワ)らず。彼らとその文化を、「排除すべき古い人類であり、進歩の妨害(ボウガイ)となる大昔の文化(古いパラダイム)である」と世界中の『唯一神教』が{数百年も前からその当時に至るまで一律一様に}決めつけて、{残忍な差別と偏見と迫害の}排除を執拗(シツヨウ)に繰り返してきて。{その当時の}人類の成り立ちに於いて『ジプシー』や『アメリカインディアン』などの《非先進性の少数民族》の活動が{保護区に囲われたり、文化を犯罪行為にされたりして}事実上排除されてしまった事によって、{人類自体が『排除(差別・偏見・迫害)をした者は、排除(差別・偏見・迫害)に怯(オビ)えてイライラし、攻撃衝動に苛(サイナ)まれる』という不安定化(被害妄想の悪循環)に陥って}人類全体での【“大”全体】の崩壊(機能停止)が進行してしまい、『唯一神教』が主導し来ていた人の営みが{大自然(“大”全体)の一員でなくなった事によってその恵みが激減した責任をみんなで押し付け合って争う『排除の論理』の}悪循環の破綻に陥ってしまう≫という時期の、{出口の見えない}末期症状であったのですが。

しかしそれは、『ジプシーやアメリカインディアン』などの《非先進性の少数民族》の生き方である≪一律一様な“善”に基づいていて硬直した、特定の[正義]や[先進性]という概念が無く。「個々の人間は個別に大自然(“大”全体)から役目をもらい、すべての物事もそれぞれが様々に大自然(“大”全体)から役割を与えられている」と考えていて。特定の事の達成(科学や経済の進歩や事業の達成や発展)の為に人間が一致団結するコトを嫌い、物事(世界)を画一的に作り直したりする事も拒む≫という文化が、『唯一神教』の{他を排除するコトを正当化している}優位性の根拠となっている{信仰によって『パラダイム論』が歪められて支持されている}先進性(部分解禁)と相反(アイハン)していて。『唯一神教』と《非先進性の少数民族》が、相容(アイイ)れなかった事によって起こった、一時的なモノでしかなかったのです。


1000年後の今では、『唯一神教』が『ジプシーやアメリカインディアン』などの《非先進性の少数民族》と共に{先進性(部分解禁)の為に切り崩し、古いパラダイムを排除する悪循環の問題を認識して}大自然(“大”全体)の一員で在る事を、既に受け入れていて。

世界中の各宗教・宗派によって、≪人間性の根幹であった「一律一様な“善”とその他の“悪”という普遍的な関係」の硬直した概念を捨てて『幸せの想い・想い合い』を受け入れて、『完全理論的思考の世界観』と『特殊理論的思考の世界観』との無益な争いが無くなり、『一般理論的思考の世界観』の真実から『更新する無限に多様な“大”全体』の真理が導き出され≫、≪『進化論』が『進化の図』の呪縛から解き放たれて、アルコールの類の{飲用や消毒用での}一時使用が無くなり、工業化による『劣化はちみつ』と大自然(“大”全体)の『生きた水』から作られるモノが{無添加・無処理の『活性はちみつ』と同等に}【薬品耐性水】として正式利用され≫、≪『E=mc²』が『パンドラの箱』や{『宇宙戦艦ヤマト』の}『波動エネルギー』という{『特殊理論的思考の世界観』の}枷から解き放たれて、『E=mc²』の証明の為に核エネルギーの事が使われるコトが無くなり、『E=mc²』を普遍的法則の基軸として物理法則が書き換えられ≫、≪『お金』が特定の経済的効率化の試行錯誤の為に{企画に従(シタガ)って}一方向に流れる事から解放されて、『お金』が個人の身近な範疇で個別に{自由に小さく}循環するようになり、『お金』が人々によって様々に{【無限の多様な“大”全体】の中で【更新】が起こるように}使われる『“大”経済』が取り入れられ≫、≪パラダイム変換が反面教師として再認識されて、進歩の為とされていた『排除の論理』が否定されて多種多様な事が掘り起こされるようになり、邪魔で有害だと思われていた事の積み重ねから起こる新しい【更新】が{拒絶されず}承認され≫ているのです。


ただし、{1000年前の}当時の混迷を極めた状況は、想像を絶するモノであったハズで、それを合理的に{一言で}言い当てるのは難しいかもしれませんね。







*人間の運命は人間のもの。【2月6日・土】


『ジプシー』や『アメリカインディアン』などとは一線を画する『唯一神教の文化』や『近代科学の文明』によって、【更新する無限に多様な“大”全体】の真理を許容する寛容(カンヨウ)さに欠け、『一般理論的思考(世界観)』の真実に目を向ける知恵も無いまま、現代社会を構成する現代人が形成されていまして。

現代社会に於ける主流派として勢力の拡張を傲慢に続けるエリートの側に立っている時(気分)の現代人は、《神が創造した世界に於けるリセットの大原則》を根幹にした『完全理論的思考(世界観)』に基づいて【“大”全体での更新】が拒否された《学問的進歩》や《経済活動》の追求を命題として、{本来は【更新する無限に多様な“大”全体】の為に【“大”全体な多様性】での【“大”全体での更新】が発揮されるハズの}ストレスに対応する【“個”の反発作用】を恣意的(シイテキ)に利用する【部分解禁】から{科学の進歩や経済の発展やノーベル賞などによる栄誉に目が暗(クラ)んで}抜け出すコトが{どうしても}出来なくなり。主流派との対立の必要性を過激に標榜(ヒョウボウ)する知識人の側に立っている時(気分)の現代人は、《特殊という異空間の引き出しの制御》の発想による『特殊理論的思考(世界観)』に基づいて【“大”全体な多様性】が制限された{暴走しやすい}不安定な状況に陥り、【更新する無限に多様な“大”全体】の為の“個”でありながら{“個”が無限に集った多様性によってそのストレスに対応する働きを、有限な“個”である自身(自分達)だけで無自覚なまま補(オギナ)い始めて暴走に至り}一様で過激な【“個”の反発作用】から抜け出すコトが{どうしても}出来なくなるので。

現代社会に於いては、一人の現代人(特定の集団)が場合によって、エリートの側に立ったり知識人の側に立ったりして、《主流派ぶった傲慢な態度》と《過激な対立の暴走》を{無自覚なまま同時に抱え込んで}繰り返してしまうものですから。現代社会に於いて{見た目に}高尚な理想が理念として実践されるほど、{【更新する無限に多様な“大”全体】の真理が容認できず、『一般理論的思考(世界観)』の真実に気付く機智にも欠けた}現代人によって{モザイク模様に対立する}様々な矛盾や理不尽な争いが噴出するに至ってしまうのです。


しかしまあ、こんな状態で人間が千年も存続できるとは思えないので、忠告だけはして置きますが。余計な干渉は、状態の悪化を招くだけなので、基本的には物見遊山での見物と洒落込もうと思っています。人間の運命は人間のものですから、後は皆様の頑張り次第なのです。







平成27年度版







*【傲慢な快楽】に浸った現代人の末路でも見物しませんか。【12月4日・金】


この〔世界〕には、【更新する無限に多様な“大”全体】という真理があり、それは『一般理論的思考(世界観)』から見えてくる真実でもあります。

物事とは、【“大”全体】という【無限の多様性】による【更新機能】が発動するという真理によって進行しているのですが、人間はその真理から切り取ってきた特定の【部分解禁】に対してだけ、一方的に価値を見い出していて、何時までも(何時まででも)閉塞状態に陥(オチイ)ったままなのです。

また、この〔世界〕には、『一般理論的思考(世界観)』から見える真実が反映されているというのに、人間は『唯一神教』に由来する『完全理論的思考(世界観)』と、それに対抗する『特殊理論的思考(世界観)』とで争い、その双方が『一般理論的思考(世界観)』を敵視してしまって、その結果{何時も何時も}墓穴(ボケツ)を掘ってしまうのです。


そして大多数の人々が、インチキ先導者による≪政治家がよく口にする「変革に迫られている」とか「タイムリミットだ」とかの≫『危機』や、≪コマーシャリズムで「豊かさが手に入りかけている」と言って誘惑する≫『チャンス』や、≪《キリスト教世界への貢献》を《普遍的な価値》と言い換えて権威付けしたノーベル賞を授与する≫『栄誉』の言葉に惑(マド)わされ、感化されてしまい。真理の隠蔽(インペイ)に気付かず、真実への道を見失ってしまって。

アニメの『宇宙戦艦ヤマト』で、『波動エネルギー』を{宇宙人から知らされた}特殊理論として設定し、その有用性とそれ以上の危険性を『特殊理論的思考(世界観)』で描き、核開発などの先進科学技術の危(アヤ)うさを浮き彫りにしようとしている事によって、人間は自分の理性の高さに自己陶酔し、その【傲慢(ゴウマン)な快楽】に浸(ヒタ)ってしまって。道端の小石ほどの質量で大きな町のエネルギーを賄(マカナ)うのが原子力だと{全てのエネルギーに於(オ)いて共通する一般理論である事を隠して}言っている、【部分解禁】に価値を付加させる為の虚言にも気付けず。

種の絶滅や地球温暖化などの環境破壊や、テロや様々な犯罪が横行し飢餓(キガ)や虐殺(ギャクサツ)や紛争が絶えないなどの人間社会の悪化など、人間は完全な世界であったモノを科学万能の下で蝕(ムシバ)み、取り返しのつかない事をしでかしていると、『完全理論的思考(世界観)』でこの世界を描き、一刻も早く悔い改められなくてはならないのだと言う事によって、人間は自分の理性の高さに自己陶酔し、その【傲慢な快楽】に浸(ヒタ)ってしまって。【小保方 晴子】さんの『STAP細胞』を{リセットしてしまってから、再現が出来ないといって}否定してしまう、更新していく〔世界〕に対応できない近代科学の本当の意味での蛮行にさえ気付けずにいるのです。


そんな近代社会に於いて{近代社会での価値や、近代科学を頑(カタク)なに拒絶した為に}理解されず、不要な存在として{一方的に、双方から}排除の対象にされて来て、過酷な運命を辿(タド)って来たのが、『ジプシー』や『アメリカインディアン』でありまして。{人権問題が重視されているとは言え}現代でも、{一般市民の目から隠すように}保護区などに囲われているのですが。

しかし、【更新する無限に多様な“大”全体】という真理や、それを真実として見る事の出来る『一般理論的思考(世界観)』は、消えたり無くなったりしてしまうようなモノではありませんから。

皆さんも一緒に、『ジプシー』や『アメリカインディアン』の精神を{執着(シュウチャク)し過ぎると逆効果となり、攻撃的になって危険なだけなので}少しだけ見習わせてもらって、{インチキ先導者の『危機』や『チャンス』や『栄誉』の言葉などさっさとスルーさせて}【傲慢な快楽】に浸った現代人の末路や近代社会の行方(ユクエ)の見物(ケンブツ)と洒落込(シャレコ)みませんか。





*『ジプシー』たちに『世界の崩壊』が見えない訳。【9月7日・月】


この〔世界〕の真実である【更新する無限大に多様な“大”全体】と、その【“大”全体】を【部分解禁】で切り崩しながら崩壊を続ける{現代人が想っているだけの}〔人間世界〕という【“小”全体】との間には、目に見えない大きな隔たりが{ある意味に於いて}在り。現代人が近代科学を暴走させたコトによる〔人間世界〕の崩壊が、【更新する無限大に多様な“大”全体】までも巻き込んでしまうというのは、現代社会に於ける人間への“恐怖”のスリ込みでしかなくて。

核戦争や原発事故などで放射能汚染がどんなに拡大して、{核開発という【“小”更新】を続けた為に『E=mc²』が『パンドラの箱』のような役割を果たして}人間が存亡の危機に追い込まれようとも、『E=mc²』が{特定の条件下で作用する“特殊理論”ではなくて}普遍的な“一般理論”である事に間違いはなくて、〔物理世界〕は{『質量』と『エネルギー』の相対関係が}【“大”更新】され続けますし。【小保方 晴子】さんの『STAP細胞』が{〔完成した世界〕を大原則とする}近代科学のルールに違反したとして、学会やマスコミでいくら否定的に処分されたとしても、医療施設や畜産施設などでは殺人病原体が薬品耐性を日々【“小”更新】させていて、〔生命世界〕は【更新する無限大に多様な“大”全体】での【“大”更新】を止めないのです。


{近代科学がその成り立ちに於いて根幹に据(ス)えた}〔完成した世界〕を大原則として共有する{ユダヤ教やキリスト教やイスラム教などの}『唯一神教』の{そのまた}各宗派が、おのおのの{勝手に作った}教義を利己的に押し付け合いながら{千年以上も}紛争を続け。『お金』の価値を{再分配を否定して}固定化するのには{権力者の保身に於ける共通の利点によって}一致し、{知識人による見せかけだけの}共産主義との醜悪な共食いも制して、終焉した経済が永続していて。{現代人が想っているだけの}〔人間世界〕という【“小”全体】の世界観と、【“大”全体】の【部分解禁】でしかない【“小”更新】の汎用によって、〔近代世界〕が形成されている訳なのですが。

しかし、『ジプシー』や『アメリカインディアン』たちにとっては、〔近代世界〕というモノに対して、現実感がまったく感じられず。〔近代世界〕とは別の〔世界〕が、彼らには見えていて。それは、彼らの前に存在する、【更新する無限大に多様な“大”全体】であるのです。

それはすなわち、『戦争の危機』や『環境破壊』などによる《世界の崩壊》というのが、“恐怖”を人々にスリ込んで特定の宗教や思想を信じ込ませようとする、『唯一神教』や『近代国家』の手法によるモノでしかないからであり。たとえ人間が滅亡してしまうとしても、『ジプシー』や『アメリカインディアン』たちに見えていた【更新する無限大に多様な“大”全体】での【“大”更新】の繰り返しが、人間の役割を担ってくれるのでありまして。

まさにそれこそが、人類というモノの本来の在り様だと、『ジプシー』や『アメリカインディアン』たちも言っているのだと思うのです。





*知識人により人道的行為が凶行される。【7月1日・水】


何故(ナゼ)人類が、≪【更新する無限大に多様な全体】の中の【部分】の立場から逸脱し、【部分】としてだけの【更新機能】を暴走させる【部分解禁】を始め、【更新する無限大に多様な全体】の【更新機能】を隠蔽(インペイ)して、『自己完結』した『唯一神教(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教)や『インド・ヨーロッパ諸族神話(ギリシャ神話・北欧神話、ケルト神話・ゲルマン神話、ヘブライ神話・エジプト神話、スラブ神話・アラブ神話)』や『バラモン教(仏教・ヒンズー教)』などの宗教的世界観にハマリ込む事による《理解力・理解範囲・理解対象の制限》に恭順(キョウジュン)する{世俗的な}人間≫になってしまうのか。如何(ドウ)して『ジプシー』や『アメリカ・インディアン』は、≪自分達を《全体の中の一部族》と自覚し、人間を区別すべきモノと確信し、【更新する無限大に多様な全体】の中の【部分】の立場を厳守する事≫を選択して、{世俗的な}人間になる事を拒めるのか。

この問題の答えは、様々な宗教的世界観を柔軟に吸収して独自の世界観を築き、独特の《理解力・理解範囲・理解対象の制限》への恭順を貫(ツラヌ)いている{世界的に見て特異な}日本人が、≪国を持った『ジプシー』であり、国を失わなかった『インディアン』である≫という事の中にあって。国という枠組みの中に人間をハメ込むのに、宗教による人間の《理解力・理解範囲・理解対象の制限》が利用されていて、利用する宗教によってその国の国民性が形成されてしまうのですが。『ジプシー』や『アメリカ・インディアン』は、国を持たずに民族としてだけ存在していたので、宗教による《理解力・理解範囲・理解対象の制限》に恭順する{世俗的な}人間を単に{種類としての}区分けしたモノとしてではなくて、{別物としての}区別すべき異質なモノとして明確に認識していたので、世俗化する事が少なかったのです。


しかし、現代に於いては、地球規模での《一つの{世俗的な}人間の在り様》が人間に求められていて、{世俗的な}人間としての《理解力・理解範囲・理解対象の制限》も世界各国で画一化されつつある為。第三の『ジプシー』・『アメリカ・インディアン』の出現は、《国家を持たない民族》というだけでは難しく。このまま全人類が、《理解力・理解範囲・理解対象の制限》に恭順する{世俗的な}人間になってしまっては、人が人類に戻る道を完全に見失ってしまい、何もかもが手遅れになってしまうだけであり。

以前から言っていたが、≪反省すべき事を他者(非権力者)に転嫁して既得権益を守ろうとする、権力者の『反省転嫁』≫も問題だが。≪次の既得権益の受益者の座を狙って権力者に『自己反省転嫁』を要求するばかりで、自分こそが反省すべき者だという自覚がまったくない知識人の『低理解力』≫はもっと大問題でありまして。

現状での国家の枠組みが維持される範囲で、世俗化を拒む『ジプシー』や『アメリカ・インディアン』の、ヨーロッパやアメリカでの、{監獄のような}保護区内に限っての生存を認める既存の権力者も問題だが。『ジプシー』や『アメリカ・インディアン』から{人類としての}何かを学ぼうとする事も無いまま、保護区内に囲い込む事を非人道的と非難して、育児や学校教育をコントロールしての世俗化を{人道的行為によって未来の禍根(カコン)を絶つモノだと言って}凶行する知識人はもっと大問題なのです。





*唯一神教徒や近代生活者を“区別”するジプシー。【6月25日・木】


『ジプシー』も『アメリカ・インディアン』も、自分達と白人などの『唯一神教徒』を明確に“区別”していて、『唯一神教徒』との交流を厳格に“制限”していて。白人などの『唯一神教徒』から『ジプシー』や『アメリカ・インディアン』を見た時には、【唯一神教】の教えに馴染まない“異質”なモノにしか感じられず、[排除]か[隔離]の対処法しか思いつかない存在(異端者)にしか見えなくて、『神秘主義』の範疇に取り敢(ア)えず“区分け”するのが精一杯なのですが。

それは、【更新する無限大に多様な全体】という〔世界〕の中で、【無限大の多様性】から発動する【全体の更新】に寄与する【部分】として存在する人類と。『唯一神』が創造した限定的な〔世界〕の中で、『隠し扉』のような【部分解禁】を唯一発見できる存在として、〔世界〕と共に進歩して行こうとする人間との関係と同じであり。

元々の存在とは一つのオリジナルであり、そこからは様々に変化して行けるが。一旦オリジナルである事を放棄して変化を始めた存在は、元々のオリジナルに戻る事は不可能であるし、変化の後の姿から元々のオリジナルを正確に認識する事さえ難しいのです。


元々のオリジナルな【人類としての志】から切り抜かれ、目立つように加工された【部分】である、『理念』や『標語』が怖ろしいのは、それが人間の思考や能力や視界を狭(セバ)めてしまうだけではなくて、そのような自分の状態や言動を《進歩によるモノ》だと高揚(コウヨウ)してしまうトコロにもあるのです。

問題が解決した時に、目立っていた【部分】の進歩しか見ていなくて、【部分】の進歩が問題を解決させると思い込んでしまい、時々起こる【部分】の進歩による問題の解決を進歩の王道とする『パラダイム論』に{それが反面教師である事に目を瞑(ツム)って}心酔してしまうのです。


【ダーウィン】は『進化論』によって、単なる競争ではない“全体での生物の進化”を記(シル)し。【アインシュタイン】は『E=mc²』によって、{核反応を包括して}エネルギーの全体と質量の全体とが相対しているという結果が導き出す“更新し続ける物理世界”を説明し。【ニーチェ】は哲学によって、『神は死んだ』という“キーワード(号砲)”を生み出したのですが。

『生きた水』や【薬品耐性水】の存在や効能は衛生・医療を破綻させる“毒”としてしか見られず。『E=mc²』は放射能汚染の危機をもたらした『パンドラの箱』として煙(ケム)たがられ。『経済』をゲームとした時の[駒]や[カード]でしかないハズの『お金』が、『理神論』によって『神』のお導きの先導役という高い価値が付加され、独占が続いて、{高利貸しは行われても}再分配はされないので。

『WHO』の奨励(ショウレイ)により、病院施設や畜産施設で『殺菌・消毒』が徹底され、『生きた水』や【薬品耐性水】が遠ざけられて、病院施設や畜産施設が『パンデミック』の発生源になりやすくなっていて。数多(アマタ)の反核運動の知識人による、『E=mc²』の『パンドラの箱』説により、旧態依然の物理学が教えられて、核エネルギーの付加価値が高まりつづけ、放射能汚染の発生源となりやすい核施設が野放しに近い危機的状況にあって。『お金』の分配を警戒する『経済』の既得権益者や、次の既得権益者の座を窺(ウカガ)って『お金』の再分配を警戒する知識人による『お金』の[独占]・[高利貸し]により、『経済』からのドロップアウト者が増加し、『経済』の空洞化が進行して、『経済』の活用率や稼働率の低下に歯止めが掛からないのです。

しかし、そういった異常さや不自然さに{当初は}気が付いていたとしても、それを凌駕(リョウガ)する正当性や有用性が誇示(コジ)されている近代生活の中で一旦見失うと、たいていは二度と探し当てる事が出来なくなるもので。仮に目の前に提示されたとしても、それに気付く事さえ出来ないものなのです。


『ジプシー』や『アメリカ・インディアン』として産まれ育った者でさえ、唯一神教徒や近代生活者との明確な“区別”を一度でも見失えば、二度と{その立場や精神性に}戻れなくなると怖れていたので。古い人間である人類の存在と、人類としてのオリジナリティが、『ジプシー』や『アメリカ・インディアン』の中に保たれてきたのです。





*新テーマについて(2)【2月13日・金】


『ジプシー』や『アメリカインディアン』は、その『生きた世界観』に由来する《独特の価値観》故に、差別を受け、何度も大虐殺の憂(ウ)き目に遭(ア)って来たのですが。その多くが、未(イマ)だにその信念(信仰)を貫(ツラヌ)き続けていて。欧米では、{近代的な『キリスト教社会』と価値観や習慣などがマッタクそぐわず}けっこう大きな社会問題になっていますし。

〔キリスト教世界〕での『神秘主義』への抵抗の根強さも、『ジプシー』や『アメリカインディアン』に向けられた、『正義感』や『義務感』を名目にして長年にわたった、{歴史にも刻まれている}凄惨(セイサン)な虐待の数々を見れば分かりまして。

【ちび猫】も、『生きた水』や【薬品耐性水】を使っているせいか、『水道水』や『ミネラルウオーター』などにはまったく価値感を抱きませんし、衛生的な生活習慣にも違和感しか抱かないですし。その原点は、『ジプシー』や『アメリカインディアン』の『神秘主義』にあるものですから。

『生きた世界観』の普及に、相当な困難が伴なうのは、覚悟しないといけない事だというのは分かるのですが。〔この世界〕の{将来性に満ち溢れた}真実が見えているのですから、諦(アキラ)めてはならないでしょうし、諦める必要のないモノだと思うのです。





*新テーマについて(1)【2月12日・木】


〔この世界〕は、新たな【更新】が繰り返されながら、〔活性した世界〕による創造が絶え間なく続いている〔生きた世界〕なのですが。それと同じ様な『生きた世界観』を持っているのが、『ジプシー』であり、『アメリカインディアン』なのです。





*『イスラム国』と『神秘主義』【1月28日・水】


現代の{『スンニ派』・『シーア派』を問わず、殆(ホトン)んど全ての}イスラム過激派が信奉する『イスラム原理主義』は、『スーフィズム』などの{『ジプシー』の特徴とも言え、【ちび猫】が信奉する}『神秘主義』と敵対するために{【アフマド・イブン・ハンバル(780年~855年)】によって始められて}誕生してきたようなモノであり。『イラクのアルカイーダ』が元々の組織名であった『イスラム国』も、例外ではないと思われるので。『ジプシー』がヨーロッパへの大移動を始めた{1864年に始まる}『カルデラリの大侵攻』が始まるまでの数百年の間、『ジプシー』を大事に保護して共生してきた昔の{包容力の大きかった、世界国家の}イスラム国家が復興する訳ではないだろうから。あまり『イスラム国』に期待するモノは無いのですが。現在の『トルコ』ですら、20世紀初頭の建国時から行われて来た{ケマル主義の}欧化政策によって、『スーフィズム』などの『神秘主義』は禁止され、例外的にメヴレヴィー教団が行う旋回舞踊(セマー)が{観光目的で}文化遺産に指定されて存続している状況でありますから。しかたのない事なのかもしれませんね。

しかし、そうは言っても今だけは、『イスラム国』に日本人の【後藤 健二(ゴトウ ケンジ)】さんが拉致されている状況でありますから、『イスラム国』が【後藤】さんを無事に解放する事を願うばかりであります。







平成26年度版







*【部分解禁談合】と『ウルマ』【9月4日・木】


この〔世界〕は、『神』による創造(世界の形成・修復や進歩・改善)が活性していて、同じコトをしながら結果が変わって行く事の中に有用性が存在するとする【未完成な世界の世界観】の《真実》と、『時間の始まり』が先(前)から{ロール紙のように}次々と起こってやって来て、人為的に異常になった生物群や物理法則も自然回復するとする【ロール紙的時間論理】の《摂理》で成り立つモノであったが、

『神』の創造により完成した世界での複雑な処世術などを宗教(教義・逸話や伝承・神話)で教え、最適な方へと導いているとする【完成した世界の世界観】や、『時間』が以前から今へと流れているだけなので{盤の中でマスゲームが刻々と進むように}一枚の紙への上書きが続く形態で〔この世界〕が成り立ち、動いた分だけが後の残るとする【マスゲーム的時間論理】などの《人為的な真理》が広められ、その上で本当の《真理》の【部分解禁】に特殊な付加価値が付けられて、それによって権力や権威が確立し、そして特権階級による【部分解禁談合】によって既得権益の集中が維持される【唯一神教の枠組み】が、数千年前より始まり、今では人類の大多数がその影響下にあって、

誰もが【部分解禁談合】の恩恵にこうむろうとするものだから、イスラム世界は{『テロ』の危機を拡大させながらも}膨張を続け、キリスト教世界の科学的認識が{『放射能』や『パンデミック』・『貧富の格差』や『戦争』などの多種多様な危機を含みながらも}現代人の常識となり、ユダヤ人の英知と人脈の下にみんなが集って来るコトによって{ユダヤ人の世界的陰謀というデマに人々を戦々恐々とさせてしまいながらも}一大勢力を形成しているのですが、

このような[現代世界]の事情下にあっても、{イスラム世界での放浪を余儀なくされ、歴史の裏側で活躍してきて、キリスト教世界では謂(イ)われ無く虐(シイタ)げられながら}千年も前から『唯一神教』とは一線を画した『神秘主義』を頑(カタク)なに守り続けてきていて、自分たち以外の人間を『非ジプシー』と呼んで人とは認めず、『非ジプシー』の社会を『穢(ケガ)れ』と認識して関わりを厳格に制限してきたのが『ジプシー』であり、彼らの{神話のような}『昔話』を調べてみると、≪強大な悪い魔法使いの『ウルマ』たちが〔この世界〕を牛耳っているが、弱い良い魔法使いの[助言]や[小さな助け]と、『ジプシー』らしい{孤独や孤立・冒険や苦難を恐れない}行動力で、強大な悪い魔法使いの『ウルマ』を倒して、『ジプシー』が幸せを手に入れる≫といったモノが少なくなく、『ジプシー』はまさに人類を蝕(ムシバ)む【唯一神教の枠組み】と戦い続けてきて、今また{現代人の既得権益である}【部分解禁談合】の恩恵を〔現代社会〕の近くに居ながら決して受け入れない稀有(ケウ)な民族なのです。


そんな世にあって、『ジプシー』の稀有な『神秘主義』に着目し、【唯一神教の枠組み】のリスクを公表し、【部分解禁談合】の恩恵の裏に隠さ問題の解決に{『昔話』の中で『ジプシー』が強大な悪い魔法使いの『ウルマ』たちに立ち向うように}立ち向かえる “君子”に、【ちび猫】は賛同するモノであります。





*『ジオログ』での検証を受けて(ジプシー編)【3月4日・火】


【ちび猫のつぶやき】の第0057号の【No.56-『サル山』を乗り越えて】にも記した、[人間社会]や[人間生活]の本質である《サル山の序列闘争》と、それと共に「創造主である『神様』が完成させている唯一無二の存在なのが〔この世界〕であり、【一つの絶対的存在】としての『天の理』の名に於(オ)いて[目上の者]や[他者]に対し〔忠義〕・〔礼節〕・〔誠実〕・〔節操〕・〔貞操〕を行えば報(ムク)われ、〔不義〕・〔不忠〕・〔無礼〕・〔不遜〕・〔不誠実〕・〔無節操〕・〔不貞〕を行えば酬(ムク)いを受けるのが〔世の道理〕である」という『原理原則』からなる唯一神教の『原理主義』や『儒教』を合わせたモノが、普通の人間の【安心のツボ】であるのは確かでありますから、

《サル山の序列闘争》に明け暮れる一般的人間社会や、唯一神教の『原理主義』に傾倒したイスラム世界やキリスト教世界や、『儒教』の浸透した東洋世界に於いて、『神様(天の理)』と『ボス(権力)』という[恩恵]と[害悪]の両方を有する【一つの絶対的存在】に対し、「その【一つの絶対的存在】としての『神様(天の理)』と『ボス(権力)』の支配が永遠に続く事で、〔この世界〕に永遠の平安がもたらされるのです」という『原理原則』に基づいた“活性”を失った『観念』と、その『観念』に基づいて作られる【仮初(カリソメ)の平安】が、[知識を持たない信者]や[力を持たない領民]たちによって、{保身を願う}畏敬(イケイ)の念として捧(ササ)げられてきていて、

『お金に』於いては、[恩恵]と[害悪]の両方を有する【一つの絶対的存在】としての『神様(天の理)』と『ボス(権力)』を支持する度合いを示す値(アタイ)としての価値が、{保身のためにワラをも掴(ツカ)みたい人間の性(サガ)によって}付加された為に、『お金』を使ったり貯めたりする事によって、その【一つの絶対的存在】への支持の度合いが高まるのだと誰もが思い込んでしまうようになり、{その【一つの絶対的存在】から[害悪]を出させず[恩恵]だけを引き出そうと忠誠心を意図的に働かせて}人々がこぞって高価な物を買い求めたり、蓄財(チクザイ)したり、プレゼントや献納に『お金』を用いたりするようになったのですが、

[ジプシー]という『神秘主義』を貫(ツラヌ)く民族はというと、「[恩恵]と[害悪]の両方を有する【一つの絶対的存在】が〔この世界〕を支配し続ける」という{普通の人なら誰もが持っているハズの}『原理原則』と同じ『観念』を持たず、「『神様(天の理)』と『ボス(権力)』による永遠の[支配]と[平安]」への畏敬の念も抱かず、さらには『お金』への{保身的な}価値認識や、『お金』を使うコトへの{忠誠心的な}意義も持ち合わせていないものだから、現代の普通の人々からはその思考・行動や金銭感覚が〔無節操〕で〔不誠実〕であると判断され、『産まれながらの犯罪者』と決め付けられて嫌悪されてしまうのですし、

[アメリカインディアン]という民族も『神秘主義』を頑(カタク)なに貫き、「『神様(天の理)』は個人コーチのように個別に導いてくれる{活性した}身近な存在であり、『ボス(権力)』を頂点とした序列を総監督しているような{硬直した}遠い存在ではない」と考えて、【一つの絶対的存在】への畏敬の念や忠誠心を目上の者を通して示す必要性を感じない超個人主義であるものだから、現代で大勢を占める普通の人々からはその独自な社会性が理解されず、『秩序の破壊者』として恐れられてしまうのです。


なので、「人間社会に於ける《サル山の序列闘争》と唯一神教の『原理主義』と『儒教』を否定し、[ジプシー]や[アメリカインディアン]を見習った『神秘主義』に社会を再構築するのが、【神秘主義革命】である」という訳ではなくて、

[ジプシー]や[アメリカインディアン]の『神秘主義』から生み出される“活性”した〔この世界〕の発想を、差別や偏見の中から掘り起こしてきて、現代社会をもっと人間の住みやすい『サル山』に作り変えるのに活かし始める転換点が、【神秘主義革命】になるのだと考えるのです。





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