ちび猫のつぶやき

宇宙人の独断と偏見なのですが、警鐘を鳴らす訳ではなく希望の光を照らす訳でもなく、ただ足下の事を皆で見ていたいだけなのです

36.ちび猫が見付けた『宗教・信仰』の自由議論(1)

2012-01-16 | 危機管理
第0036号


*****(制作終了)*****


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平成25年度版





*草木にとっての『土』が人にとっての宗教である【11月16日・土】



宗教が、『神の力』の存在には何らかの『意図』や『道理』が隠されているのだと称(ショウ)して、どれ程に言葉のトリックを駆使(クシ)しようとも、「人間がただ単に存在するだけのコト」なので、

世界中の多神教や唯一神教の{各宗教・宗派の}各教団が、宗教戦争を本気で無くしたいと思うのであれば、

最低でも≪人間を、地球上の様々な環境の下で生息(セイソク)する草木だとすると、宗教とは、草木の生育を決定的に左右してしまう『土』みたいな存在であり、どんな人種・民族の人間が、どんな文化・社会・差別の環境に住んでいるのかによって、人間がスクスクと成長し、人間社会が順調に繁栄していくのに最適な宗教が{草木にとっての『土』に相当するので}細かく違ってきてしまうハズであるから、{国家や教団の邪(ヨコシマ)な思惑で、宗教が捏(コ)ね繰(ク)り回された挙句(アゲク)に、何らかの『意図』や『道理』が付加されて}誰彼(ダレカレ)かまわずに、何所(ドコ)ででも、特定の宗教ばかりが信仰されていたり、布教活動が行われていたりするコトが、如何(イカ)に愚かなコトであるのかと言う事が、庶民・一般信徒から権力者・聖職者に至るまで、広く周知(シュウチ)されているべきなのである≫という事の理解が欠かせず、

それによって≪キリスト教世界のヨーロッパでは、ユダヤ教の{神秘主義的な}信仰を貫(ツラヌ)き通してきた『ユダヤ人』や、独特の神秘主義を棄(ス)てなかった『ジプシー(シンティ・ロマ)』が迫害され、アメリカ大陸では独自の{神秘主義的宗教観に基づく}独自の個人主義を守り続けた『アメリカ インディアン』が淘汰(トウタ)すべきモノとして攻撃され。そして、近代のイスラム世界では、『クルアーン(コーラン)』や『ハディース〔スンナ〕』から『神の力』の『意図』や『道理』が、ウラマー(法学者)による解釈の合意(イジュマー)によって都合よく作り出されて細かく定義されてしまい、{近世の時代に於いて、様々な人種・民族や多様な宗教観を持った人間たちを、イスラム世界とイスラム教が寛容(カンヨウ)に受け入れる下地となっていた}イスラム神秘主義の『スーフィズム』が、{法源(シャリーア)を盾にしての}類推(キヤース)または理性(アクル)の名の下に徹底的に排除されてしまった事≫の過(アヤマ)ちを、誰もが真摯(シンシ)に受け入れられる世の中になれば、

宗教戦争などと言う≪草木を植えるのに、草木の種類(特性)や、植える場所の環境を考えずに、用意するのに都合の良い『土』を、{邪(ヨコシマ)な動機で}使うよう押し付け合って戦っていて、その間に草木をドンドン枯らしてしまう≫という事をしないですむのです。



欧米の各地で「『ジプシー(シンティ・ロマ)』が社会保障制度を[食い物]にしている」と言われ、さらにアメリカ大陸に限ってだが「『アメリカ インディアン』が社会保障制度を[食い潰(ツブ)す]だけの存在になっている」と言われているのだが、

こう言った現象を草木で言い表すと≪お金の掛かった〔培養土〕を用意し、高価な〔肥糧〕を与えてきたが、花も咲かず、成長も悪くなる一方なので、処分をしたくてしょうがないのだが、やたらに棄(ス)ててしまうと、そこで逞(タクマ)しく自生して、全体の見栄(ミバ)えを損(ソコ)なってしまうので、対処に手を焼いている≫と言ったトコロであり、

欧米系のキリスト教徒(白人)が、勝手に人類の代表に{唯一神の威光(イコウ)を掲(カカ)げて}納(オサ)まり、人類全体の理想までも自分達(キリスト教徒)を中心に描いて、それにそぐわない人間は、犯罪者であり犯罪集団であり、さらには犯罪宗教・教団であり犯罪国家・民族であると決め付けてしまい、処分してしまおうと画策(カクサク)して来たが、なかなか上手くはいかず、処分し尽(ツク)せなかったモノが巷(チマタ)に溢(アフ)れて持て余(アマ)してしまい、結局は、これまでの{邪(ヨコシマ)な行いの}ツケを支払うハメに陥(オチイ)っているのである。


イスラム世界の各地で、アルカイーダ系と自称する{アフガニスタンのタリバン(神学生)のように「ウラマー(法学者)による『ハディース(スンナ)』の解釈の合意(イジュマー)や、ウラマーのその場での類推(キヤース)または理性(アクル)の発揮が、世俗の事情より優先されるのは当然であり、具体的な規定が『クルアーン(コーラン)』や『ハディース〔スンナ〕』に無い場合には[ウラマーの発言]が規範(キハン)とされる」と言う法源(シャリーア)を盾(タテ)にして、聖戦を多用する}イスラム原理主義を掲(カカ)げた武力集団が、聖戦と{ウラマー気取りで}称(ショウ)して{信徒の身勝手さを放置して来たコトによるイスラムの世俗化が、イスラムを弱体化させたのは明白であると断罪し}『略奪(リャクダツ)』・『虐殺(ギャクサツ)』を正当化していて、近代以前の{『スーフィズム』のようなイスラム神秘主義が台頭し、『スーフィー』の英雄的な托鉢僧(タクハツソウ)であった『ダルヴィーシュ』たちが村や街道の治安を托鉢修行をしながら組織的に守っていて、近隣の民族や異教徒が挙(コゾ)ってイスラム世界を目指し、イスラム教に改宗していた}イスラムが世界の政治と経済と文化の中心であった時代の面影(オモカゲ)を失った惨状が広がっているのだが、

こういった現状を草木で言い表すと≪ノウハウ本の内容に拘(コダワ)る頭デッカチな{お節介焼きの}人間が、ハタ迷惑を省(カエリ)みずに、何の草木が何所(ドコ)に在っても良質なだけの同じ『土』を使えと騒(サワ)ぎ立て、ゴリ押しを繰り返していて、みんなが草木をドンドン枯らしているのに、みんなが『土』を大事にしないからだと腹を立てて、みんなへの報復を行っている≫と言ったトコロであり、

近代に入り、原理主義色を強めていた{『ユダヤ人』や『ジプシー』の神秘主義を胡散臭(ウサンクサ)く感じて、差別・迫害を繰り返していた}ヨーロッパのキリスト教世界の台頭によって、追いやられ始めたイスラム世界で、{イスラムの復興を掲(カカ)げて}キリスト教世界を見習い、イスラム原理主義を復活させて、『スーフィズム』を筆頭にイスラム神秘主義を根絶(ネダ)やしにしてしまったイスラム世界の指導者たちが、現代では、{世俗の事情に背を向け、ウラマー気取りで法源(シャリーア)を『錦の御旗(ミハタ)』のように掲(カカ)げて、『官軍(カングン)』とばかりに盗賊まがいの行為をしている}頭デッカチな信徒たちが暴走してイスラム世界が内部抗争に陥り、衰退の一途を辿(タド)っていて、何の解決策も出せないでいるのである。



俺が《極悪人》になればいいんだろ、《極悪人》に(!)。・・・クソ、俺は必ず死んでやる、フン(!!)。







・アリの行列と原理主義と日本人【7月24日・水】


アリが“興奮(コウフン)”しながら大群での行列を形成して、より良いエサに群(ムラ)がるよに。人間も、より多くの人の後に付いて行く事に、“興奮”してしまうのだ。

アリは1匹1匹が出す匂(ニオ)いが他のアリを“興奮”させ、引き寄せて、大群での大行進を形成するのだが。人間は、言葉や文字や絵画などから、個人的な空想や集団幻想などで、より多くの人の進行や集合をイメージすると、“興奮”してしまい、そこへと引き寄せられてしまうのだ。


より多くの人の後に付いて行く事で興奮してしまうという人間の生態を利用すために、「全人類を一つの存在として包括した世界観」や「人間を唯一の方向に向かって活動するように存在していると定義する倫理観」などを、巧妙(コウミョウ)に盛り込んで作られているのが、宗教なのだ。


『神秘主義』が《個人主義的》であると言われるのは、個人だけでの空想で、人間が、より多くの人の後に付いて行っていると想像して、個々に“興奮”する事を、【聖なる出来事】と位置付けているからだ。

『原理主義』が《非神秘主義的》であると言われるのは、〔唯一の神〕と〔唯一の教義〕に全ての人間が従(シタガ)う世界の実現をみんなで一緒に目指す事によって、より多くの人の後に付いて行っているという“興奮”を味わえる【聖なる快感】を、みんなで一斉(イッセイ)に味わうモノだからだ。


霊感商法で、人が可笑しな物品を相手の言い値の高額でどんどん買わされてしまうのは、霊感商法が、悪霊などの存在に対しての恐怖感や不安感を植え付けるモノだと、安易な表現で言ってしまうからで、

正しくは、自分がより多くの人の後に付いて行く事から置いてきぼりを食っている事態を自覚させられ、それを自分の不始末によって至ったのだと思い込まされ、その不始末を清算するには悪霊を祓(ハラ)うしか手がないと信じ込まされるモノなのだ。


日本人がユダヤ教をユダヤ資本と言ったり、イスラム教をテロ思想と言ったりして嫌い、「世界中の他者を、同一の存在の人類と定義する、一体思想」が感じられないからといって、宗教とも言えないと非難するのは、

そういった『差別行為』をみんなで一緒になってする時の、より多くの人の後に付いて行く事による“興奮”をみんなで味わう【聖なる快感】に対して、日本人が何の疑問も抱かないからだ。


日本の学校では『上意下達』や『集団生活・団体行動』を重視するあまり、【他愛ない子供の悪戯(イタズラ)】として『いじめ』が肯定される昔からの認識がまかり通っていて、多数派の子供達による少数の子供への『スケープゴート』が行われ、より多くの人の後に付いて行く事による“興奮”をみんなで味わう【聖なる快感】が優先されていて、そんな『いじめ』が《自殺》にまで相手を追い込んでしまう可能性が有る事を子供達が薄々感じていても、学校の先生が《自殺》が現実に起こるまでは『いじめ』を問題視する事がないものだから、

そんな日本の学校で拷問(ゴウモン)のような教育を受けて来た日本人は、より多くの人の後に付いて行く事による“興奮”をみんなで味わう【聖なる快感】に対して、疑問を抱き自問自答するという事が一切できなくなっていて、それが日本の社会問題の元凶(ゲンキョウ)となっているのだ。


俺が《極悪人》になればいいんだろ、《極悪人》に(!)。・・・クソ、俺は必ず死んでやる、フン(!)。





・預言者気取りのエリート宗教学者の弊害【6月30日・日】


世界全体に対して、神の恩恵は漏(モ)れなく及(オヨ)んでいるハズである。

しかし、各宗教・各宗派とも、自分のところだけが唯一特別に、神の加護を受けるのだと預言者気取りのエリート宗教学者が言って、神を各個に独占し合っている。


自然世界全体に及ぶ『E=mc²の普遍化』や『自然のバクテリア群』の『考え方』が封印され、エリートたちに都合の良い範疇(ハンチュウ)で、その『考え方』が部分解禁されて、エリート科学者が魔法使い気取りになっている問題とよく似ているが。

人類全体に及ぶ『神の恩恵・加護』の事実が封印され、エリートたちが自分の拘(カカワ)っている所だけに『神の恩恵・加護』を部分的に解禁し、エリート宗教学者が預言者気取りになっていて、自分の地位・勢力争いに信徒を巻き込んでしまうのが、現代も続く宗教抗争である。


大賢者気取りのエリート社会科学者によって、経済活動を人間の高度な知性の産物(サンブツ)であると言いふらされるだけで、人々はお金を得るために労働し、得たお金を経済活動の範疇でのみ浪費をするが、お金を使って【時間】をかけ、【労力】を費(ツイ)やし、【考えるコト】をつぎ込んで、自分らしさの構築・発揮をわざわざしようとは誰も思わなくなるのとよく似ているが。

預言者気取りのエリート宗教学者によって、神の存在認識と信仰心を人間の高度な知性の産物であると言いふらされるだけで、信徒は『神の恩恵・加護』を目当てに信心を怠らなくなり、お布施も苦役もいとわなくなるが、『神秘主義』のように信徒が各個に神の意志に触れる努力をわざわざしようとは誰も思わなくなり、対抗勢力のいなくなった『原理主義』が台頭してきて、現代のテロの応酬へと繋(ツナ)がっている。


俺が《極悪人》になればいいんだろ、《極悪人》に(!)。・・・クソ、俺は必ず死んでやる、フン(!)。





・『イスラム』が悪魔の宗教だと(!)【6月21日・金】


『イスラム』は、人間に【知性】と【理性】を育(ハグク)んだ、過去の世界の宗教だ。

『キリスト教』は、数多(アマタ)の虐殺を繰り替えして来た、『イスラム』の没落につけ込み増長して、世界侵略を目論(モクロ)む宗教だ。

俺が死ねばいいんだろ(!)、死ねば(!)・・・クソ(!)。





・平成25年度版【宣言】『宗教・信仰』(反面教師)


キリスト教福音派の教団が、世界の崩壊〔ハルマゲドン〕と引き換えにキリスト教徒の千年王国を手に入れようとしている信仰が、「“払う犠牲の大きい”『革命』的な手段を{ワザワザ}選択しないといけないという、“矛盾”を抱えた人間による“不条理”である、『パラダイム シフト』の『シフトチェンジ』の実施によって、これまでの【革新】によって生じた《閉塞》が打破されて、『革命』がすぐにでも起こせる」と思ってしまう“不条理”な人間性と同義の精神性が発揮されるモノだと、推考して直(スグ)に分かる人は少ないでしょうし。


神々からの干渉から人間〔人類〕の{迷い悩む必要のない唯一本物の}完全なる『見本』であるイスラムの教えを厳守する事によって唯一神の加護の下に平和と繁栄が手に入ると考え、「陶酔(トウスイ)によって今でも神の声に触れる事が出来るとし、神のような行いをした聖者を預言者のように崇(アガ)める」などコトでイスラムの『見本』としての信憑性(シンピョウセイ)を揺るがして来た『イスラム神秘主義』の台頭を放置した報いでイスラムの勢力が衰えたのだと結論付けた、ユダヤ教やキリスト教の勢力の支援を受け入れながらイスラム圏の再興を目指してきた『トルコ共和国』の現イスラム勢力の下で、『イスラム神秘主義』を掃討(ソウトウ)する大義を背負った武力行使の実行部隊としての『イスラム原理主義』が育てられ。

イスラム圏の繁栄の要因を担ってきた『イスラム神秘主義』の貢献やその意義がまったく顧(カエリ)みられる事なく{自分たちによって}排除されつくされてしまった世界で、その勢力をさらに失ったイスラム圏とイスラム教徒の惨状を目にして、その『イスラム原理主義』の者たちが、自分たちを利用した陰謀でイスラムを汚した現イスラム勢力とそれに加担したユダヤ教やキリスト教の勢力への報復を掲げて、再結成されたモノが、『国際テロ組織』であり。

今また、不要になった『イスラム原理主義』や報復のテロを断行した『国際テロ組織』との、彼らの功労やその意義がまったく顧みられない『テロとの戦い』が、テロへの報復として世界中で遂行されているのですが。

こう言った“不条理”な人間による“不条理”な争いの実態を、客観的に直(タダ)ちに理解できる人もまた、とても少ないでしょう。


そして、これらの“不条理”が人間〔人類〕の必然だと“不条理”な人間が勝手に決めてしまった為に、宗教をめぐる“不条理”な争いが何時までも続く必然が出来上がってしまったのです。







平成24年度版



★『宗教・信仰』の問題点


要約【平成24年】

要点:≪『キリスト教』は、誕生して以降何十年・何百年と『時の政権』や『他の宗教』などの外部からの熾烈(シレツ)な{【ローマ時代】初期の}差別や過酷(カコク)な{【イスラーム世界】や【モンゴル帝国】からの侵略による}迫害をうけ、内部分裂による凄惨(セイサン)な{異端者の大虐殺もいとわなかった}宗派間抗争を繰り返して来て危機的状況を何度も迎えてながらもそれを乗り越えて来る中で根強い“対抗意識”を内在し{〔十字軍の遠征〕での『イスラム教徒』や『ユダヤ教徒』への略奪行為と虐殺と、『東方諸教会』や『東方正教会』への敵対行為に代表されるように}好戦的になっていて、《:創造主が造った世界には『原理原則』が存在するのであるから人間には【守る側】と【従う側】とが必要であり、〔自分(達)が【理性的判断】が許された【守る側】の立場〕であるなら〔それ以外の人間は【理性的判断】が許されない【従う側】の立場〕でなくてはならないハズだ:》というような『ユダヤ的』で“排他的”な側面を【キリスト教の教義】とは別に{同じ『唯一神教』であると言う事以上に}色濃く持つ存在になっていて。
さらには、『ユダヤ教』や『キリスト教』と同じ『唯一神教』であった『イスラム教』は、その誕生以来長年にわたって【アラブ帝国】や【イスラム帝国】といった武装体制を築いてきたおかげで『非ユダヤ的な唯一神教』としての独自で“開放的”な{『スーフィズム』を取り入れた世界の中心文化としての}立場を100年ほど前までは{形骸化しながらも}維持し続けて来ていたが、【キリスト教世界】の大攻勢に【イスラーム世界】の要(カナメ)であった【オスマン=トルコ帝国】が〔クルミア戦争(1853~1856年)〕以降衰退の一途をたどり〔第一次世界大戦(1914年~1918年)〕での敗戦で解体したため〔トルコ独立戦争(1918年~1922年)〕と〔トルコ革命(1922年~1923年)〕をへて『イスラム教』を国教としない{『キリスト教』が内在していた『ユダヤ的』な“排他性”の吸収に踏み込んだ}現在の【トルコ共和国】がついに誕生するに至り、『イスラム教』に於(オ)ける“開放性”の潜在的な核となって多神教を包容してきた『スーフィズム』の活動が{近代化の枷(カセ)になるとして}禁止されてしまうと、その取り締まりに【アフマド・イブン・ハンバル(780年~855年)】が立ち上げた『イスラーム復興主義』が{宗教の自由の名の下に}暗黙の了解で取り入れられてしまったものですから、世界中の【イスラーム世界】の中に『イスラム原理主義』がはびこっり『ユダヤ的』な“排他性”が浸透していって、【イラン】で起こった『イスラム革命(1979年)』でその流れが決定的となって『アルカイーダ』のような国際テロ集団が誕生してきているのです。

しかし問題はそれだけにとどまらなくて。人間の思想の流れが《多神教を取り込んでいた『スーフィズム』の“開放的”な『唯一神教』》から《“対抗意識”を内在する『ユダヤ的』で“排他的”な『唯一神教』》へと世界規模で{〔産業革命(1760年代~1830年代)〕の頃から}変わってしまった為に、《ネットワーク化されていく自然科学であるコトが科学とその進歩の本質である》とされるべき所で《『パラダイム』に於(オ)ける古い『枠組み』が壊されるコトで自然科学は『科学革命』という進歩を起こすモノである》と人類共通の認識として「『アインシュタイン』や『トーマス・クーン』らの異論が{“排他的”な『唯一神教』の精神によって歪められて}聞き入れられずに」承認されてしまっていて、{【キリスト教世界】の権威付けのために有る}ノーベル賞の名の下に先端科学技術ばかりが持て囃(ハヤ)されていて人類存亡の{待った無しの}岐路(キロ)に今現在差し掛かっている状況で《家や町や農地では大量の【化学薬品】と【有用耐性菌】が{言葉巧みに}ばら撒(マ)かれ、『E=mc²』の“暗号解読”は{猛毒でも入っているかのように}警告されて誰も近づけないように仕向けられていて》誰も何も言えずにいるのに、したり顔で〔市民運動〕と称して《核廃絶》を訴えたりするように{やれる事は“見ずに”やらず、考えられる事は“他人の話しを聞いて”考えず、調子よくみんなと一緒に非難ばかりを声高(コワダカ)に}するだけの【魔女裁判】ばかりが横行しているのです。
この『第0036号』では以上の事態を憂いて、〔宗教的観点〕から警鐘を鳴らすモノであります。≫



*『理性派』の躍進と『原則派』の抵抗(10月16日・月)~(10月20日・土)


人類にとって地球がまだ広くて宗教がオオラカであったハズの{9世紀}頃に、≪体制の違いによっ分立はしていても宗派としての分裂は起こさないイスラーム世界≫がその安定性を背景に世界の中心と成っていて、『スーフィズム』に由来する≪『ウラマー』によって形骸化した『クルアーン』や『スンナ』に疑念を抱き、自らの“理性”に信頼を 寄せる『ムータズィラ(ムゥタズィラ)派』≫が政権に於(オ)いて採用されていたのですが、その一方で≪アラブ人の民族宗教であったイスラム教が、他民族の精神性にも寛容な『スーフィズム』を取り入れて世界宗教に変貌(ヘンボウ)し、イスラーム世界が拡大していくコトに危機感を抱き、その反政権活動によって何度も投獄されながらも、アラブ主義の宗教観を貫(ツラヌ)こうとした【アフマド・イブン・ハンバル(780年~855年)】≫によって《民族主義的“原理原則”の宗教観》と《『スーフィズムへの『怨念(オンネン)』》を含んだ『イスラーム復興主義』の芽が「宗派による分裂が無いが故に世界中の『イスラム教』の中に『イスラーム主義』として」植え付けられてしまったのです。
その後、11世紀から{繁栄と衰退を繰り返しながらも}【イスラーム世界】の中心にあった【オスマン=トルコ帝国】は『ジプシー』などの他民族を包容してその強大な勢力を19世紀前半まで保持し、その威光と『スーフィズム』の人間尊重で“理性的”な活動でイスラム教は東南アジアまで広まっていたが。【ロシア帝国】の南下を防ぐ為に起こした〔クルミア戦争(1853~1856年)〕に勝利したものの【イギリス】・【フランス】の支援を受けたコトでその衰退が決定的となり、欧米列強が覇権を争った〔第一次世界大戦(1914年~1918年)〕で【ロシア帝国】への巻き返しを狙うも敗戦して、【イギリス】・【フランス】・【イタリア】・【ギリシャ】の占領下に置かれてしまい、その時に蜂起した【ムスタファ・ケマル・アタテュルク(パシャ)】による〔トルコ独立戦争(1918年~1922年)〕と〔トルコ革命(1922年~1923年)〕の結果、現在の【トルコ共和国】が【オスマン=トルコ帝国】に取って代わったのです。そして、この【トルコ共和国】が近代国家を目差してイスラム教と政治を引き離す為に、宗教の自由を宣言して『イスラム教』を国教でなくすだけに止(トド)まらず、≪『スーフィズム』の活動を禁止する法律≫まで作ってしまい、さらには『スーフィズム』の活動を摘発するのに《“原則”を重視して利己的な野心を主張してい来ない》というだけで『イスラーム主義』を利用したものだから、【イスラーム世界】はその核となる国と威光と、さらにはその繁栄を支えた『スーフィズム』への支援をも同時に失ってしまったのです。
そして現代の【イスラーム世界】では、『イスラーム主義』の推進を目的とした『ワッハーブ運動』で建国した【サウジアラビア】がキリスト教国のアメリカを中心とした【欧米諸国】の偽善的支援を受けて【イスラーム世界】の中核となっていて、〔NATO〕に正式加盟している【トルコ共和国】での『スーフィズム』摘発への協力で勢い付いた『イスラーム主義』が世界中へ勢力を拡大していて、『イスラーム主義』の中でも過激な『イスラム原理主義』が『スンナ派』と『シーア派』の両陣営でも台頭してきて【東南アジア諸国】の『スーフィズム』までもが弾圧の危機にさらされていて、『アルカイーダ』のような国際テロ集団が『イスラム原理主義』を掲(カカ)げながら『スーフィズム』ではなく欧米諸国を標的にした大掛かりなテロを実行していて、アラブとその周辺の地域では《『福音派』の言う千年王国を目差すアメリカの支援による【イスラエル】の勢力拡大とパレスチナ自治区の政情不安》や《『アラブの春』といわれる有力部族の統治に対するアラブ人の蜂起とその後の【エジプト】などの政情不安とそれを発端とした【シリア】などでの内戦の拡大》や《『ユダヤ』と『福音派』の両方からの支持を得る為の【イラン】・【イラク】や【アフガニスタン】へのアメリカの無謀な介入による混迷の広がり》が深刻化していて、イスラム教の歴史の中で最も混沌とした時代に至っているのです。

一方、ヨーロッパを独占していてその後アメリカをも独占した【キリスト教世界】では、『カトリック諸派』・『プロテスタント各派』・『イングランド国教会(聖公会) 』・『アナ バプテスト』・『バプテスト教会』・『ランドマーク バプテスト』などの≪西方教会≫において近世以降に{国家と宗教の結び付きが弱まると}宗派の乱立が顕著となり、『ロシア正教会・ルーマニア正教会・ギリシャ正教会・ブルガリア正教会・セルビア正教会・グルジア正教会』などの≪東方正教会(ギリシャ正教)≫は古い統一宗派を{国家と宗教の結び付きが弱まっても}維持し続けていて、『非カルケドン派(コプト正教会・シリア正教会・アルメニア使徒教会・エチオピア正教会) 』・『ネストリウス派(アッシリア東方教会)』・『東方典礼カトリック教会(帰一教会・ユニエート教会)』などの≪東方諸教会≫に至っては昔からの多くの宗派が{国家と宗教の結び付きがあまり弱まらずに}連綿(レンメン)と維持されていて。そして、それらの各宗派が各個に組織を構築してきたというだけではなくて、固有の教義を掲(カカ)げて個別に信者を囲い込み宗派ごとの交流が大きく制限されていたので。【イスラーム世界】全体が巻き込まれてしまった、≪『スーフィズム』に由来する“理性”を信頼するという考え方で『下心』による追求を信仰に取り込んだ繁栄(:【日本】でも神社での『祝詞奏上(ノリトソウジョウ)』や寺での『護摩法要(ゴマホウヨウ)』の際に《商売繁盛》や《立身出世》などの願いと多額の献金を受けつける事で神道や仏教は潤い民衆も安心して商売や仕事に専念する事が出来る)≫と≪『イスラーム主義』による千年を越えて積み上げてきた『怨念』を晴らす為の{手段を選ばない}“原理原則”の徹底(:多くの日本人が当たり前のように「【北朝鮮】や【中国】・【韓国】では『反日』を掲(カカ)げる事で何をやっても正当化される」と考えていて疑問を抱かないし異論を受付ない)≫の鬩(セメ)ぎ合いの激化というような事態だけは避けられたのです。
しかし、宗派が細分化されていた弊害(ヘイガイ)は少なくはなくて、【キリスト教世界】は近代以前までは【イスラーム世界】に文化面は元より経済的にも武力においても開きがあって。一番拮抗(キッコウ)した〔十字軍の遠征〕でも、『エルサレム』の奪還を目差して1096年に遠征が{奇襲をかけるように}始まり1099年には【エルサレム王国】・【エデッサ伯国】・【トリポリ伯国】・【アンティオキア公国】などの十字軍国家が{虐殺と略奪の上に}幾(イク)つかつくられたが、結局1291年には最後の【エルサレム王国】のが【マムルーク朝】に{圧倒的な武力の差で}滅ぼされてしまいましたし。カトリックのキリスト教国による『エルサレム』の奪還が目的であった遠征で、《イスラム教徒やユダヤ教徒の虐殺と略奪》がむやみに繰り返され、《アフリカのエジプトやチェニスが遠征の目的地》とされることも多く、《『東方諸教会』を否定し『東方正教会』を敵視》して遠征が行われていて、巨大盗賊団が強奪(ゴウダツ)を繰り返しただけの結果に終わってしまいましたし。十字軍の遠征以後の【キリスト教世界】ではなおも宗派の分裂と敵対が繰り返されるばかりであった為に、19世紀を迎えるまでは【イスラーム世界】にまったく歯が立たなかったのです。
そして、そんな中で18世紀頃の西ヨーロッパで工業化が始まり、イギリスの産業革命(1760年代~1830年代)によって劇的に進歩し、20世紀~21世紀に於(オ)いて【アメリカ合衆国】が世界の覇権を掴(ツカ)むと、バラバラであった【キリスト教国】が経済優先で表面的ではあるにせよ連携を結んでいって、【イスラム教諸国】を文化面でも経済面でも軍事面でも大きく追い抜いてしまったのですが。その為に、イスラム教諸国が『イスラーム主義』という積年の『怨念』による“原理原則”の厳守が枷(カセ)となり苦しんでいる時に、【キリスト教世界】でも『福音派』と言われる“原理原則”を唱(トナ)えるグループが主に『西方教会』の中に宗派の枠を越えて現れたので、この『福音派』が{最終的に}目差したモノが≪『ユダヤ人』を【エルサレム】に返して、【イスラム教諸国】との間で『ハルマゲドン』を起こし、キリスト教徒の千年王国を誕生させるコト≫であったので、【アメリカ】はそれに便乗して【イスラエル】を陰になり日向になり支援し、【イスラーム世界】と【アラブの地】に政情不安を撒(マキ)き散らしたのです。
ただし、これにより【アメリカ】は『ユダヤ資本』の支援を受けらて唯一の超大国にのし上がれたのですが、『スーフィズム』への『怨念』で活動していた『イスラーム主義』の反発を買ってしまい、過激な『イスラム原理主義』の矛先(ホコサキ)が『スーフィズム』から【アメリカ】へと広がってしまって、『アルカイーダ』のような国際テロ集団の誕生をまねいてしまったのです。



今日は(10月12日・金)

本日、『ホームページ』にて「自然の中に残していった神の足跡から神の意志を読み解く事」をテーマにしたコーナーを『本文』ジオログにて立ち上げました。これからどんどん記入していくつもりなので参照して頂けると幸いです。


今日は(5月31日・木)

先日見たNHKのテレビニュースの中で、選挙での『ムスリム同胞団』の躍進に対して、{字幕ではあったが}エジプトの若い女性が「宗教の支配は御免だ!」と言っている場面が有ったのですが。ちょっとショックでしたね。あれでは、『イスラム教』という宗教や『ムスリム同胞団』が『イスラム原理主義』と同じで、強制的に人民の実効支配を目論(モクロ)む非人道的集団であり。このままでは、エジプトが選挙後に非人道的な『イスラム主義』で覆い尽くされてしまう危険性が有ると、見えてしまうからです。
“やらせ”ではないにしても、{他の場面も含めて}とても中立性のある報道には見えなかったですし。NHKは、『イスラム教』という宗教や『ムスリム同胞団』に偏見を持っているとしか考えられないモノでした。また、その後のエジプトの選挙報道でも、全て同じ様なモノで、「現実的な前政権に近い候補者と『イスラム主義』によるエジプトの奪い合い」といった表現であり、がっかりしてしまいました。



*『宗教・信仰』のウソ・マヤカシ*


日本でイスラム教の話しをする時に、少し前までは「『スンナ派』と『シーア派』の区分け」を持ち出していたし、最近はもっぱら「『イスラム原理主義」とは何ぞや」という事に重点が置かれていて。イスラム教を世界宗教へと押し上げる最大の貢献をはたしていた『スーフィズム(スーフィー)』の事が、今に至るまで完全に捨て置かれている現状はとても残念でなりません。それは、『スーフィズム』は古くから、人の理性を合理性の有るモノだと認める“独特の精神世界”を持ち、人間が主体性を持って信仰を手段と捉(トラ)える“独自の神秘主義”を確立し、世界中で{黒石などの}偶像崇拝や{東南アジアの}多神教をイスラム教に取り込んできた{事件を起しながらもコーヒーを昔から飲み、モスクの隅で徹夜の瞑想に耽(フケ)りながらも、一般のムスリム(商人・労働者)からの根強い支持を受けてきた、庶民の味方の}信仰であったからです。

【メッカのマスジド・ハラームにある黒石(要石)】



【コーヒーはスーフィーが広めた】



しかも、現在はおもに“清貧さ”・“勇敢さと屈強さ”・“友愛と絆”などを精神的なシンボルとした{野球選手の“ダルビッシュ有”の名の由来にもなった}“ダルヴィーシュ”という《日本における托鉢僧のような存在》に『スーフィー』のイメージが要約されている上に。現代トルコで20世紀初頭に起こった{ケマル主義の}欧化政策によって、現在に至ってなお{その活動が政教分離に反すると}禁止されたままであって。例外的にメヴレヴィー教団が行う旋回舞踊(セマー)が観光目的に文化遺産として{日本の雅楽のように}存続しているに過ぎないのです。

【ダルヴィーシュたちのズィクル(托鉢修行)】



【ダルビッシュ有(父がイラン人)】



【旋回舞踊(セマー)】



【ケマル・アタテュルク(パシャ)】



さらには、世界中で台頭してきているイスラーム主義(イスラーム復興主義:ワッハーブ運動:イスラーム原理主義)とは相容(アイイ)れない{イスラーム主義の開祖である『アフマド・イブン・ハンバル:西暦780年~855年生存』が、当時のカリフに採用されていた『スーフィズム』に由来している《ウラマーによるクルアーンやスンナの形骸化に疑念を抱き、自らの理性に信頼を寄せる“合理主義”を主張していた》『ムータズィラ(ムゥタズィラ)派』に反抗して、投獄されながらもイスラーム復興主義を興した事に始まる}古い因縁がある為、『スーフィズム(スーフィー)』は現在表立った活動をする事が出来ずにいるのです。

しかし、この『スーフィズム(スーフィー)』の“気高く・自由で・庶民的”な『イスラーム神秘主義』がただ“古く”て“神様に罰当たりだ”というだけで(合理的な理由が無いまま)、欧化政策(政教分離)を掲(カカ)げて『ケマル・アタテュルク(パシャ)』が革命を起こしてから『現代トルコ』が継続している『ケマル主義』や、ワッハーブ運動で建国した『サウジアラビア』が主導する『イスラーム主義』や、“御上意識”が抜けない上に何でも“神頼み”で終始してしまう日本人の『他力本願な賢明志向や、誠実さの美徳志向』からは容認されず、排除の憂き目にあっているとはいうものの。この『イスラーム神秘主義』の宗教概念(合理的な思想)は人類共通の“文化的宝物”であり、人間の精神世界におけるこの『合理性』の存亡が“人類の未来の存亡”となるのは確かであるので。

日本社会においては
【『パラダイムシフト』や『コロンブスの卵』などの言葉とその意味を無闇に信用し、自分達の周囲に{みんなに閉塞感を与えている}見えない強固な壁を《あたり前の様に》受け入れ、意識の中に{巨大な限界として}築いてしまっていて。それを打破するためには{人知を超越した恩恵を施(ホドコ)す事の出来る}唯一無二の存在である『天(神仏)』が認める“有能な人材の出現”を待たなくてはならないので、一般庶民は《『天(神仏)』を敬(ウヤマ)い奉(タテマツ)る》既存の権威の元で“誠実”に生きて。{人間の恐怖感が生み出した}気まぐれで容赦の無い『天(神仏)』がへそを曲げないように、大変な時ほど“頑張る姿”を見せていなくてはならない】
という宗教の『原理主義』の様な《『天(神仏)』の恩恵と恐怖に畏敬する人の意識を利用した人心の統制》を日本人ならその誰もが受け入れてしまっていて。依然として日本における《権威主義的な精神の浸透》は確かに根強いが。
一人でも多くの日本人が、この
【自分が属する権威に合理性を一生懸命に見出す行為としての「自分だけは人並み以上に合理的でありたいと願い、したたかに権威にすがり付き、その権威に{拒絶して}属さない者たち(属せないために拒否しているだけの“社会的弱者たち”)の排斥行為(尊厳を踏みにじる暴挙)を{勇んで}呼びかけて《非人道的構成集団》を形成して、自分がそういった《非人道的構成集団》の主導者の座におさまる事」に努める事によって、他者を主導する自分の事を《天へと続く権威に認められたと錯覚》して安心する日本人が増えている事と。それに伴(トモナ)っての、《天に認められた自分》の魔法の様な才覚で『パラダイムシフト』や『コロンブスの卵』を引き起こしてみんなの『閉塞感の打破』を担うんだと慢心する主導者が増えていって、日本中の多くの集団で「権威に平伏(ヘイフク)して、ただ誠実にひたすら頑張れ」と{上意下達(ジョウイカタツ)の隠語(インゴ)でほぼ強制的に} 強要が行われている事と。そしてその挙句の、日本中の集団的活動からの《自由な人間としての合理性と可能性》の欠落と、そんな《非人道的構成集団》が日本中でピラミッド状に{機械的に」重なり肥大化しているコトに伴う、巨大な《非人道的構成集団》としての日本社会の形成による、《日本的な権威社会》の非人道的で不毛な柵(シガラミ)】
の呪縛を、信仰心に根ざした
【同じ権威の《非人道的構成集団》に属する自分と周囲の者達を『天(神仏)の教え』の正統な“守護者”であると意識過剰に思って、「信仰に基づき世の為人の為に頑張るのだから、信仰上許される範囲内での好き勝手は通させてもらうぞ(!)」と『強気』になったらいいんだ(!)と自分に言い聞かせたり、周囲に吹聴(フイチョウ)したりしながら、{口先だけでも}『強さ』を発揮していながら。{仮初めの“守護者”故(ユエ)なのか}立前や綺麗事の理屈を隠れ蓑にして人をコントロールして人間を喰いモノにする、巧妙な陰謀が{誰かによって}わんさかと張り巡らされていて、{直接誰かに言われた時や、特に面倒な時だけに限らず}自分が動いて少しでも何かをしようとすると《そのとたんに》「陰謀にハマッタぞ(!)」と直感して、「このままチョットでも続けてしまったら、{色々な連中の}沢山の陰謀が私を喰いモノにしようと雪崩を打って押し寄せてきてしまうぞ(!)このままでは身の破滅だ(!)」と“疑心暗鬼”になり、脅えて二の足を踏んでしまう様な『宗教や権威に執着してしまう臆病さ』】
の弱い心に流されず“強い心”で合理的に認識する事で、{既存の権威に属さない}弱い者イジメ(身近な社会的弱者や身障者や、漫画・アニメ・ドールやバクテリア群・EM菌や、ジプシーやスーフィーの嫌悪・排除)で時間を浪費する馬鹿ばかしさから早く足を洗って。その精力を《誰か》がやってくれる『閉塞感の打破』を待たずに権威の柵(シガラミ)を取り払って、既存の観念に捉われない《自由な人間としての》合理的な思惟(シイ)・考察・想像や《『パラダイム』の基本概念に基づいての》可能性を拾い集める研究・実験・観察に耽(フケ)る時間に振り向けられる様に成れば、日本の未来も少しずつ明るく成ると思うのです。
よく「昔は解明されていない事が多くて、チョット研究しただけで画期的な成果が上がり、新発見が容易に出来たのに。今の時代は何もかも解ってしまっている『つまらない』時代で、こんな時代に生まれてきた我々や今の子供達はある意味で不幸であると言っていい(!)」とシニカルな言い方をして、《神憑り的な天才》がやってくれる『閉塞感の打破』をただ待っていて。“疑心暗鬼”から{憂さ晴らしに}弱い者イジメをする“非人道的”な自分達を、《天(神仏)と権威(天の教えの伝達システム)の忠実な守護者》の役目を黙々と担っているだけだと言って正当化する《若者のふりをした大人の声》をいまだに聞くが。『ジプシー』の「近世のドイツ・オーストリアなどでの“騎馬隊”としての活躍」や「アメリカ大陸の開拓時代における“馬”に関しての貢献」とか、『スーフィー』の「イスラム教を世界宗教へと押し上げた功績」や「イスラーム主義との古い因縁」とか、『バクテリア群』の「日常空間の清浄化・安定化」や「多用途な使い道・可能性」とか、日本人が「着手を拒んでいる事」や「恩恵を黙殺している事」はまだまだ沢山有るのですから、今後の若者達が《大人の悪巧み》に感化されるコトなく「自由な思惟や、可能性を求めての追求」に耽る時間を惜しむ事が無いように願うだけです。≪『ジプシー』については第0034号を、『バクテリア群』については第0013号を参照してください≫

世界においては、中東のイスラム教国の中では民主化がダントツで進んでいる『イラン』が(最近は連続して)、《キリスト教国側にとっての厄払い》として{単なる“見せしめ”と言うよりも}“生贄(イケニエ)”を奉げる《キリスト教国が長年やってきた》やり口と同じように、一方的な屁理屈のゴリ押しで攻め立てられていて。最近は{福島の原発事故があって“核”が負のキーワードとして世界中で広く《イメージシンボル》的に再認識された為か}『“核”開発の疑惑』という
【“核”エネルギーを『パンドラの箱』に例えて、「“核”エネルギーは人間の手に負えない触れてはならないモノ(悪魔との取引?)である」とか、「“核”開発は放射能(見えない災い)を撒き散らそうとする軍事的行為(呪術・黒魔術?)である」とか{昔からキリスト教的平和主義者達が}散々言いふらされてきた事による、{神の教えを守護するキリスト教国の管理外で}“核”の研究が行われているというだけで、「世界を破滅させる魔王が“現実に”召喚(ショウカン)されようとしている」と世界中が恐怖するような、{一般的な}神話がモチーフの全人類的規模の“刷り込み”】
を利用しての{魔王召喚がイメージされた}汚名を着せられて、キリスト教国の欧米諸国とその同盟国の日本やイスラエルから{ヒステリックな}経済制裁や爆撃を受けようとしていて。21世紀に入りもう12年目になったいうのに依然として世界では『宗教差別』と神話による“刷り込み”が幅を利かせていて、理不尽に“生贄(イケニエ)”を奉げようとする蛮行がまかり通る始末であり、明るい未来はなかなか見えてきませんし。「アインシュタインが『E=mc²』を発見して“核”エネルギーという『パンドラの箱』が開かれたが、『希望』を信じて災いの技術である『“核”開発』の封印を目差すんだ(!)」という話しが言いふらされて、魔女裁判のような経済制裁や爆撃が横行しているせいなのか。『E=mc²』をめぐって多くの科学者達が不可解な見解を述べていたり、学校等で教えられる一般的な物理学が《『E=mc²』を無視した》旧態依然のままである為に、余計に『“核”開発』を危険な『黒魔術』とイメージしてしまう人間が無くならないのですが。
言い方を変えれば、この『E=mc²』がもっと身近に《庶民・大衆のモノとして》広く再認識されさえすれば、とりあえずは『“核”開発の疑惑』をめぐっての魔女裁判のような経済制裁や爆撃は今後無くなると思うのです。≪『E=mc²』については次号の第0037号を参照してください≫



~~~第0036号先頭へ~~~



ちび猫のコメント参照
次回につづく。



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